ロジックワークス
綺麗な金髪に、輝く金眼。
表情を読み取りにくいその整った顔は、歴戦の戦士のようだと思っていた。
自他共にヘタレな弓使いである俺とは対照的な恵まれたその身体。どの武具でも使いこなす器用さ。
俺が彼の役に立つことが出来るだろうかと、広い背中を見ながら思った。
ロジックワークス
ギルドの集会所兼食堂で今日はどこに行こうかと掲示板を見ていたら、肩に軽いタッチで大きな手が降りてきた。
「!?」
仲間の誰かならこんなにも優しく触れては来ない。もっと手厳しい扱いなので、逆に全身で飛び上がってしまった。
背負っている矢筒が盛大な音を立て、何でもないことに驚いた自分自身にさらに恥ずかしさが込みあがる。
――……落ち着け俺!
笑われること覚悟で振り返ると、短い金髪を前髪だけ撫で上げている、最近仲間と一緒に狩りをしているウィルが立っていた。
ウィルはこの雪山を背にした村に越してきたハンターだ。ソロハンターとして各ギルドでは有名で、工業都市部を中心に活動していた。村に越してきた理由は知らないが、彼と仲の良い弓使いのルーグは、純粋に討伐数増やしたいのではないか、と言っていた。
討伐数や倒したモンスターの大きさなどによってハンターの実力がランク付けされているため、都市部はハンターにとって基礎やお使い程度の依頼からパーティで取り組む大規模討伐まで幅広く扱っている。対して個別の村などに集まる依頼は近隣整備や警護、討伐依頼があったとしてもソロや四人程度までの実力重視のギルド一つで賄えるようなものになりがちだ。
ルーグという知人を頼りにソロを本格的に始めるのだろうか。それが俺から見たウィルへの第一印象だった。この村に逗留するとしたら、村の背後に聳える雪山の、稀少種――レアモンスター狙いかもしれない。
俺の肩に手を置いたままの彼は俺の反応に驚いたようで、髪色よりも瑞々しい金眼を何度も瞬いてどう話しかけようか迷っている様子だ。
――ごめん、あんなので驚いてごめん、困らせてごめん。
軽い挨拶程度の接触への反応を心の中だけで謝り、俺は至って普通に会話をすることにした。
「……おはよう、ウィル」
「……ああ、おはよう」
漸く手は外され、ウィルの動揺も落ち着いていったようだった。
それでも居心地の悪い空気になんとなく視線を合わせ辛くなり、逃げるようにして彼の得物を見た。
背中側に用意されているのは、身の丈よりも大きなハンマーだった。なかなかに、珍しい武器だ。
村に来てからもソロで狩りに行くことが多いウィルは片手剣のような近接武器を選ぶことが多い。叩き潰すことを重点においているハンマーは最大威力はかなりのものだが振りかぶる時にどうしても隙が生まれやすい。ソロ向きではなかった。大型モンスターの依頼でも入り、パーティを組むつもりなのだろうか。
ぼんやりと、使い込まれて変色しているグリップを眺めた。
「リム、何か依頼を受けているのか?」
「いや、今日はフリーだけど」
ここ数日で聞き慣れてきた落ち着いた低い声に視線を戻そうとウィルを見上げると、彼が依頼書を差し出した。
「名指しの依頼があるんだが、一緒に行かないか?」
「ん……這竜の討伐、か」
這竜。名前の通り、飛行するための翼を持たない種類の竜で、地面を四つの足で蛇行しながら這うように移動する。比較的尻尾が長く、そこには左右対称に鋭い棘がある。飛行は出来ないが、身体を前後に反り曲げてジャンプすることがあった。前方にしか飛べないが、這うためにある前足の爪がよく研いだナイフのように殺傷能力が高い。
雌雄の数はほぼ同数だが、今回の依頼場所である樹海はこの村からかなり離れた場所にある。そこで確認されている全頭数は圧倒的に少なく、雄の方が多かったはずだ。きっと樹海付近から近隣の町までのどこかで這竜を見かけ、慌てて討伐依頼を出したのだろう。依頼書にも雄一匹と記されている。
「用意できたら村の出入り口に来てくれ」
「わかっ……ん?」
――あれ? 俺、行くって言ったっけ?
