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13.夏の夜は長い②

 アダムの前で重厚な鉄扉が開くと、甘い香りが鼻をくすぐる。

 地下にひっそりと開かれたバーは相変わらず薄暗く、客はまばらだ。

 ヴェルデンは軽く肩を竦める。

 

「ボウズの趣味はどうにも好きになれねぇなァ」

「あら? あなただって喫煙家でしょう?」

「おいおい……。ヤク中と一緒にしないでくれ、イヴ」

「私からしたらどちらも大差なくてよ。絨毯やお洋服ににおいがついてしまうだけだもの」

 

 木製のカウンターにはロウソクが並べられていた。それらは燭台に備えられたロウソクとは違い、彩色され、しっとりとした甘い香りを放ちながら燃えている。

 店内には黙々とグラスの手入れをする店主と、カウンターに腰かける小さな老人の姿があった。

 こちらに気付いた老人はくるりと椅子を回す。するとその姿はみるみると変貌していく。

 くたびれた帽子の下にあった白髪まじりの頭は、鮮やかな紫の頭髪へと染まる。前髪には可愛らしい動物をかたどったヘアピン。両手首に施した刺青のシールはアクセサリーのようであった。

 老人から姿を変えた少年は笑みを浮かべ、こちらへ手を振る。


「やあ。久しぶり、イヴ! 君ってば、マジで歳とらないよね」

「久しぶりね、オーギュスト。あなたも元気そうでよかったわ」


 オーギュストと呼ばれた彼は自身のポケットへと手を突っ込み、そこから棒付きのキャンディを取り出した。包み紙をはがし、ガリ、と軽く歯を立てる。


「アダムもこの間はお手柄だったんでしょ? いいなぁ。ボクのトコでも働かない?」

「オーギュスト様から直々のご勧誘とは光栄です。ですが、私はイヴ様に仕える身であります。ご容赦ください」

「もー。アダムも相変わらずなんだからー」


 仰々しく頭を下げるアダムに彼は椅子をくるくると回す。

 ヴェルデンとイヴがカウンター席へ腰を下ろすと、店主はグラスを磨く手を止めた。店主の後ろに飾られた乾いた花の束が目に入り、イヴは目を細める。

 

「まぁ、この間のお花。ドライフラワーにして下さったの?」

 

 店主もにこやかに微笑む。彼は何も言わず2人の前にグラスを用意する。

 ヴェルデンはカウンターへ肘をつく。


「ボウズもお前たちも、揃いも揃って器用だな」

「あなたも何か育てるか、作ってみてはいかが?」

「俺は作るよりも鑑賞する側が性にあってる」


 ヴェルデンは彼女の流れる白髪を横へ梳き、銀色の耳飾りへ口づけを落とした。イヴは眉を下げ男の指を絡める。


「恥ずかしいわ、あなた」

「慎ましい男じゃなくて残念か?」

「もう……。困ったヒト……。あまりからかわないでちょうだい」

「ほんっと。いい歳なんだからそういうの程ほどにしてよねー」


 オーギュストはくるくると回転する椅子の上であぐらをかいている。

 イヴが指を放すとヴェルデンは肩を竦め、両手を挙げてみせた。咳払いを挟み、イヴは髪を耳へかける。


「ごめんなさい、オーギュスト。頼み事と言うのは何かしら」

「そうそう。その話ね。イヴとヴェルデンくらいにしか頼めないからさー」


 ピタリと椅子を止め、オーギュストはそれまでの笑みを消した。


「最近、教会のヤツらが調子にのってると思わない?」

「向こうも食われたくねぇからなぁ。そりゃあお互い必死になるさ」


 ヴェルデンはカウンターへよりかかり、灰皿を引き寄せた。

 オーギュストの歯は飴を細かく砕いていく。


「この間もさぁ……。スヴェンのヤツがボクの庭に入り込んできて畑を踏み荒らしていったんだよ」

「ガサ入れされたって言うのに、逃げ切ったのはさすがと言うべきだな」

「教会のバカどもにボクが捕まえられる訳ないじゃん。いつもみたいに今ごろ別人をしょっぴいてるんじゃない?」


 オーギュストは鼻であざ笑う。彼が伸ばした手の平は広げると、色白から浅黒く変化し、ゆっくりとまた元の色へと戻る。


「でも、おかげで大損さ。今月の取引はぜーんぶ延期。まだ在庫があるって言ってんのに取引先がビビッて買いにこないでやんの」

「いい加減、取引先を変えることも視野に入れておくんだな」

「そんな簡単に変えられたらボクだって苦労はしないんだよね、おじいちゃん」

「あなたの言いたいことは分かったわ、オーギュスト」 


 冷ややかな声音の2人の間にイヴが割って入る。

 ふたつのグラスには真っ赤な液体が揺れていた。

 店主はもうひとつ、水で満たしたグラスをカウンターの端へと置く。アダムは静かに頭を下げた。


「でも、いたずらに教会を刺激してはダメよ」

「俺もイヴと同意見だ」

「ハァ?! なんでさー!」


 難色を示す2人にオーギュストが椅子から立ち上がる。

 ヴェルデンはグラスを傾け、濡れた唇を舐めた。


「タイミングってものがあるだろう、オーギュスト。今の教会は本格的に政府との繋がりをもってからデカくなった。対して、俺たちは基本的に同類でもつるまねぇし、ほとんどの奴らは昼間の行動ができねぇ。せめて日が短くなる季節を待て」

