18.暗がりの中で②
丘の上に建つ家からは、浜辺を囲む大海を一望することができる。人から距離を置くように建てられた白い漆喰の家は、切り取られた絵画のようであった。
季節が移ろうごとに花が開き、小鳥が歌いにやって来る。近隣の住民たちも美しく剪定された庭を楽しみにしていた。しかし、定期的に手入れを行う庭師と挨拶を交わすことはあれど、その家主を見た者はいない。
「ご報告は以上になります」
夕暮れの寝室。華奢な腕がゆっくりと上体を持ち上げる。目をこするイヴの肩に、アダムはガウンをかけた。
「ご苦労様、アダム。あまり、ヴェルデンを責めないであげてね」
「私は……」
目を伏せ、言葉を濁すアダム。黙り込んだ彼の反応にイヴは自身の胸元へ触れる。
「あの人はよくも悪くも真面目なのよ。分かっていて私はこうしてあの人の責任感に甘えているの。まったく困ったおばあちゃんね……?」
「イヴ様……」
紅玉の瞳を細め、彼女は微笑んだ。
アダムの言葉を遮り、イヴは自身の耳元へと手を滑らせる。小さな耳飾りに触れた彼女は目を閉ざす。
「あの人と出会う前の記憶は、もうほとんど残ってないわ。覚えられていても、本当に大切なことだけ……。いいえ……。本当に大切なコトも、忘れてしまっているだけかもしれないわ」
「…………」
「私がいなくなった後まで、あの人の時間を奪ってしまうのはイヤなの。あなたのコトもそうよ、アダム」
「私の……?」
アダムは顔を上げる。
イヴは立ち上がり、窓際へと視線をやった。窓を覆うカーテンは夕暮れに染まり、サイドテーブルに置かれた小さな鉢植えが白い花を咲かせていた。
「マリアちゃんにケガが無くて良かったわね」
「は、はい……。マリア殿はヴェルデン様にお1人で挑みかかるような方でいらっしゃいますので、そう簡単に怪我をされることはないかと思いますが……」
脈絡もなく話題が切り替わり、アダムは目を瞬く。戸惑うアダムの様子に彼女は口元をおさえる。
「そうね。マリアちゃんは手強そうだわ。あの人もびっくりしていたもの。後でちゃんと、あなたの無事を報せてあげないとね」
「それは……」
イヴの言葉に顔を曇らせ、アダムは視線を落とした。
「……私の立場では、マリア殿と顔を合わせること。マリア殿へ嘘を重ねることは、ほぼ同義にございます。マリア殿は、私をお許しにはならないでしょう。なぜ今、マリア殿のお話しを……?」
「あなたがマリアちゃんのことを話している時、とても楽しそうだわ」
窓際の小さな鉢植えから離れ、イヴはアダムの肩を撫でる。傷は塞がっていたが、まだ時おり痛む。
首を傾げるアダムに、彼女は小さく笑う。
「そう、でしょうか……?」
「ええ。そう。だって、さっきの報告は、マリアちゃんのくだりが無くても、私に要件を伝えられたでしょう?」
「も、申し訳ありません……」
「あら、どうして謝るの?」
アダムは思わずイヴに撫でられた肩をおさえる。
言われてみれば、必要なのはヴェルデンがあの男から聞き出した情報であって、逃走劇の詳細は蛇足であった。
イヴは笑みを湛え、視線を泳がせるアダムの頬を撫でる。血の気の失せた手のひらは相も変わらず白く冷たい。
「あなたはいつでもアチラに戻ってもいいのよ、アダム」
「アチラ……?」
しばしの間を要し、アダムは言葉の示す所を察する。
途端に鼓動が速くなった。自身の胸に手を当て、アダムは頭を垂れる。
「私はこの命が尽きるまで、あなた様のお側を離れるつもりは……」
「アダム。あなたにもお願いがあるの」
アダムの手に細い指が絡む。
穏やかな声音は彼を諭すように続く。
「私はずっとあなたと共にあるわ。でもね、ずっとあなたの支えになれるとは限らない」
細い指先は輪郭を確かめるように彼の手を包む。恐る恐る目を開いたアダムの額に柔らかな唇が触れる。
「そのためにも、いつかはあなた自身が道を選んでちょうだい。誰かに望まれたからではなく、あなたが考えて選んだ道を」
「私は自ら望んで、あなた様とヴェルデン様に……」
「アダム」
「…………」
長い沈黙が重く肩にのしかかる。
息を詰め、アダムはかたく目を閉ざす。
「……はい。お約束いたします」
「ごめんなさい。ありがとう」
彼女のため息の意味は今のアダムには分からない。
冷たい指先は離れていくとカーテンへ伸びた。気づけば窓の向こうにはうっすらと星が輝き始めていた。
イヴは笑みを戻し、自身の長い髪を手ですく。
「さあ……。よく眠れたことですし、マスターの所で一緒に食事をしましょう」
「では、お召し物と、お車のご用意をいたします」
「ええ、お願い。アダム。その後、少しお出かけしましょうね」
暗闇で煌めく赤い瞳にアダムは頷く。
緩やかな弧を描いた主人の薄い唇から、鋭利な犬歯が覗いた。
「おばあちゃんも寝てばかりではいられないわ」




