11.そして夜がくる②
何度も応答を求めたが依然とノイズが続いていた。顔をしかめ、マリアはフードの男へと視線を戻す。
男はこのじっとりとした熱帯夜の中、手袋まで着用し、覆面で目元まで覆っている。
堂々と倉庫街の真ん中を歩く姿に、さすがに先ほど通り過ぎて行った部隊も気付いたようだ。
銃を構えた隊員に行く手を阻まれた男は足を止める。
「ここは現在、立入禁止です。即刻、規制線の外まで引き返しなさい」
男は両手を挙げながらも首を横へ振った。当然、男の周囲を武装した部隊が取り囲む。
マリアたちは物陰から遠目にそんな様子を眺めていた。ひそかにコンテナの上へとあがったローザは矢をつがえ、男へ照準を合わせる。
「アレが鬼種でないなら、鬼種に肩入れしているカルト教徒かしらね」
「危ない宗教っぷりなら丸腰の相手に数人で銃口向けてるウチも負けてないケド」
「いつだか鬼種の狂信者が服の下に爆弾の簀巻きとかありましたのです」
「あったわねぇ、そんなこと。……ってそれ、この距離じゃシャレにならないっての」
発砲音が響いた。そして「敵襲」との掛け声。
男を取り囲んでいた隊員の1人が地面に倒れている。原因は明らかだった。男は意識のない隊員を盾のようにして抱え、下水道に続くフェンスの扉へと近づいている。
マリアは立ち上がり、腰のホルスターで鈍く輝くハンドガンをなでた。
「さ。お仕事よ、ギュンター」
固いグリップは冷たく心地よい。
傍らで鞘から刃が抜かれると、黒い刀身が鈍く輝いた。メイは自身の身の丈ほどもあるそれを軽く払う。
「なぜ1人です? しかもどうやら規制線外から来たようなのです」
「こちらから見えないだけかもしれない。ダメガネの援護には期待せずに行くわよ」
「オーケー。ローザちゃんは高所からの援護ヨロシク」
ローザは倉庫の暗やみに紛れ、瞬く間に姿を消す。
マリアとメイは男の背後から徐々に距離を詰めた。
フェンス沿いに進んでいた男は不意に足を止めたかと思うと、盾にしていた隊員を前方へと突き飛ばし、その方向へ駆けだす。
駆けると言うよりは「跳んだ」と表現すべきだろう。彼の一歩は瞬く間に間合いを詰め、自身へ向けられた銃身を掴んで奪い取る。マリアの目から見てもその動作は手慣れていた。
怯む相手の腹部へ重い一撃を加え、横から標準が己れに定まれば意識のないその体を盾として使う。射手がためらう合間に1人、また1人と、包囲を崩していく。
男の手際にメイは感嘆の声をもらす。
「滅鬼武装に正面から突っ込むとは、なかなかの図太さなのです。それとも鬼種ではないです?」
「イヤイヤ。どう見たって人間の動きしてないでしょーが」
マリアは思わずナイナイと手を振る。何せ、男は四方からとんでくる弾丸を意識的に避けている。視覚外からも迫る弾丸を避けられる動きを『常人』が行えるはずはない。
発砲音は徐々に減っていた。そんな中、下水道の入口でぞろぞろと影が蠢く。それらは皆、顔が見えないようフードや覆面をしている。
その中でも一際に巨躯と思われる人影が、フェンスに備え付けられた扉を錠前と共にいとも簡単に蹴破った。脱出ルートを確保した彼らはいそいそと夜の暗がりへと向かう。
それを追う者は誰一人としていない。
無線の向こうでローザが悪態をつく。
「ダメガネの予想通り。数は20前後。後続の殿がいると考えるならヘタに追撃はできない」
「こっちでも確認したわ。あっちが本命で、あのゴリラは囮ねー」
「交戦、撤退、援護。どうしますです?」
「ゴリラが囮なら、第2がゴリラの相手をしてる内に本命をもらう。こっちで注意を引くから挟むわよ」
弓の弦が揺れ、音もなく凶器が放たれた。
しかし、彼女の矢が獲物を捕らえることはない。射られた矢は、横から割り込んできた男の手によって叩き落とされた。フードの男はやはり無言でこちらの前に立ちはだかる。
威勢よく警告を発していたはずの武装集団は今や全員、地面にのびていた。呻いている者も見受けられ、どうやら命に別状は無いらしい。
マリアの耳に小さな舌打ちが聞こえた。
「ホント使えないわね……。時間稼ぎもできないなんて」
「まあまあ。仕切り直すわよ、ローザちゃん」
「そっちに合わせる」
「おーけー。任せてちょうだい」
ローザに応えたマリアは銃身で肩を叩いた。
「にしても、生きてるなら放置ってワケにもいかない、か……」
「では、防衛に徹するです?」
「まさか」
銃口を男へ向け、マリアは口角を持ち上げる。
「殴られるだけは性に合わないっての」
「同感なのです」
