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9 花とワイン

 あいつが出張とやらに行ってニ週間ほどが過ぎた。

 太陽が顔を出す時間がだんだん長くなってきて、窓から見える雪が溶けてきた。早咲きのお花はぽつぽつ開き、透き通っていた空はどこか霞むように。

 冬は去り、春が訪れた。



 春といえばお花。お花といえばお庭。お庭といえばお散歩。

 お庭はほわほわと柔らかな日光に照らされている。外出にはもってこいのお天気だ。こんな日に外に出ないなんてどうかしている。

 あーあ。あいつがいたら、絶対デートに誘うのに。


「旦那様、帰ってくるの遅いですねー」


 お勉強の休憩中、机に顔を伏せて足をぶらぶら動かす。あいつがいないと永遠に転売用プレゼントが手に入れられないし、脱走経路確認のデートもできない。

 それに、こんなにも長いお出掛けだと、あいつ自身が倒れるかもしれない。季節の変わり目は風邪を引きやすいから大変なのだ。ご飯もちゃんと食べていたらいいけど。

 九〇度傾く視界を通して、窓際に立っているお兄さんに話しかける。


「元気にしてたらいいですねー、旦那様」


 お兄さんは気だるげに窓枠に肘をついてタバコの煙を外に向けて吐き出した。


「旦那様は丈夫な方ですから心配いらないでしょう。少し前までダンジョンに遊びに行っていたような人ですし」

「遊びに?」

「素材買い取りを始めるまでは、元々ご自分で採りに行く冒険者でしたからね」

「素材……? そうなんですか」


 あいつのお仕事のお話はよくわからない。実は何の職業かも知らない。大きいお屋敷に住んでいるから領主的な存在かと思ってけど、どうやら違うらしい。

 考えていたら、お兄さんがすうっと顔を覗き込んできた。


「心ここにあらずですね」

「お天気が良くて、最悪のお勉強日和ですから」

「はは、そうですね」

「はあー、せっかくのデート日和なのにー」


 適当な相槌をうって、お兄さんが再びタバコをくわえた。

 あいつは喫煙者じゃないけど、お兄さんは潔癖症の喫煙者らしい。基本的にはお屋敷の外に行って吸っていたようで、わたしが時々自由行動できていたのはこのためだ。あいつが出張に行ってから、お兄さんは堂々と室内で吸い始め、わたしは驚かされた。

 普段は良い人だけど、こういうときにお兄さんもあいつと同じ悪い人なんだなぁとしみじみと思わせられる。


 村にいたとき、ちょっと裕福な家のおじさんもタバコを吸っていた。けど、わたしは好きじゃない。嫌な臭いの煙を撒き散らす迷惑者は絶滅したほうがいいのだ。

 霧散する煙を手で扇いでお兄さんのほうに返してやる。それを見て、挑発するようにくすっと笑ったお兄さんがタバコを口から離した。


「それなら、デートしますか?」

「はい?」

「というより、外に出たいのでしょう?」


 唐突な提案に思わず体を起こす。すると、お兄さんはわたしの頭にぽんと手を置き、わざと顔に煙を吹きかけてきた。うわ、酷い。わたしが文句を言う前に、お兄さんはにこりとして、


「ここ最近、真面目に勉強に取り組んでいましたから、ご褒美ですよ」


 と言った。なんと、お兄さんが悪人と善人の反復横飛びをしている。煙を吹きかけてきたり、珍しくご褒美をくれたり。

 半ば呆然として、わたしは返事をした。


「そ、外、出たいです」

「では、行きましょうか」


 お兄さんはタバコをぐりと灰皿に押し付けて火を消し、セットされてない前髪をかきあげた。

 見た目も態度もとんでもなく悪そうだけど、良い人だから憎めない。アメとムチが上手いなぁ、とつくづく思う。ずるい人だ。




 春になってからスカートが薄手の生地になった。くるんと回れば、花びらたちとともに舞い翻る。特に今日はパステルな淡い色をしていることも相まって、わたしはお花になった気分になれた。