「ヴェルデンの言う通りよ、オーギュスト。それよりも食事に困っているコたちを助けないと、討滅されるより前に飢えで死んでしまうわ」

「あいつらがいるから、狩りもまともにできないんじゃないか! 今だって誰かが勝手にこの辺りで『子』を増やしてるしさぁ!」


 眉を吊り上げ、オーギュストは腰へ手を当てる。


「上下関係をはっきりさせてやらないと! イヴが声をかければ()()()()みんなついて来るのに!」

「今の私にはもう昔ほどの力はないのよ。ヴェルデンから聞いているでしょう?」

「だったら、なおさら教会は邪魔じゃん! アダムだってそう思うだろ?」

「アダムを巻き込むのは止めてちょうだい、オーギュスト」


 イヴは声を落とした。口を開きかけたアダムをヴェルデンの視線が制す。

 そのまま閉口するアダムの様子に、オーギュストはますます頬を膨らませた。


「じゃあもういい! 2人が何て言ったって、ボクはやるよ!」

「お前に何かあっても、俺たちは助けられねぇぞ」

「別にいいさ! 犬小屋に繋がれるくらいなら死んだほうがマシだからね!」


 オーギュストは勢いに任せて扉を開けた。重い鉄の扉が鈍い音を立てて壁へぶつかる。華奢な少年の姿は瞬く間にくたびれた老人へと変わり、その背は見えなくなった。

 静寂が訪れたカウンターにはイヴのため息が募る。アダムが声をかけると、彼女は力なく首を横へ振った。


「少し気が重いだけよ。大丈夫」

「いつもの癇癪だ。そう気に病むな」

「ありがとう、ヴェルデン。あなたには助けられてばかりね」

「止せよ。それより、一口どうだ」

「今は……ごめんなさい。遠慮するわ」


 赤い液体がゆったりと揺れる。差し出されたグラスを見つめ、イヴは口を閉ざす。

 ヴェルデンはイヴの青白い頬を手の甲で撫でる。


「お前も俺も『子』をもたないと決めたからには後腐れないようにな」

「ヴェルデン様……」

「ああ、すまない。俺としたことが、言葉が過ぎた」


 アダムの苦言にヴェルデンは目を伏せた。

 イヴの代わりにグラスを満たす液体を飲み干し、彼は顔を上げる。薄暗い中に金の双眸が光を帯びた。


「だが、ボウズの言うことも一理ある。アダムが出くわした幽鬼からしても『子』を増やそうとしている輩がいるのは確かだ。狩りが満足にできず、焦ってる奴はボウズだけじゃない」

「ええ。私も気になってはいたの。あなたの方では何か分かった?」

「そっちも気がかりなんだが、この間お前にも話したろう?」

「近頃、薬物中毒の浮浪者や娼婦の死体がやけに多いと言うお話ね」

「ああ。オーギュストも心当たりがないとなると、それなりのやり手だろう。命知らずの売人か、どっかのカルテルが流行らせてんのかはまだ分からないが、いい加減に灸を据えてやらねぇとな」

「そうね……。食欲を制御できるコなら良いのだけれど……。薬漬けの死体をむやみに増やされるのは困るわ」

「口にする物は考えろと教えてるはずなんだがなぁ。俺は母親じゃねぇんだ」


 顔をしかめるヴェルデン。その頬を撫で、イヴは微笑む。


「忙しいとは思うけれど、無理をしないようにね、あなた」

「ああ。分かってる。お前たちも気を付けろよ」


 頬に添えられた唇は冷たい。色鮮やかなロウソクの火がひとつ、またひとつと消えていく。

 イヴの手を引き、アダムは隠された酒場を後にする。

 階段から地上へ出ると、朝日が夜空を蝕んでいた。2人は路地の影を辿り、小さな乗用車へと乗り込む。

 後部座席に腰を下ろしたイヴは口元をおおう。


「アダム、ごめんなさい。私は少し眠らないと……」 

「ヴェルデン様と共に事態の収束に努めます。イヴ様はゆっくりお休みください」

「ありがとう、アダム」


 バックミラー越しに見た主人の顔は透き通るような白さだった。

 アダムの表情を感じ取ったのか、イヴが小さく笑う。


「眠れば大丈夫よ。心配しないで」

「……承知しております」

「そう言えば、あなたのアップルパイが食べたいの。この間、市場でリンゴを買ってきてくれたでしょう?」

「お任せ下さい。ところでアップルパイと言えば。昨夜、私が作り置いているコンポートを召し上がりましたね?」

「……あら、さっそく眠くなってきたわ」


 そう言っておきながら彼女は窓の外へ視線をやった。アダムは肩を落とす。


「誤魔化さないで下さい、イヴ様。あれはデザートに使う予定だったのですよ。一切れ二切れならまだしも……」

「しょうがないわ。アダムの作るものは何でも美味しいんだもの……」

「もうその手には乗りません。今日のデザートはお預けです」


 苦しい言い訳を一蹴したアダムはエンジンをかける。年代物のギアは動きがぎこちない。

 バックミラーに映る主人はむぅ、と口を結んでいるのだった。

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