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6 猫とお風呂

 時刻が昼になろうとしても彼女は見つからなかった。


 全部屋のカーテンの影、クローゼットの中や裏側、物置小屋に屋根の上まで。室内外問わず、徹底的に探させた。

 庭師の報告で雪に足跡はなかったことが判明したが、逃げ出したのが昨夜であるならば、新たな積雪で誤魔化されているかもしれない。当然、街のほうにも探させに行った。


 彼女は常日頃から世話係の手を焼かせているので、使用人の間では容姿が知れ渡っている。それでも、彼女との接触を許可しているのは世話係と老婆だけ。協力者がいるとすれば、このふたりのどちらかということになる。

 ふむ、拷問でもしてみるか。と思った矢先、世話係が僕の部屋に駆け込んできた。獲物を呼ぶ手間が省けた。


「何? 彼女は見つかった?」

「いえ。ですが、気になることがありまして」

「言って」

「書斎の隠し扉に動かした形跡がありました。埃の跡の指の細さからして、おそらく」


 まさか。僕は身を乗り出した。


「確認した?」

「まだです。確認前に、先にご報告をと思いまして」

「僕も行く」


 冗談だろう。常人は客室から牢に戻ろうなどとは思わない。仮に戻りたがっていたとして、どうやって隠し扉を開けたんだ。

 彼女は僕の予想の範疇をなかなかに軽々と乗り越えてくる。




 書斎に向かい、地下に続く隠し通路を開けるキーとなる本棚をいじる。うちの地下牢への道は、お手軽で流行りの鍵ひとつで施錠できるタイプではなく、古典的な複雑構造でいくつかの手順を踏まないと開けられない。結構見破られないはずなんだけどな。

 開けた地下への暗い階段を降りていく。ランタンの灯りを頼りに降り、一番下に着いて格子を開けた先の暗闇を照らしていく。


 彼女が地下牢にいたときの家具は全て取り払った。残っているものはあっただろうか。寝る場所なんて、ここにはないはず、なのに。

 一番手前の牢屋の壁際に、黒、いや濃紺の布が巻かれて置いてあった。片付け忘れていたのか。早歩きで近付けば、少々埃っぽく、端っこにキャラメル色の髪の毛が見える。僕は布を剥ぎ取った


「……ん」


 寝ている彼女がいた。寒くなったからか、眉根を寄せてもぞもぞと身を丸くさせる。


「…………はぁ」


 僕は力なくその場に腰を下ろし、ランタンを横に置いた。後ろに向かって手を振ると、世話係が上に駆け上がっていく足音が聴こえた。他の使用人に捜索を終えるよう伝えてくれるだろう。


 ようやくざわついていた心が安堵した。姿を見るまではあんなに荒んでイライラしていたのに、今は穏やか極まりない。彼女ひとりの有無でこんなにも僕の心がかき乱されるなんて。


「良かった、生きてて」


 ため息混じりに彼女の手を握ったら、氷のように冷え切っていた。真冬にこんなところにいたら当然だ。暖かいところに連れていかないといけない。

 彼女は逃げるどころか自ら牢に入っていた。突飛な行動のせいでお仕置きする毒気も抜かれた。お仕置きの代わりに、暖炉の前でぬくぬくとたっぷり可愛がってあげよう。



 起こすのも悪いと思い、眠っているまま運ぼうとしたら、彼女がパチリと目を覚ました。すくっと起き上がり、僕を見、おもむろに周囲も見て、


「さむ……」


 と、ぶるりと震えた。彼女自身は通常運転のようだ。周りを騒がせておいて、なんてマイペースなんだ。

 僕はにっこり笑って両腕を広げた。


「暖かくしようね。おいで」

「自力で歩けます」

「抱っこしてあげる。おいで」

「大丈夫ですって」


 しつこい。


「おいで」

「や……はい」


 ちょっと声を低くさせたら彼女はすぐに良い子になる。脅かさなくても良い子になってほしいものだが。


 おとなしくなった彼女を抱き上げたら、彼女はすりと僕の胸元に顔をうずめた。まるで暖を求める猫みたいだ。

 何もしても動作のひとつひとつが愛らしく、ベッドの上では小さく鳴き喚き、演技をすればにゃんにゃん甘えてくる。彼女の前世は猫だったのだろう。可愛くて可愛くて撫で回したくなる。




