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8 ハンカチと指輪

 現在、東部の戦いは完全勝利し、一部監察のために残る以外の騎士団は引き上げたという。最も過激になっているのは依然として南東部であるが、敵国はそっちを捨てて本拠地である南部の防衛強化を始めたとか。手薄になった南東部はもうじき落ちるだろう。

 戦時はもしかすると春の間に終わりそうだ。


 それはさておき、僕はしばらくの間、屋敷を空けることになった。前々から予定されていた鉱山発掘現場の視察のあと、近くの田舎村を見に行くのだ。

 どちらも大事なことなので仕方ないと思う反面、僕は心配だった。僕が牢に行くのを止めたとき、たった三日程度で僕の不在を気にしていた愛しい人を、寂しくさせてしまうのではないか、と。




 ある日の夜、不安になりながら彼女に長期出張を伝えると、彼女は僕の手を引っ張って自分の客室に入れてくれた。

 ガサゴソと備え付けの引き出しを漁り、中からハンカチを取り出した。何かミミズが這ったような線があしらわれている白いハンカチを僕に渡す。


「旅のお守りに、こういうものを渡すと良いと学びました。騎士の人のしきたりだそうですね。ですから、これをあなたに」

「僕にくれるの?」

「はい。わたしからの贈り物です」


 僕は感激した。彼女が能動的に僕にプレゼントをしてくれたのだ、嬉しくないわけがない。

 だんだんと彼女が僕に優しくなってきている。僕に心を開いてきているのだ。そろそろ僕のことを好きなっていてもおかしくない。

 これは長期出張で会ってあげられなくなることが余計に心苦しくなってくるなぁ。


 彼女は僕のそんな心中を全く察さず、にこにことハンカチの刺繍を指差した。


「見てください。可愛いでしょう、このお花」

「あ、これ、花なんだ」

「お花以外に何に見えるんですか? わたし、刺繍はしたことなくて、これが初めて縫ったお花なんです」

「そうなんだ。可愛いね」


 不器用なところも、とても可愛い。刺繍の授業は何度かしていると聞いている。なのに、思い出深い初めての作品を僕にくれるなんて、相当僕のことを好いているじゃないか。

 彼女がハンカチごと僕の両手を包み込み、僕の目を見つめて言った。


「大事にしてくださいね」

「ありがとう」


 お礼を返すと、彼女は満足気に微笑んで手を握る力をぎゅっと強くした。そして、一層笑みを深くさせて放った言葉は。


「ところで旦那様、贈り物にはお返しをするという習わしをご存知ですか?」




 え?

 僕が理解する前に、したり顔の彼女が急にペラペラと饒舌になった。


「これも授業で出てきたんですが、評判が重要な貴族の社会では贈り物にはきちんとお返ししないといけないらしいです。わたしの村でもそうでした。例えば、誰かが採れた野菜をみんなにお裾分けしたとき、多めに薪を取ってきてあげたり自分の作物をあげたり、そういうお返しをしなかった人はそういう人なんだなって、ちょっと悪い目で見られたんですよ。わたし、貴族の人も同じなんだなぁって思いました」

「……へえ」

「わたし、ちゃーんと勉強していて偉いですよね。こういう旅の贈り物の風習も返礼の習慣も、きちんと知っているんですよ」


 ふふんと口角を上げ、僕を見上げて続ける。


「さっき、わたしは旦那様に贈り物をあげましたね?」

「あぁ、そうだね」

「じゃあ、旦那様もわたしにお礼の品をくれますか?」

「……あぁ、そうだね」

「やった!」


 ぱちぱち手を叩き、勢いよくガッツポーズをする彼女を、僕は静かに見守っていた。

 あー、なるほど。彼女がやけに僕に笑顔を見せると思ったら、ものを要求するためだったようだ。優しさには裏があったのである。舞い上がっていた僕の純情を返してほしい。これだから生意気小娘は油断ならない。僕を人間不信にさせる気か。



 僕に向ける目をキラキラさせて、可愛い小悪魔が誘惑してくる。今度は何を企んでいるんだ。


「あのですね、お返しの定番は手鏡や装飾品だそうですよ」

「君は手鏡や装飾品が欲しいの?」

「そうですそうです。欲しいです」


 返礼品の指定をしてくる図々しさには、目を見張るものがある。しかし、ここで彼女の好みを聞いておくのも悪くないし、僕の仕事的にもちょうどいい。


 設備投資で仕事効率が上がったため、優秀な職人たちがやる気を出した。『これならもっと細かいデザインを彫れる』『使わない鉱石素材で装飾品も作れるんじゃないか』と言っており、宝石店という新事業を立ち上げることになったのだ。

 試作品のデザイン案を求められていたから、彼女の好きなものを作って贈ろう。


 僕は椅子に腰掛け、ノリノリな彼女を膝の上に座らせた。彼女は全く嫌がらないので演技モードだ。

 腕の中の猫被りな彼女に問いかける。


「君はどういうのが欲しいの?」

「装飾品がいいです。それならなんでも」

「なんでもいいの?」

「はい」

 

 随分と曖昧な言い方をする。なんでもいいなら指輪にしようか。チェーンを通したらネックレスにもできるし。

 僕はテーブルにある紙とペンを使って、適当に指輪の絵を描いた。リングがゆるくウェーブしているもの、ひとつ大きな宝石がついているもの、たくさんの宝石がついているもの、全体的にシンプルでなもの。いくつか彼女に提示する。


「わあ、旦那様、上手ですね」

「仕事上、よく描いてるからね。それで、君はどういう系統が好き?」

「えーと……」


 彼女は紙の上で迷うようにぐるぐると指を滑らせ、僕の視線に気付いて、にぱっと笑った。悪事を図ろうとしているのがわかっていても、つい甘やかしてしまいたくなる可愛さだ。一度、小悪魔を泳がせてみようか。

 僕は彼女の頭を撫で、にっこりして囁いた。


「リングも宝石も好きなものを言ってね。君のオーダーメイドにしよう」


 ついでにキスもしておいたら、彼女はヒクッと口角を歪ませた。やっぱり、演技が崩れた素の彼女が一番可愛い。眉を寄せる彼女をぎゅっと抱きしめてキスをして可愛がる。あー、睨む目さえもほんと可愛い。





 まずいまずいまずいまずい。

 オーダーメイド品を転売したら、一発で出品者がわたしだとバレるではないか!



