23.朝日を眺めて②
「盗難……?」
アダムは声を潜めた。
オレンジ色の海に沈みかけた太陽を眺めるために、人々は砂浜で各々カメラを構えている。
ひと夏の思い出を作る人ごみの中で、アダムはベンチに腰を下ろして街の地図を広げていた。とは言え今回ばかりは迷子になった訳ではない。
背後のベンチで新聞を広げる老人は頷く。
「……先日から、どうにも在庫の数が合わなくてね。モルヒネあたりならいつものことだからみんな見て見ぬフリするのだけれど、今回はモノがモノだ。犯人の目星もついているが、看護師たちにはそれっぽい理由で口を止めておいたよ」
「……犯人自身が鬼種である可能性はございますか?」
「いや。それはなさそうだ。シフトを確認したら昨日も日勤だったよ。ただ……」
「…………」
老紳士は言葉を詰まらせた。
アダムは手元の地図から視線を外さぬよう、姿勢を正す。
「彼とは毎日のように仕事をしている。彼のご両親は良い同僚だった。数年前、不慮の交通事故で夫婦そろって亡くなってしまったが……」
「それでは……」
「ご家族はまだ学生の妹さんと、弟くんだけのはずだ。恋人や婚約者の話しも聞いていないしね……」
老人は新聞を閉ざしゆっくりと立ち上がった。新聞誌を脇に抱え、彼はわざわざアダムの前を横切る。
「真面目で将来有望な青年だ。イヴさんにも、くれぐれもよろしくと伝えてくれ」
「……承知いたしました。ご協力、感謝いたします」
雑踏にかき消されそうな老人の小さな声も、アダムの耳にははっきりと聞き取れていた。
新聞誌の合間から紙切れが落ちる。老人はそれに目もくれず、アダムから離れていく。
一呼吸おいた後。アダムは地図を閉ざす。そして足元に落ちた紙切れを拾い上げた。
「…………」
それを折りたたんだ地図の合間に滑り込ませ、内ポケットへとしまい込む。
日没を告げる鐘の音が浜辺に鳴り響く。アダムは今宵の宿へと戻る人ごみをかき分け、足早にその場から立ち去った。
向かった先は路地の先。古びたビルの地下にひっそりと開かれた酒場。黒猫の黄金色の瞳が彼を出迎えた。
「おかえりなさい、アダム」
「はい。ただいま戻りました。イヴ様、ヴェルデン様」
「何事もなくて何よりだ」
頭のフードを払い、アダムは軽く頭を下げる。
カウンター席で彼の帰りを待っていた男女は差し出された紙切れを目にして口を閉ざす。
灰皿にタバコを押し付けるヴェルデンへ、アダムはかたい声音で報告を続けた。
「『支援者』のお話しでは、その方は未成年の妹、弟の3人で暮らしていらっしゃるとのお話しでした。また、ご本人が鬼種の可能性は低そうだとのことです」
「そうだな……。確かに気になる話だ」
顎を擦り、ヴェルデンは紙切れをもう片方の手で掴む。瞬く間に彼の手中で小さな火が燃え上がった。
細い煙が立ち上る。
イヴは頬に手をあて小首を傾げた。
「盗難が一月前から続いているとなると……。その『子』は彼から与えられている輸血パックだけで食人衝動を抑えられていると言うことかしら?」
「だろうな。理性のない鬼種を教会にもバレず一月以上も隔離し続けるのは一般人じゃまず無理だ」
「鬼化した者が自力で食人衝動を抑える術を身に付けることは可能なのですか?」
アダムの問いにヴェルデンとイヴは渋い表情を浮かべた。
「よほど鬼種としての才能に恵まれてりゃあできなくもねぇだろうよ。現に、俺やイヴはこうしてコントロールできてるからな」
「そうねぇ……。でも……。私もさすがに鬼化したばかりで、そこまでできた『子』に出会ったことはないわ……」
ヴェルデンに促され、アダムは近くの椅子を引き寄せ腰を下ろす。息をひとつ挟み、イヴは赤い瞳を閉ざした。
「ヴェルデンですら私と出会った時には自我を失いかけていたのだし……。もしその『子』が鬼化した直後から今に至るまで人間の助けを借りて身を潜め続けているのだとしたら、ヴェルデンの言う通り。それだけで鬼才と呼ぶに値いする才能だわ」
「鬼化の弊害は食人衝動と銀、太陽へのアレルギーだけじゃねぇ。正直、それ以上に厄介なのは学習能力、知性の低下だ」
「はい。存じております」
アダムは頷く。
自身はこうして主人らと難なく会話を交わせているが、これは幸運なことだ。主人らと同じ鬼種でも、会話が噛み合わない相手を何人と見てきた。彼らは思ったことを口に出さずにはいられないし、口にするよりも力で物事を解決したがる。
その方が分かりやすい。どちらが上の存在か、はっきりさせる。その主張は獣のそれだ。
ヴェルデンはカウンターにもたれかかる。
「だが、教会に見つかるのも時間の問題だろう。さっきの住所からしてもマンション住まいだ。家に匿ってるとすれば他の住人に勘づかれるし、別の場所で匿うにしても定期的に食事を差し入れてるとなれば隠しきれはしねぇ」
「そうね。あなたは動けないでしょうし……。私とアダムでお話しに行くわ」
立ち上がるイヴにアダムも続いた。
ヴェルデンは眉を下げる。
「気持ちは分かるがはやるな、イヴ。まずは匿われてる鬼種の居場所を突き止めてからだ」
「私が直接その彼にお話しを聞けば良いのではなくて?」
「そりゃあそれが一番手っ取り早いだろうが、今のお前は本調子じゃねぇ。体力はできるだけ残しておけ。……アダム」
「はい」
イヴは口を開きかけたがそのままつぐむ。肩を落とす主人の代わりに、アダムはヴェルデンへと向き直る。
「さっきの住所をダレンたちにもはらせる。だが昼間に動き回られちまうと俺たちじゃどうにもならねぇ」
「かしこまりました。昼間の尾行は私が承ります」
「ああ。頼む」
表情を引き締めるアダム。対してヴェルデンは口元を緩めた。
「ただし、くれぐれも背広で尾行なんてするんじゃねぇぞ」
「…………」
アダムは思わず自身の格好を省みる。
本日はパーカーにジーンズと言う実にシンプルな服装ではあったが、これは全てヴェルデンからの借り物である。何せ、持ち合わせの服がいつも決まっていた。
それまでヘソを曲げていたイヴが顔を綻ばせ手を叩く。
「まあ……! なら、これからお洋服を買いに行きましょう」
「いえ……。ですが…………オーギュスト様にもこのお話しは…………?」
「俺がする。どっちにしろ、アイツが近ごろの鬼化に関わってないか確めねぇとな。アイツはお前たちより、俺が出向くのが早い」
立ち上がったヴェルデンは「じゃあな」と。アダムの肩を叩き店のベルを鳴らして出ていった。
「かくれんぼをするなら目立つお洋服はダメよね……。最近のお洋服はどんなものが流行っているのかしら……?」
アダムの手を引き、イヴも店の扉へと手をかける。言葉を詰まらせているアダムを、店主の穏やかな微笑みが見送っていた。