いつの間にか行くことが決定していた依頼書を握りながら、前衛ソロハンターとして各都市部を始め多くのギルドに名を馳せている彼の背中を見送ってしまった。
おかしいと思いつつも、俺の足はしっかりと依頼受付カウンターに向かい、追加のお願いをしていた。素直に従ってしまった辺り、自分も行きたかったのだろうかと思ってしまう。
――まぁ、いかにソロハンターだろうと這い回って時に飛びかかってくる竜が相手だ。サポートが欲しいのだろう。うん、そうだよきっと。
無理矢理自分を納得させて集会所を出ると、ギルドの仲間内でも背の高いウィルを探して村の出入り口へと向かった。
*
自身の得物である弓を引き絞り、集中する。
狙い通りに飛翔する矢の命中を感触で知り、休むことなく次の矢を番えた。
弦を引き、這竜と対峙しているウィルの邪魔をしないようにダメージを与えることは、少し難しい。ハンマーに合わせて足止めをする程度になっていた。まだウィルとのパーティや連携に慣れていないだけだが、こうやって二人で狩りをすること自体が初めてという事もあった。
――弓使いならルーグの方が仲良いし、後衛がほしいなら後輩としてボウガン使いのスーリィがいる。
何より、彼と出会ったのは村のギルド入会時の二週間前だ。
呼吸の合わないパーティで、名指しの依頼に行くだろうか。俺なら誘わない。もし同じようなことがあったなら、依頼主に期待されている討伐に初対面の人物を誘ってもいいものだろうかと、かなり悩むはずだ。
「――っリム、悪いそっちに行くぞ!」
「了解!」
――まぁ、まずは狩りに集中しなければ。
打ち付け損なった竜が荒々しい威嚇の咆哮とともに俺へと牙を剥いてくる。
番えたままだった矢を一発額に撃ち、間髪入れずに前転回避すると、這い回るために発達した竜の爪が右腕を掠めていった。寸でのところで間に合うも、かなりギリギリだった。一緒に狩りをしているのがウィルでなければここぞとばかりに仲間からからかわれただろう。
「リム!」
「平気だ!」
追いかけてきた彼に短く答え、体勢を立て直しながら矢を速射する。
三発中二発は勝手が違う方向へと飛んでいった。
――こんなに近くて外すなんて、ホントにヘタレだ!
悪態付きながらも棘付きの尻尾を暴れ振るう獲物を回避してもう一度弓を引き絞った。
放とうと標的を睨んだとき、頭の動きが変則的になった。方向を複雑に変えながらこちらへと向かってくる這竜の頭部へと目掛け、影がかかった。ウィルのハンマーが振り下ろされていく。
骨が砕ける、歪な音。
思わず歯を食いしばる。這竜の怒りの眼から光を失っていくのが見えた。そのまま地面に沈んでいく。
「……」
弦を引いていた右腕を戻し、矢を背の矢筒に指し直す。
這竜が完全に息絶えたことを確認しているだろうウィルに近付くと、彼も背中にハンマーを背負い戻した。無事に済んだらしい。討伐の証として頭部に申し訳程度に生えている耳の部分と長い尻尾の棘を一本削ぎ落とすようにナイフを入れていく。
俺は愛用している弓を片手にウィルへと近付いていった。
「お疲れ様」
「ああ」
肩に入っていた力が抜けたのか、彼は僅かに口角を上げて小さく微笑んでいた。
――うれしい、のかな?