 牢から出て、使用人にお風呂を準備させた。用意をしている間に彼女に軽食を摂らせ、執事長に彼女が見つかったことを改めて伝える。屋敷を通常業務に戻していく。

 ついでに僕も入浴を済ませてしまおう。湯気立つ浴室で上着を脱ぎ、彼女の衣服も脱がせようとしたら、彼女が身を固くした。


「え。一緒に入るんですか?」

「嫌なの?」

「だって……」


 彼女は僕を見つめ、やがて僕じゃないところに意識を向け始めた。黙りこくり、数拍おいてから緩やかに頬をほころばせる。僕の手をきゅっとあざとく握って、恥じらうように言った。

 

「いえ、わたし、旦那様と一緒に入りたいです」


 演技モード、スイッチオン。



 彼女が猫被り状態になった。猫と遊ぶため、僕自ら体を洗ってあげることにした。髪や体をくまなく触ると、彼女は心底嫌そうにぎこちなく笑った。詰めが甘いところ、可愛すぎる。

 広い浴槽だが、僕の足の間に座らせた。後ろからハグしてトクトクとした彼女の脈を味わう。ちょっと速い。緊張しているらしい。

 髪をまとめて片方に流し、あらわになったほうの彼女の耳に、口を寄せて話しかけた。


「どうしてあそこにいたの? 客室よりあっちのほうが好き?」

「寝るところを探してベッドがあるとこに行ったんです。誰かさんと誰かさんがわたしのベッドで寝ていたので」

「誰かさん?」

「チョコレートの髪色の人と、ナイスバディの美人さんです」

「あぁ」


 僕と女スパイのことだ。昨夜、彼女は部屋を間違えたのか。


「それで地下に? よく行き方がわかったね」

「お姉ちゃんが村長のお家の地下室の開け方を知っていたので、それを応用しました。このお屋敷も村長のお家も、古い建物だから同じかなって思って」

「そうなんだ。すごいね」

「はい。わたしのお姉ちゃんはすごいんですよ。知り合いもたくさんいるんです」


 別に姉のほうを褒めたわけではないけれど。彼女がふふんと自慢気になったので、僕は彼女が満足するまで姉の話を聞いた。可愛い笑顔、僕と話しているときもそうしてくれたらいいのに。



 彼女が、姉に続いて兄妹や家族の情報を教えてくれたおかげで、僕は彼女の家のことを詳しく把握できた。一つの疑問を除いて。


「君って、この国の税の勉強はしたっけ?」

「え、ぜ、税ですか? えーと、税については、一応、少し、かるーく、ちょこっとだけなら」

「あは、そうなんだ。一つ聞いてもいい?」

「ダメです。聞かないでください」

「あぁ、苦手なんだね」


 おかしいな。彼女の家は一層紛争で貧しくなった、らしい。しかし、それを信じるには違和感が残る。

 というのも、開戦以来、戦局は常に当国が優位であり、彼女のような一般民まで苦しむほど酷い状況には陥っていないのだ。ましてや、彼女の村は紛争とは遠く離れた北西部。一年も経たずして貧するはずがないのだ。

 彼女を買った女衒から、村全体が貧村だとは聞いていない。話を聞くに、周りの村人は彼女の家ほど貧しくない。彼女の村の税率はさほど厳しいものでもないということだ。

 ならばなぜ、彼女の兄妹は優秀であるにもかかわらず、村の中で彼女の家だけが貧しいのか。


 考えていたら、彼女が僕の手を握ってきた。むにむにと揉んだり、指を一本一本開かせたり閉じさせたり、爪を撫でたりされる。

 あからさまな甘え演技タイムだ。


「わたしはいっぱい話したので、今度は旦那様が話す番ですね」

「うん?」

「旦那様と、その、寝ていた女の人はなんなんですか」


 窺うようなトーンで訊いてきた。


「言うなれば部下かな」

「いっぱい、えっと、致してるんですか」

「まぁ、そうだね」


 彼女の動きが止まる。「ふーん、そうなんですか」と返す声はなんだかツンとしていた。これはわかりやすい。彼女は女スパイに嫉妬している振りをしている。

 どこか苛立たしげな、そんな名演技で女優がさらに尋ねてきた。


「わたしよりもたくさん回数を重ねているんですか」

「どうだろう。そこそこかな」

「そうですか」


 ざぶんと水面を揺らし、彼女が僕のほうに体を向けた。見れば見るほど、買ったときよりも健康的な肉付きになっている。ずっと屋敷に閉じ込めているせいか、肌の色は白くなっているけれど。