 先日、お屋敷からの脱出計画の見直しを考えた。わたしはここをただ脱出するだけではなく、家族にお金を渡さないといけない。だから、お金を稼ぐ方法を改めて検討してみたのだ。

 そこで思い付いたことがあった。


 稼ぐのではなく、ものを売る。

 当初は何日かかけて数人に体を売って稼げばいいと思っていた。が、こいつに銃で殺されかけたことを思い出し、脱出がバレたら死ぬという可能性を考慮することにした。

 生きて帰るためには、素早くこの都市から逃げなければならない。手っ取り早くお金を得る必要性が生じたのだ。


 結論として、即座にお金を手に入れられる転売が最適だ、と悟ったのである。



 このお屋敷は価値のあるものがたくさん置いてあるものの、常識と罪悪感から盗めない。そう思っていたところ、贈り物と返礼の授業を受けた。さらにタイミングよく、こいつに贈り物を渡す機会が降ってきた。

 早速実行に移し、失敗した刺繍を贈り物と言い張って贈りつけ、転売用の品をねだってみた。逃げるときに持ち運びやすいような小物を。

 ところが、斜め上の回答が返ってきて、わたしは顔の引きつりを隠せなかった。


 まさかこいつ、わたしの作戦を見破ってオーダーメイドにすると言い出したのだろうか。

 そう思ってギロッと睨んだら、にこーっと笑顔が返されてわたしはドン引きした。むむむ、強敵め。




「ねえねえ、君の好きなものはここにないの?」

「……えと、好きっていうか」


 催促されて再び指輪選びに戻る。わたしはなかなか決められなかった。どうせ売り払うのでデザインなど全く興味もないし、個性を発揮するほどに売りにくくなってしまう。

 というか、こいつは金持ちだ。こいつにとっては安物だとしても、わたし基準では高級品になるはず。オーダーメイドではなく、ありふれた市販品で十分なのだ。


「わたし、お店で売っている安いものがいいです」


 そう言ったら、ゆっくりと腰を持ち上げられてくるりと半回転させられた。椅子の上でこいつと向き合う形になり、しゅんと眉の下がった顔が目に入った。


「どうして? 僕に好みを教えるのが嫌?」

「い、嫌ってわけじゃ」

 

 なぜかこいつが落ち込んだので、つられてわたしも焦った。何を言っても余裕綽々で返してくるくせに、どうしてこんなにしょんぼりしているんだ。


「僕は君の好きなものが知りたいな」

「や、でも」

「教えたくないの?」


 教えたとして、作ってもらったとして、最終的には売ってしまう。こいつの気遣いは無駄になってしまうのだ。進んで人の思いやりを蔑ろにするなんて、相手がこいつであっても、わたしはなんだか後ろめたい。

 しかし、ここで答えなければ、こいつは永遠に捨てられた子犬みたいな顔をしたままかもしれない。

 わたしは、一体どうすれば。 



 視線を彷徨わせたら、ペンを持つこいつの手が目についた。中指に指輪をしている。何の細工もないシルバーのリング。

 高くはなさそうで、どこにでもありそうなデザインだった。すなわち、売っても罪の意識に苛まれなさそうな値段、かつ、質屋に売っても個人を特定されにくそうなデザインだった。

 わたしは何もついてない指輪のイラストに指を置いた。


「これがいいです」

「そういうのが好きなの? 宝石とかついてないよ」

「こういうのがいいです」

「リングの内側に文字や模様を彫れるよ。素材はどういうのが好き?」


 文字なんて書いたら、売ったときにバレる可能性が高くなるからダメ。素材の種類はわからないが、こいつの指輪はシルバーだ。


「文字はいらないです。銀色にしてほしいです」

「そう。……あ」


 ペンでイラストにチェックマークをつけるとき、こいつはようやく自分の指輪に気付いた。指輪とイラストを見比べて、わたしにふにゃっと微笑む。


「僕のと似てるね」


 そりゃそうだ。


「それと同じのがほしいですから」

「そう。君は本当に可愛いね」

「……ん」


 見つめられ、頬を撫でられ、キスをする。


 あ、今日は違ったな。看病をして以降、こいつと目を合わせるときやキスをするときに、たまにそう思う。

 あのときの、こっちの集中が途切れるほどの熱い視線と、ほんのり赤い照れた顔が、ずっと頭から離れない。

 あの眼差しと照れ顔は、真冬のデートのときと先日の看病のときの二回だけ。こんなにべったりされているわたしでさえ、たったの二回だけである。

 普段の余裕綽々な態度とは違う、あの様をもう一度見たい、と思っている自分がいる。


「ね、もっと」

「いいよ、ベッド行こうか」


 転売用のものをもらえることは確定した。脱出計画はまた一歩前進した、のに。

 この不完全燃焼感はなんだろう。

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