この二週間、鉄壁のように狩りをする姿しか見ていなかった俺は、ウィルのその表情の微妙な変化の意味がわからなかった。
「さてと、迎えっていつ来るんだ?」
「あー、明日だったはずだ」
「じゃ、キャンプに戻りますか」
詳しい日程を読み込む前に受け付けへと依頼書を出してしまったので、ウィルしか行程を知らない。軽く頷いて、先を行くウィルの後に続いた。
この樹海は村からも街道からも遠く、戦利品となるモンスターの皮や爪等を持ち帰るための迎えの馬車が来るまで、比較的安全なキャンプ地で待機するしかなかった。もっと言えば、迎えの馬車は狩場の荷物しか運ばない。荷物が戦利品になるか俺たちハンターになるかは実力次第だ。
討伐した這竜の血に誘われて小型モンスターが近付くこともあるが、自然調和のため、殺すことはあまりしない。逆に、大型モンスターは自分で狩ったものしか食べないので今回は這竜近くで野営する必要もなかった。
*
ギルドに登録されているハンター全員がギルド経由でしか依頼を受けない。自然を乱すモノはまず人、という考えだからだった。
今回の依頼も、人里近くに下りてきた這竜が人を襲う前に討伐することが主旨となっている。
しかし、だからこそ気になることもある。期待値の高い大切な依頼に、まだ信頼関係も未完成な俺が付いてきて良かったのか、やはり疑問に思ってしまう。
前を歩くウィルならソロでもハンマーを手に立ち回り、難なく狩りを終えただろう。
「ねぇ、何で俺を誘ったの?」
勧誘するにしても、旧知だと聞いているルーグのほうが実地では有利に事が運ぶだろう。集会所で声をかけられてからずっと不思議だった。
掛けた声にぴたりと足を止めた彼が、振り向いて俺を見た。
――え、何、変なこと聞いた?
ウィルの返事を待っていると、ふいに視線を逸らされた。
「……まぁ、何となく」
――何ソレ
心で言いつつ眉根を寄せると、ウィルは近くに生えていた熟れた果実をもぎ取って俺に差し出した。無花果に似ているが、もぎ取った茎部分からの甘い香りがほのかに強い。
「ルーグとナギの邪魔はしたくないし、ね」
確かに、あのカップルの間に入って、邪魔だと言わんばかりのルーグの嫉妬の視線を受けたくはない。
だがこれは、仲間内、いや所属するギルド全体で知っていることだ。その取って付け足したような理由を、釈然としないまま甘い果実と一緒に一応受け取った。
――暗に使えない俺を、励ましてる、とか?
それほど仲が良いわけでもないウィルの得物であるハンマーの柄には、まだ乾いていない血が付いていた。
自分が、チーム内でも使えない部類にいることは知っている。
大剣使いのアッシュとの方が馬が合うのか仲良さげに会話している。槍使いのセトとの方が息が合っていることも、ボウガン使いのスーリィのサポートの方がウィルの役に立つだろうと、思ってしまう。そういったものが、数えたらきりがないほど思いついてくる。
そして俺は、同じ射手であるルーグほど的確な射撃はできない。
理由が、何となく、なわけがない。
たった二週間とはいえ、しっかりとした理由がなければ行動には移らない人物だと知っている。
二十センチほど高いその背中をじっと見ても、その真意までは見えなかった。
矢筒とともに背負っている弓に手を回し、俺がここにいる理由を探したが、わからなかった。
いつの間にか決定した狩り、いつの間にか叩き潰された這竜、いつの間にか追いかけているウィルの後ろ姿。
導かれるようにして辿り着いたキャンプ地は、すでに日が落ちかかっていた。
臭いと音と光は他のモンスターを寄せ付けてしまうため、余程のことがなければ森で火は焚かない。二人用のテント張りを手伝いつつもまだ俺の中はもやもやとしたものでいっぱいだった。
ピンと張ったテントに入り、互いに携帯食を食べる間も無言だ。ウィルが寡黙なタイプなこともあるが、俺も用がなければ話しかけないので自然と無言になっていた。
寝床に座りながら矢筒に残った矢の状態と数を確認し、鏃と羽の手入れをしてしまうことにした。
樹海の末端にあるキャンプ地とはいえ、ここはモンスターたちの領分だ。油断できる場所ではなかった。
「リム」
「何?」
「……、……」
手元から顔を上げて、夜でも瞬く金眼を見つめる。
初めて顔を合わせたときも、綺麗だと思った。純度の高い貴金属は自ら光輝くと聞いたことがあるが、それが本当であればこんな輝きなのだろうかと思えるほど美しい。