 お兄さんの前でくるくる回ってにっこり笑顔を見せたら、お兄さんが自然な動作でわたしの手をするりと繋いだ。


「ご褒美ですから、好きなところに行っていいですよ。花盛りの時期には早いですが、あなたの好きな花はありますか」


 お兄さんとデートだ。



 雪のデートのとき、あいつはこれっぽっちもわたしの好きに歩かせてくれなかった。けれど、お兄さんはわたしの自由にさせてくれる。

 お兄さんの手を引っ張りながら、お庭を散策していく。そこはエリアごとに植えられているお花が異なっており、また、様々な色を咲かせているようで、どこに行っても華麗で壮観だった。

 そしてわたしは、庭園をぐるっと一周することに成功した。この広いお庭をなんとなく把握できたのだ。



 お屋敷の敷地はおおよそ長方形だった。地理の授業で、ここは区画されて整え、作られた都市だと習ったので、その影響だと思う。

 外周には塀があり、塀の内側には背の高いバラの生け垣。棘のある生け垣を超え、さらに塀を超えて脱出するのは、困難そうだった。

 したがって、脱出するためには正式な表門か、別の出入り口を使わねばならない。


 また、長方形の外周に対して、お屋敷の建物は中心ではなく、やや後方に建てられていることもわかった。玄関に面している前面の庭園が広くなる配置だ。

 それにともない、狭い裏庭のほうは建物の影で、やや寂れていた。裏庭は物置小屋があり、モノの保管がメインなのだろう。お花も生け垣もなく、石畳に芝生が生え、ところどころに木が植えられているのみだった。

 そして、何度か使用人さんを見かけた。建物内で見たことのある使用人さんがエプロンをせずに、薄手のコートを羽織って木製の籠を持ち、どこかへ行く様子を。

 間違いなく買い物である。ということは、裏庭には出入り口がある。




 今日の収穫は素晴らしいものだった。お庭の良い情報を手に入れ、素敵な花々も見れた。

 夕食時のダイニングテーブルの花瓶には、デート中にわたしが好きと言ったお花が飾られていて嬉しくなった。お兄さんが手配してくれたのかな。


 夕食後にダイニングに残り、花瓶の前に座って優しい香りを発する花びらを撫でる。どこか甘くて良い匂い。あいつもこういう高貴っぽい華やかな匂いをしている。

 今何してるんだろう。元気だといいな。早く帰って来ないかなー。



 お花をつんつんしていたら、ダイニングに人が入ってきた。迷いなく歩くその人は、奥の厨房に入っていき、ボトルとグラスとナッツを盛り付けたお皿を持って戻ってきた。それらをドンと机に置いて、とぽとぽグラスに赤い液体を注いでいく。

 持ち上げたグラスの縁が口に触れる、そのときにわたしのほうを見た。お兄さんそっくりの顔だった。


「さっきからわたくしを見ているけれど、何か用?」


 美女だ。あいつと寝ていた美女がツンとした口調で話しかけてきた。


「え」

「ワインにでも興味あるの?」

「あ、えっと、お酒は飲んだことないです」

「あらそう。子どもね」


 わざわざ訊いてきたのだから、一口くらいくれるかもしれない。そう思ってよたよた近付いたら、グラスを遠のけられた。


「何よ、子どもにはあげないわよ」

「子どもじゃないです。わたしは第三王子様と同じ年に生まれましたから、年齢的には立派なお嬢さんです」

「小僧みたいな言い訳するのね。ムカつくクソガキだわ」

「が、ガキって、だからわたしは子どもじゃ」


 言いかけて、止めた。


「小僧?」


 美女がグラスを回してワインの香りを嗅いだあと、コトとテーブルに置いた。


「あんたの教育係なんでしょ? あの小僧」

「もしかしてお兄さんのことですか?」


 長い睫毛を上下に揺らし、瞳を見開いて一拍。


「愚弟ってば、そんな可愛らしく呼ばれているのね!」


 あははと笑い出した。わたしは突然笑われてびっくりした。この人、気でも狂ったのか。

 美女は再び厨房に行って二本目のグラスを持ってきた。それにもワインを注ぎ、テーブル上でわたしのほうにスーッと滑らせてきた。一方を自分の手に持って一口飲みつつ脚を組み、わたしにグラスと人差し指を向けて得意気に口を開く。