メイもマリアと共にフードの男と対峙した。彼も彼女たちを立ち塞ぐようにこちらの様子を窺っている。
潮風がぬるりと港を吹き抜ける。
マリアは男の顔が存在するであろうフードの中心へと銃口を据えた。
「こんばんは、ゴリラさん。聖典教会、討滅第13部隊。マリア・ベルよ。大人しく全員投降してくれたりしない?」
「…………」
「意外にも言葉が通じるのです」
無言で首を振る男をメイが茶化す。男の顔は目深に被られたフードに加え、口元を覆い隠すマスクで表情も伺えない。
メイが刃を構えると、男は足を前後へ開き、拳を構えた。
「ふーん……? ずいぶんな自信じゃないの?」
マリアは口端といっしょに眉根を持ち上げる。
物陰から飛び出したローザを合図に、マリアとメイも男へ肉薄する。ローザの放った矢を難なくかわした男は頭上から迫る刃も紙一重で避けた。
「1人で乗り込んでくるだけのことはあるのです」
「ま。だからって手加減はナシね」
マリアが横から男の胴へ弾丸を打ち込む。弾道は身をひるがえした男の脚を掠め、その体勢を崩した。後ろへ飛び退いたメイが左手で短刀を抜く。同時にローザの矢は男の背を捉えていた。
フードの下で、男が息を呑む。
「気乗りしないけど仕留めるわよ、ギュンター」
マリアが鋭く息を吐き、跳躍した。手中で銃身が淡く輝いて彼女に応える。
「まあ、そう熱くならないでくれ」
「なっ?! あっつぅ?!」
突如として、どこからともなく湧いた炎がマリアの全身を舐めた。
マリアはとっさにギュンターを放つ。その衝撃で少しでも後ろへと距離を取り着地する。
ジリジリと肌が焼け、髪先が嫌な臭いを放つ。
「『鬼才』……!」
肺に熱風が吹き込み、堪らず咳き込む。見れば、メイとローザもあわやと言うところで身を引いていた。
大きく後退したマリアは裾にまとわりつく火の粉を払う。
炎の湧き立つ方角には、先ほど視界に映った巨躯が立っていた。彼は顔を隠していたフードを払うと、こちらを見て金色の双眸を細める。
「あンのデカいの、ヴェルデンか……!」
熱風に巨漢の赤毛がなびく。
その手から放たれる炎はまるでマリアの前方を隔てる壁のように高く燃え上がる。気づけばマリアだけが炎の中で孤立していた。
マリアは悪態をつき、駆けだす。炎の合間を縫うと全身から汗がふき出す。
「メイ……!」
「……!」
肉薄する気配を感じたメイがとっさに刀身で自身の体を庇う。瞬く間に距離を詰めた巨躯は、小柄な彼女の体をボールのように殴り飛ばす。刀身ごとふき飛ばされた彼女の体をローザが受け止めるも、2人は地面を転がっていった。
「クソッ……!」
「っ……?!」
直後、マリアは体を反転させた。闇に紛れて背後へ回り込んでいたフードの男は慌てて自身の足へブレーキをかけた。
その胸部へ素早く狙いを定めたマリアはためらいなく引き金の指に力を込める。
「ナメんじゃないわよ……!」
ギュンターは彼女の意思を受け再度、輝く。
わずかに垣間見た男の目には焦燥が浮かんでいた。
「そいつはダメだって言ったろう、お嬢さん」
「っ……!」
マリアの反応よりも速く、燃える拳は横から迫った。
ゆったりと緩んだ唇の合間から犬歯が覗く。重い衝撃が腹部からマリアの全身に響き渡る。
骨や内臓が軋んだ。マリアの体は地面を跳ね、古びた倉庫のシャッターを歪める。全身が一斉に命の危機を訴えた。
頭蓋骨の中で脳がぐらぐら揺れる。
うめき、むせながらも。マリアは地面を殴りつけ、体を起こした。寸前でギュンターの銃身で直撃を防いだものの、衝撃まではカバーできない。
揺れてかすむ世界で、フードを目深に被った男がじ、とこちらを見ていた。
「っ……っ……くっそ……!」
言葉よりも吐き気がこみ上げる。無線越しに名前を呼ばれている気がした。
握ったギュンターの照準は定まらず、喉が妙な音を立てている。
遠くの波音に混じり、どこからか女の声が聞こえた。
「2人ともありがとう。みんな離れたみたいだから、私たちも戻りましょう」
「ああ。あとはダレンたちが上手くやるだろう。帰るぞ」
2つの声に促され、フードの男は途端に踵を返した。
マリアは叫ぶ。
「ギュンター……!」
応えた銃身は手に吸い付くように、途端に軽くなった。沸騰する血が全身を駆け巡る。
しかし、一歩踏み出した彼女の行く手を炎の壁が阻む。
「悪いがまた今度な、勝ち気なお嬢さん」
「こンのっ……!! まてっ……!!」
夜に溶けていく影に、マリアは歯噛みする。やり場をなくし、昂ぶった血が切れた唇から伝う。
相変わらず生温い潮風は解けた彼女の髪を緩やかに撫でていった。




