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16.月明りを頼りに③

 マリアは予期しない闖入者に内心、頭を抱えている。

 まさか自分から首を突っ込んでくるとは思ってもみなかった。

 アルフレッドが声を潜めて呼びかけてくる。

 

「マリア、今の声は? 何が起きてるんだ?」

「あー……。アタシが説明して欲しいくらい」


 困惑しているのはマリアだけではない。

 男はナイフを握りしめ、視線を周囲に滑らせる。


「もう少しマシなウソをつけ。教会の奴らは常に2人以上で行動してるンだろ? お前も教会の人間じゃないのか?」

「随分と物知りでいらっしゃるのですね。ですが見ての通り、教会の支給品は何ひとつ身に着けていません」


 アダムはおもむろに身に着けていた腕時計を外したかと思えば、ジャケットを脱いだ。呆気に取られているマリアの耳元では引き続き、アルフレッドがローザを男の背後へと誘導している。

 アダムは男に背を向け、呆然とするマリアに脱いだ着衣を差し出した。

 ジャケットの上からでは見えなかったが、鍛えられた腕の内側には入れ墨が彫られている。十字に、三ケタの数字。

 見覚えのある紋章にマリアは密かに眉を潜める。


「すいません。こちらを預かっていて戴けますでしょうか。直して戴いたばかりの物ですので……」

「いや、アンタさっきから何してんの」

「新調のために主人のお知合いの店にて再度、採寸をと……」

「ンなことはどうでもいい」

 

 ジャケットを受け取ったマリアはその場に立ち尽くす。

 なぜ自分は今、この状況でハンガーにならねばならない。

 アダムは両手を挙げて見せた。


「これで納得して戴けましたでしょうか。私は武器の類を所持しておりません」

「デカい図体のお前と、このガキ交換して、俺にメリットがあるのか?」

「その可愛らしいお嬢さんでは、逃亡中の食料としては心もとないことでしょう。加えて、私の勤め先に身代金を請求すればそれなりの金額をご提示できるかと……。これはあなたにとって、メリットにはなり得ないのですか?」

「こンのお人好し……」


 マリアが声を荒げるも、アダムは笑みを崩さずに男へ向き直る。彼の提案に、男の顔にためらいが浮かんでいた。

 日差しがジリジリとアスファルトを焼く。男の顔からは汗が噴き出し、顎を伝っていく。

 場が膠着すると、アダムは肩を落とした。


「まだ信用していただけないのでしたら仕方ありません。できれば私も痛い思いはしたくないのですが……」


 アダムはマリアに背を向けたまま、声を張り上げた。


「私を死なない程度に撃って戴けますでしょうか。できれば肩がよろしいかと」

「……は?」


 言葉の意味が分かる者はみな、彼が暑さにでもやられたと思ったことだろう。

 しかしアダムは視線でこちらを促している。マリアは冷ややかに地面を指さした。


「アンタの頭がおかしいのは分かったけど、目は見えてるでしょ。アタシのギュンターは、そこ」

「いえ、マリア殿ではなく。彼を狙っていらっしゃる狙撃手に頼んでいます」

「なんだと……?!」


 アダムの発言に男は血相を変え、少女を連れ慌てて壁を背にした。マリアの耳元では盛大な舌打ちが聞こえる。

 黙り込むマリアへ、アダムはよく通る声で続けた。


「先ほど、教会の方々は2人以上で行動しているとお聞きしました。ならば、この場にもう1人いらっしゃるのでしょう。ですが、それを鬼種(きしゅ)であるあなたが感知していないと言うことは、かなり離れた位置にいらっしゃるのではありませんか? 逃走劇に陥るような状況で正確な遠距離射撃ができる装備と、人手を持ち合わせているとは考えにくい。あなた方の賭け事にはリスクが伴います。私は賛同できません」

「……で? 代わりに自分が犠牲になるって?」

「レディと、そのお帰りをお待ちであろう方が悲しい思いをなさるよりは、よほど良いかと」


 アダムは頷いた。

 そこへ音もなく放たれた矢じりが肩をかすめる。ブロックの上に血痕が飛び散った。

 少女が悲鳴をあげ、男は身を縮めた。

 最も冷静なのは射たれた当人だろう。アダムは眉を潜め微かに呻くも、出血箇所を手で抑える。


「ちょっと、ちょっと、ローザ……! ソイツたぶんだけどまだ一般人……!」


 冷や汗を浮かべて小声で訴えるマリアへ、無線の向こう側にいる狙撃主は平淡に応えた。

 

「あの図体を連れていれば捜索がしやすい。その子どもよりは生存率が上がる。ただし、私はこの距離でもクソ野郎の頭をぶち抜けたし、なんならヘラヘラしてるソイツの顔に今からでも風穴あけてやるわよ」

「落ち着けよ、ローザ……。マリア、ローザの言う通りだ。こうなってしまった以上は仕方ない……。こちらの状況を承知した上でわざわざ身代わりを買って出てきたと言うことは、彼には何か考えがあるのかもしれないし……。救出するにあたっても、パニックに陥っている子どもより、冷静な判断ができる彼の方がこちらとしても助かる」

「いや……。理屈は分かるケド……」


 ギュンターへ伸ばそうとした手を2人に引き留められ、マリアは屈んだ姿勢で渋面する。

 アダムは肩を押さえ、目を白黒させている男へと歩み寄った。


「これで少しは信用して戴けましたでしょうか。ついでに片腕も使えなくなりましたので、あなたから逃れることも困難になりました。十分な条件をご提示できたかと思いますが……」

「お、お前……頭オカシイんじゃねぇのかっ……?」

「そうかもしれませんね。さて、どうされますか?」


 微笑むアダムに、男はしばしアダムと少女を交互に見た。その後、恐る恐る少女からナイフを離し、彼の喉元へと向ける。

 泣きじゃくる少女の背を、アダムはそっと押した。


「可愛らしいお召し物が汚れてしまいましたね。あちらの方が新しいお召し物を用意して下さるはずです。足元にお気をつけて」

「っ……ありがとうっ……」


 少女は泣きながら頷き、マリアの元へ駆け寄る。少女の体をマリアが引き寄せるのを確認して、アダムは男へ向き直った。

 すぐさま肩口に鋭利な切っ先が突きつけられる。


「これで満足か?」

「はい。約束を守って戴けて何よりです」

「なら、次はお前が約束を守る番だな」


 錆び付いた先端がアダムの肩に埋まる。白いシャツがじわじわと染まっていった。うめき声と共に、両腕が力なく垂れる。

 マリアの手は思わずギュンターを拾い上げたが、顔を歪めるアダムの喉元にはナイフが密着していた。

 白煙が辺りに立ち込める。マリアは遠ざかる足音に向かい、銃口を向けた。


「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ……」

「…………」


 しかし、彼女の指が引き金をひくことはなかった。

 ようやく煙幕が晴れた頃には、サイレンが間近に迫っている。少女のすすり泣きが耳に届き、マリアはその頭を撫でた。

 アルフレッドの呼びかけに応えることもなく、グリップをかたく握りしめる。生ぬるい血を吸って、その銃身は銀色に輝いていた。

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