「では、わたくしのことはお姉さまと呼びなさい」


 なんだ、この人は。


「わかりました。お姉さん」

「お姉さま、よ」

「お姉さん」

「お、ね、え、さ、ま」

「お姉さん」

「この、クソガキが……!」


 お姉さんが舌打ちしてナッツを口に放り込んだ。横暴な態度で初対面の人に様付けで呼ばせようとするなんて、なんて変人なんだ。

 わたしはお姉さんの隣の席に座り、グラスを手に取った。お姉さんが自分のグラスを寄せてきてカチンとぶつかる。なんて友好的な変人なんだ。



 意図せず、変人お姉さんと晩酌タイムになった。

 お姉さんがクイッと顎を動かし、わたしは飲めと言われた気がしたので一口飲んでみた。よく燃えそうなアルコールの香りと突き抜ける苦味がした。率直に言って美味しくない。

 うへえ、と舌を出したら、お姉さんは眉根を寄せた。わあ、機嫌の悪いときのお兄さんに瓜二つ。


「もっと美味しそうに飲みなさいよ。これ、良いワインなのよ」

「え。そうなんですか?」

「今回のわたくしの褒美だもの。感謝なさい、初めてのワインが高級ワインで良かったわね」

「わたし、こんなご褒美は嫌です」

「はぁー? 生意気なちんちくりんの分際でわたくしに口答えする気? しばくわよ!」

「ちんちくりんじゃないです。しばかないでください」

「うるさいわね。ワインの味もわからないくせに」


 むう。わたしはグラスを置いてナッツに手を伸ばした。焼きアーモンドだ。美味しい、わたしでもこの美味しさはわかるぞ。口に運ぶ手が止まらない。

 ナッツを食べながら、わたしは冷静になってきた。あいつはお給料をワインで支払ってるのか。頭おかしいんじゃないか。


「お姉さんはお給料が苦い飲み物でいいんですか?」

「当然、報酬金も頂いているわよ。それとは別に、もうひとつお願いしたものをくださるの。ご主人様、気前がいい方でしょ?」


 はた、と手が止まる。わたしは思わずお姉さんに目をやった。


「旦那様からのご褒美ってことは、旦那様、帰ってきてるんですか?」


 お姉さんはまた一口飲んで、否定するようにグラスを一振り。


「いえ、わたくしは会いに行ってたのよ。ちょうど連絡もあったから」


 お姉さんはあいつに会いに。わたしは言葉を飲み込んで、ゆっくり息を吐き出した。

 なんだ、なあんだ。あいつ、お姉さんといたんだ。どうせ旅先でもお姉さんといちゃこらしていたんだろう。心配して損した。


「ふーん。そうですか」

「何よ、気になるの?」

「ぜーんぜんそんなことありません。どうでもいいです」


 もぐもぐとアーモンドを頬張る。こんなにも食べていたらアーモンドに合うものが欲しくなってくる。前に飲んだホットチョコレートとかきっと合うと思う。

 ぽわんとあいつが頭に浮かんできて、わたしはすごくイライラした。色んな人と関係を持ちやがるクズめ。わたしの脳内に出てくるな、あっちいけ。

 ブンブン頭を振っていたら、お姉さんが隣でくすっとした。


「あんた、わたくしに嫉妬してるの?」

「してませんけど」

「でも、怒ってるじゃない」

「怒ってませんけど」

「素直じゃないガキンチョね」

 

 言い返す度にけらけら笑われる。さてはこの人、わたしで遊んでいるな。ムカつくムカつく。腹いせにどんどんナッツを食べてやる。



 わたしがお姉さんに嫉妬しているわけがない。そうだとしたら、わたしはあいつを好きだということになる。わたしはあいつを惚れさせるつもりなのに、まるで逆だ。

 そんな本末転倒なこと、まさかあるわけ……。

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