27.今度こそはと意気込んで②
アルフレッドは裏口から辺りを窺う。銃声を聞きつけ騒がしくなった表通りに対し、路地は不気味なほど静まり返っていた。扉を開き、彼は深く息を吸い込む。
ローザは進行方向へ背を向けたまま進む。
「メイと合流後、すぐに戻るわ。他の鬼種がいればいくらマリアでも分が悪い」
「この日差しの中か……?」
アルフレッドは顎を伝う汗を手の甲で拭い、空を仰ぐ。
清々しいほどの青空には太陽が高く昇り、足元の影は濃く短い。肌を焼く日差しにルイスが小さくうめいていた。
「俺とメイがガーネットさんたちを連れてこの場を離脱する。その後、君はマリアの援護に戻ってくれ。野次馬の避難は警察に任せてある」
アルフレッドは額から流れる汗を拭い、路地に停車する見慣れたバンへ駆け寄る。
「メイ。緊急事態だ、起きてくれ」
運転席の窓を叩く。しかし、彼女からの返答はなかった。
扉を開き、アルフレッドはうつ伏せになっているメイの肩を揺する。
「メイ……?」
それでもなお、彼女はすぅすぅと規則正しい寝息を立てていた。
声をかけるも、まぶたは閉ざされたまま。
アルフレッドの心臓が早鐘を打った。
「ローザ。2人を連れて……」
振り返ったアルフレッドの前で彼女の体が音もなく崩れていく。
呼吸を忘れるアルフレッドの前には、日傘を差す白い麗人が立っていた。彼女は口元へ指を立て、紅の瞳をうっそりと細める。
「っ……?!」
銃へと伸ばした手が止まる。アルフレッドは奇妙な息苦しさを覚えた。脚も、腕から指先までも、動かない。噴き出す汗だけが彼の肌を伝っていく。
呼吸を乱すアルフレッドに、赤眼の女は静かに微笑む。
「初めましてよね、アルフレッドくん。私はイヴと呼ばれているわ」
「どうしてっ……俺の、名前を……」
かろうじて会話はできるようだった。横たわるローザは動く気配もないが、呼吸はしている。
アルフレッドが視線を滑らせると、扉の前でカイルとルイスは身動きが取れずにいた。
口内が渇いていく。アルフレッドはどうにか唾を飲み込む。
「イヴ。あなたは、何者だ……?」
「あなたともゆっくりお話しをしたいのは山々なのだけど、少し待っていただけるかしら」
「っ…………」
アルフレッドの思惑は外れ、差し出された彼女の手は兄弟へと向けられていた。
薄い唇は甘い声と穏やかな微笑を紡ぐ。
「弟想いのあなた。お話しがしたいの。彼はこのままだと、あなたや他の家族も傷付けてしまうわ」
「お話し……? 何を言ってるんだ!」
我に返った様子でカイルはルイスの前に立ちふさがり、声を荒げる。
「誰のせいでこうなった?! 弟が何をしたって言うんだよ!」
「獅子に植物を食べて生きることを強要したところで滅ぶだけ。お互いの落とし所を見つけないと、何も解決できないのよ」
「弟は自分から人を食べたがったりなんかしない! そもそもお前たちがルイスに変なモノを食わせたんじゃないか!」
狭い路地に怒声がこだまする。体を縮めるルイスは両手を握り締めていた。
アルフレッドは思うように動かない腕をどうにか腰へ伸ばす。汗が滝のように伝った。
憤るカイルに対し、彼女は笑みを崩さない。
「あなたの怒りは最もだわ、お兄さん。彼の鬼化は私の望むところでもないのよ。だからこうして、今後の提案に来たの」
「弟をこんな目にあわせておいて何を言ってるんだ! 何がしたいのか知らないがとっとと消えてくれ!」
「私のお話しをもう少し聞いてはくれないかしら」
「弟の体を治す方法なら聞いてやるさ!」
「そう。残念だわ」
イヴは眉を下げる。そして赤い瞳でカイルを見据えた。すると、声を荒げていた彼の動きがピタリととまる。彼はそのまま膝から崩れ落ちた。
言葉を失うアルフレッド。
しばし間を開けて、ルイスが兄の体を揺すった。
「に、兄さん……?! 兄さん……!!」
「大丈夫よ、ルイスくん」
「…………!」
ルイスの前にイヴがしゃがみこむ。息をのむ彼に、彼女はやはり笑みをたたえていた。
「あなたのお兄さんも、そこの彼女も。少し眠っているだけ。すぐに目が覚めるわ」
「……うそじゃない?」