 買ったときと変わっていないのは、彼女の心だけ。今も、演技中にもかからわず、到底信じられないものを見る目で僕を見下ろしていた。


「旦那様にはわたし以外でもお相手がいるんですね」

「そうだね」

「求められたら、誰でも相手をしてしまうのですか」

「それが報酬だったらね、そうなるかな」


 彼女は物憂げに息を吐いた。僕の腕をやんわり持ち上げ、僕が育てている胸でふにっと挟み込み、僕の手の甲にそっとキスを落とす。そして、濡れた髪と潤む上目遣いで色気を放ち、僕をたぶらかしてきた。


「わたしには、あなたしかいないのに……?」


 これはいけない。演技だとわかっていても心に刺さった。僕の完全敗北だ。




 暖炉の前ではなく、お風呂で猫ちゃんを可愛がることになった。暖かいからどっちでも問題なし。

 彼女は精一杯に演技を貫いていたし、事に及ぶ直前までも耐えていたのに、実際始まったら速攻で演技が崩れた。最後の最後に隙を見せてしまうのが、彼女の可愛い長所で短所だ。


「きらい、きらいっ」

「君には僕しかいないんじゃなかった?」

「しらなっ、あ、しね……」

「またイッちゃったの? よしよし」


 涙ぐむ彼女の頭を撫でる。場所が場所なので、気遣ってじわじわ攻めてあげていたら、普段より反応が良かった。彼女はゆっくりするのが好きらしい。

 体勢を変え、抱きしめてあげようと腕を開く。彼女は気だるげに僕とバスタオルを交互に見たあと、迷いなくバスタオルに抱きついた。

 本当に生意気な小娘だ。


 しかし、僕を翻弄しようと頑張る演技中の彼女より、僕の腕の中で足掻き気持ちよくなっている生意気な彼女のほうが可愛く見える。やっぱり、彼女は素が最も輝いている。

 どうやら懐柔されてしまったのは僕のほうらしい。彼女の顔はもちろんのこと、生意気な性格までも愛おしくなってきている。





 今回もあいつはちょろかった。わたしが実行したふたつの作戦で、好感度はうなぎのぼりだ。


 ひとつは一緒にお風呂に入ったこと。

 蒸せる熱気とお湯で満ちた空間で、お互いがのぼせながら密着したらどうなるか。生理現象による体温上昇を、恋愛感情のドキドキと錯覚して、恋に落ちるのである。つまり、これは吊り橋効果の応用だ。

 吊り橋効果は〝一緒にドキドキすること〟が肝要なのであり、その手法は枚挙にいとまがない。妹が簡単で落としやすいと絶賛していた評価の高い戦法である。


 もうひとつは色仕掛け。

 不本意だが、一番上のクズ兄の教えが役に立った。クズ兄が友人たちと酔っ払っているときに『なんとかを胸で挟まれるのが気持ちいい』という会話が聴こえてきたことがあったので試してみたのだ。

 わたしは誇れるほど大きくないけど、あいつの腕を挟んでみた。口を使うとなお良しらしいから、キスもしてみた。


 吊り橋効果も色仕掛けも、あいつには効果てきめんだった。

 そうじゃなかったら、急にがっつかれたりなんかしない。今日は特にねちねちしてきてしんどかった。



 客室のベッドに横たわり、天井を見上げる。疲れた重たい体がベッドに沈み込んでいく。寝返りをうてば、外から差す格子越しの三日月が見えた。


 あいつの私に対する好感度はきちんと上がっている。わたしは上手にやれているはず。

 このまま上手に脱出もできる、はず。

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