その瞳に何か揺らいだものを見て、首を傾げた。金眼が曇る、その理由を知りたかった。
「ウィル、どーした?」
間延びして聞く癖は、幼馴染であるナギやルーグにもやめるよう言われたが中々直らないものだった。
――不快にさせたかも……。
二人曰く、子供のようで嫌だと言われたが、俺のほうこそまだ子供っぽい癖が抜けなくて顔をしかめるしかない。これでも極力気を付けているのだが、狩りの後という気の緩みからぽろりと落ちてしまった。
だが、ルーグという底抜けに明るい性格と友人をしているウィルがそんなことを気にするだろうか。たぶん大丈夫だろう。
「無理、させたか?」
「や、してないよ。ウィルこそ誤射に当たってないよね?」
柄に付いたままの血を指差しながら言うと、ウィルは今気付いたようだった。
「これは這竜を潰した時のものだ。……それより、全弾命中だっただろう?」
「二発外してるよ。というより、俺、そんなに上手くないから。ウィルは過信してる」
「……」
「後衛だし、叩き逃したときだって気にすることはないよ」
自分でも回避行動くらいは出来る。
自嘲のような苦笑いを向けると、ウィルが眉根をぎゅっと寄せていた。珍しく厳しい顔をしている。
狩場では淡々とした無表情で通す彼の、気に触れてしまっただろうか。
それとなく視線を外して弓に触れる。
硬い石に数回打ち立てて持ち、弦の張りを直してから愛弓を抱えた。
「気にするなというほうが、気になるんだが」
「……え、何で?」
「叩き損ねたモンスターが走り出すと、背筋が凍る」
「えーと、さすがに俺でも回避できるよ?」
「命中上げるためにやけに近い」
「遠投もいいけど、今回みたいに地面すれすれを走り回るすばしっこいヤツだったら近い方が楽なんだよね」
「……」
一つ一つ思い出しつつ答えると、じっとりとした視線を感じた。さっと視線を膝に置いた弓へと戻す。だが、前方からの圧を実感するだけだった。
――……、る、ルーグ、ウィルが凄く怒ってる気がするんですけど!
ここにいない幼馴染に助けを叫びつつ、覚悟を決めて顔をあげ、もう一度、金眼を見た。
「な、何」
「……他のメンバーと依頼を受けている時にも思ったが、」
立ち上がり、向かいの寝床から俺の方へ来るウィルの表情は読めなかった。
「あまり無理するな」
ぽすりと、頭に大きな手が置かれた。集会所で肩を叩かれた時よりも優しい触れ方だった。
ゆっくりと撫でる手と一緒に、優しい低い声が落ちてくる。
「俺の守れる範囲で無茶してくれ」
「……」
これは、どういうことだろう。
見上げようにも、優しい手つきのくせに顔を上げることを抑えられてしまった。
――守られるだけじゃ、ウィルと一緒に狩りはできない、だろ。
依頼に誘っておきながら守護していたいなど、矛盾している。誘わなければ今日は樹海に来ることはなかったのだから。
心の中で小さく反発しつつも、頭を撫でられている今の状況を少なからず受け入れてしまっている俺がいた。撫で慣れているのか、力加減が丁度良いのだ。
釈然としないままされるがままにしておくと、気が済んだのかウィルは自分の寝床に戻った。残された温もりにちょっと居心地悪くなり、唇を尖らせてみた。
「ウィルの守れる範囲を俺に合わせてくれればいいと思うけど?」
「……なるほど」
思い付きでぽろっと出た言葉はウィルの何かに触れたようだ。数度頷いたあと、先程よりもかなり柔らかな瞳で見つめられた。
「そうすることにしよう」
「え、言っておいてなんだけど、出来るものなの?」
「場数を踏めば出来るだろう」
――出来るのかよ
超人的に聞こえるそれに、こんな辺鄙な村にまで名が知られているウィルなら本当にやってしまいそうだと思えるあたりが恐ろしい。
「ということで、暫くは俺の狩りを手伝ってくれ」
「え」
「リムに合わせるのだから当たり前だろう?」
「いやまぁそうだけど」
「よろしく頼む」
すでに決定事項のように告げて自分の得物を整備し始めた男は、もうこちらを見ていなかった。
どことなく楽しそうな雰囲気を醸し出すウィルに、まだここは危険地帯なのだけれど、と言い出すのはやめておく。この、たった二週間前に出会ったばかりの男のどこに地雷があるのか、まだよくわからない。
「……えぇー……まじかぁ……」
藪はつつかないことにかぎる。俺は自分の身かわいさに、明日からの俺へとエールだけ送った。
了