「嘘をつく必要はないもの。私たちはあなたに提案をしにきたの」
イヴは細い指先で自身の白髪を耳へかける。その病的な白さは彼女の紅の瞳を際立たせた。
「ルイス。あなたを人間に戻すことは、私にもできないわ。でも将来、あなたが家族を傷つけずに過ごすお手伝いならできるの」
「……人を見ても、お腹がへったりしない?」
「残念だけれど、私は五百年経っても人間が美味しそうに見えてしまうわ。それが、どんなに大切なヒトでも」
「じゃあ……」
唇を噛むルイスへ、イヴは再び手を差し出した。
「だからこそ、それを抑える術を学ぶのよ。けれどそのためには一度、あなたは家族と離れないといけないの」
「…………」
「あなたと、あなたの家族はまだ若いわ。あなたが今すぐにでもその気になれば、一緒に過ごせる時間が作れるかもしれない」
「……それは、どれくらいかかるの?」
「ごめんなさい。それは私にも分からないし、約束もできないわ。あなたの体と、あなたの気力しだいだもの」
「その間、やっぱり……。食べなきゃいけない……?」
「ええ、そうね。無理に我慢をすれば、余計に人を襲ってしまうから。でも、私たちが側にいれば、むやみやたらと人を襲う心配はなくなるわ」
「…………」
ルイスは倒れた兄の背中を見下ろす。
唇を引き結ぶ彼の傍らに、イヴはかがみこんだ。
「独りは怖かったでしょう」
「……うん」
穏やかな問いかけに、ルイスは小さく頷いた。イヴはそっと震える手を引く。
「あなたに辛い思いをさせてしまったのは、私の力不足だわ、ルイス」
白い指先は彼の濡れた頬を拭う。
おぼつかない足で立ち上がったルイスの肩を撫で、イヴは続けた。
「これだけは約束するわね、ルイス。私たちはあなたの力になる。あなたが家族と暮らしたいと望むのなら、できる限りのお手伝いをするわ」
「ほんとうに……?」
「あなた次第よ、ルイス。私たちの不確かな希望に賭けるか。彼らの正しさを受け入れるか」
イヴの視線の先には、こわばる手で銃を握るアルフレッドの姿があった。
気を抜けば、意識が遠退く。
アルフレッドは懸命に呼吸をしているのだが、自身の肺が正常に機能しているとはとても思えなかった。
「がんばり屋さんなのは良いけれど、あんまりムリをしてはダメよ」
「残念だけど、これが仕事でね……」
定まらない照準。震える指。アルフレッドは言葉とは裏腹、自分が役目を全うできないことを分かっていた。
「アルフレッドくんは真面目さんなのね。マリアちゃんともお友だちになれたら良いのだけど……」
「なぜ……あなたは、俺たちの名前を、知っているんだ……?」
奥歯を噛み締めるアルフレッド。イヴはその手にある銃を容易に抜き取る。
彼女は取り上げた銃を傍らへ置き、くるくると日傘を回した。
「あなたたちのことは、ヴェルデンとアダムからよく聞いているわ。私もずっとお話ししたかったの」
「ヴェルデンと、アダム……? まさか……アダムって、この間……鬼種の人質にされたっ……」
頭が割れそうだ。アルフレッドは頭を抑え、何とか両足へ力を入れる。
「そんな、はずは……そんなはずはないっ……。ある程度の太陽光への耐性があったとしても、彼はまともに日差しを浴びていたはず……。そんなの、聞いたことっ……。だとすれば、彼は人間の協力者かっ……?」
頭上で何かが派手に割れる音が響いてきた。ガラスだろうか。確かめる間も無く、アルフレッドは地面に膝をついた。
ルイスの声が心配そうに自分を呼ぶのが辛うじて聞き取れる。
「私のアダムは少し特別なのよ、アルフレッドくん。特別だから、あのコの先行きが不安なの」
穏やかな声音がわずかに沈む。
細い指先がアルフレッドの頬を包んだ。紅の瞳に覗き込まれると、意識が瞬く間に引き込まれていく。
「っ……この、鬼才はっ……?」
「あなたに伝言をお願いするわ」
暗闇の中に、ぽっかりと紅の満月が浮かんでいる。
「私のお話しをよく聞いてちょうだい、アルフレッド」
有無を言わせない。権利は与えられていない。それは絶対的な支配に近かった。
甘い声で言葉が紡がれる。それらはアルフレッドの記憶に深く刻まれていった。




