10.そして夜がくる①
デスクワークによる、ひどい肩こり。腰痛。眼球疲労。
せめて禁煙を進めるべきかもしれない。近ごろはますますそう感じた。
アルフレッドは冷えた缶コーヒーを額へあて息をつく。
「マリア、無線は良好かい?」
「おっけー」
「抑制剤は?」
「飲んだ」
「弾薬は?」
「さっき確認したわよ……」
「作戦はちゃんと把握したか? 戦闘中にはぐれるんじゃないぞ」
「アタシは子どもかっての……!」
無線越しのマリアの憤慨が鼓膜を震わせる。眠気覚ましを終えたアルフレッドは適当な相づちを返してコーヒーをすすった。
デスクに並べられたモニターへ常に視線を滑らせ、異常を探す間違い探し。この席に一度腰を下ろせば作戦終了まで立ち上がることはほぼない。
対して、マリアの肌は生温い潮風に汗ばむ。
視界に広がる港は停泊しているタンカーに明かりはあれど、貨物の積み下ろしをしているはずの重機は沈黙している。波の音に混ざり、遠くから発砲音が響いた。
古いレンガ造りの倉庫が立ち並ぶ一角で、マリアは肩を落とす。
「ってか、もう始まってるんだケド?」
周囲に人の気配はなく、屋根の上ではローザが弓に備え付けられたスコープを覗いて周辺の戦況を眺めていた。メイは木箱の上で座禅を組み、目を閉ざしている。
「やめとけ、やめとけ。弾のムダだ」
アルフレッドの隣でタバコをふかすレイモンドの前では無線の音声が入り乱れていた。
コーヒーを飲み干したアルフレッドは空き缶を端へ寄せる。
「俺たちの目的は第2部隊から逃れてきた鬼種だ。作戦会議で説明しただろう、マリア」
「こんな離れた場所じゃ狙えないわよ。逃したらどうすんの」
「第2部隊は対象の倉庫を包囲して制圧する予定らしいが、鬼種がわざわざあの倉庫を指定して集会所にしてるってことは、何かしらのメリットがあるはずだ」
「真下に昔の古い下水道があるんでしょ?」
淡々と答えるアルフレッドにマリアは口を尖らせる。
「そう。包囲された際の安全な脱出ルートが考えられるのは周辺でその倉庫だけだ。だから下水道の先で待ち伏せして不意を突く。他の任務へ人員を割いている以上、こっちの戦力は君たちだけだからな」
「下水道が脱出ルートになってる確証はないし、第2の連中が狩り尽くしたら意味ないんじゃないのー?」
レイモンドはまあまあ、とマリアをなだめる。騒がしい無線機に紫煙を吹きかけ、彼は背もたれに体重を預けた。
「鬼種は耳が良い。これだけ静かじゃ、勘の良いヤツはとっくに警戒してたろうよ。それでもわざわざ集まってったってコトは、逃げきる自信があるか、戦力集めてるか……。どちらにしても俺なら正面から突入したくないわな」
「そもそも、第2部隊の戦闘に割って入ったところで、情報を吐かせる前に追い出されるのがオチだぞ。俺たちはあくまで外回りの最中に鬼種と出くわした体を貫かないとまた反省文だ」
「そうだけどー……」
マリアは言葉を濁す。
頭上へ視線をやるも、ローザは相変わらず哨戒を続けていた。その下でメイがあくびをひとつ。
「コッチに逃げてきた奴らが空振りだったら?」
「その時はその時。リスクとリターンが見合う保証もねーし」
「なら自分が働きなさいよ」
「えー? こんな老人にまだ働けなんて無体な」
「毎週のように競馬場まで歩いていくがクソジジイが何ほざいてンのよ」
悪態をつこうとしたマリアだったが、不意にローザの声が割り込む。
「レイモンド、客よ」
ローザは声を潜め、身を屈めた。
屋根から下りてきた彼女の後にならい、マリアとメイも物陰を背に身を低くする。
波が打ち寄せる音に混じり、複数の足音が近づいていた。何かを探している様子で声をかけ合う。彼らは周囲を見回し、足早に通り過ぎていく。
メイが嘆息し、腰の柄へと手を伸ばす。
「仕方ないのです……。みね打ちでガマンしてやるのです……」
「じゃ、アタシも後ろから殴って鬼種のせいにしとこうかなー」
「頼むからバカな真似はしないでくれよ……?」
アルフレッドの制止にローザの小さな舌打ちが聞こえてきた。
遠くの銃声が止み始め、それに比例するように周辺の足音が増えている。
「どうすんのよ、レイモンド。第2の連中ここまで追ってきたみたいよ?」
「無線の様子からしてもスヴェンくん逃がしちゃったみたいだなぁ……。アルフレッドくんの予測が当たったかネ」
「だと良いんですけど」
無線機のひとつから聞こえてくる声を聞き、レイモンドは口元を緩めた。
アルフレッドは指でメガネを持ち上げる。
「下水道の周辺は倉庫街の監視カメラから確認できる。動きがあれば俺が教えるから、それまで君たちは待機だ。第2部隊と揉めてる最中に、鬼種に乱入されたくないだろ?」
「なら、向こうより先に見つけなさいよ」
ローザの隣でしゃがみこみ、マリアは物陰から周囲の様子を窺う。首筋に汗がにじんだ。
等間隔で設置された街灯がレンガの壁を照らす光景は、写真映えするスポットとしても人気であった。長年の潮風でシャッターの塗装は剥がれ、レンガの色も褪せている。趣きのある港の情景も、今は重々しい空気に包まれていた。
トントン、と。メイの指がマリアとローザの肩を叩く。彼女は口元に立てた指を、自身の視線と同じ方角へと向けた。
マリアは目を細める。
暗がりから人影がゆったりと現れた。輪郭からして、長身の成人男性であろう。
目深にフードを被った男の顔は夜の闇に紛れていた。その足はどうやら下水道へと向かっている。
マリアは声を潜め、マイクへ声をかける。
「アル。そっちから見えてる?」
返事はない。代わりに聞こえてきたのは、ざーざーと耳障りなノイズだった。
「……あれー? アタシの無線、なんか調子悪いんですけど……?」
マリアはぎこちなくローザとメイへ視線をやる。
ローザは無言で無線機を外し、メイも肩を竦め、頭を振るのだった。




