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3 本心と演技

 朝起きたら、おばあさんの手で身支度を整えられ、朝食後はお兄さんによるスパルタ教育。昼食中もスパルタ教育。午後も、果ては夕食中も、もちろんスパルタ教育。お兄さんの鬼の授業祭りに疲れ、夜は死んだように眠る。

 気付けば、最悪のルーティーンが出来上がっていた。


 さすがにやってられない。お兄さんに抗議することにした。

 ある日の朝食のこと、わたしは机に手を付き、お兄さんを見定めた。


「あの!」

「こら、淑女たるものそんな振る舞いをしないでください」

「あの人は何をしているんですか」

「やり直し」

「……旦那様を何をなさっているんですか」


 言葉遣いにもいちいちケチをつけられる。質問ひとつしても、これだ。

 お兄さんはわたしを見て呆れた様子だった。


「何度も言いますが、旦那様は仕事をなさっていますから」

「旦那様にお会いしたいです」

「淑女になってから言ってください」

「ご褒美がないと淑女になんてなれません」

「淑女になるまでご褒美なんてあげません」


 わたしもお兄さんも譲らなかった。

 わたしはさっさとあいつを惚れさせて自由行動する権利を得たいのに、そもそもお話さえできていない。


 そう、お話さえできていない。あの部屋風牢屋から客室に移動したので、頻繁に会うことになるだろうと思っていたのに、全然ない。朝方にベッドに侵入されたあの日以来、あいつとの遭遇すらもゼロなのだ。

 これでは、わたしを好きにさせることもできやしない。だから、ここは絶対に譲れない。


 朝っぱらから一口も食べずに睨み合った末、


「お願いしますよ。わたし、旦那様とお話したいだけなんです」

「……わかりました。時間を作ったら伝えます」


 根負けしたのはお兄さんのほうだった。こうして、わたしはあいつとお話する機会を手に入れた。




 ある日の夜にあいつの時間が空いたということで、その時間がわたしとのお話タイムになった。

 敵陣であるあいつの部屋に乗り込むギリギリまで、わたしはソワソワが止まらなかった。鏡や窓で逐一顔をチェックし、服装を整える。なかなか会えない今となっては、一回一回の戦いが勝負の分かれ目。完璧に可愛いわたしで挑んで一瞬で骨抜きにしてやる。


 やっと時間がきて、意気揚々とあいつの部屋にいざ突入。中に入ると、シカの顔が立て掛けられている壁や大剣を飾ってある中で、あいつは王様のようにドカッとソファーに座り、何かの紙束を見ていた。


「あ、来たんだ」


 わたしに気付いてパサッと置いた紙には『軍事』という文字。そして長い脚を見せつけるかのように組んだ。


「それで、話って何?」


 わたしがこいつと話したいことなど、あるわけもなく。

 ふたりきりの部屋に気まずい沈黙が訪れた。そうか、顔を合わせるだけで惚れさせられるわけがなかった。これはまずい。わたしは脳みそをフル回転させた。用事がなければ追い出されてしまうかもしれない。何か話さないと、何か話さないと。



 わたしは、ソファーに座るあいつの隣にトタトタと駆け寄り、膝をついて見上げた。いけ、さっきまで部屋で練習していた悩殺上目遣い!


「旦那様、戦況はどうなっているんですか」


 完璧な上目遣いとともに出たのは、全く好感度を上げられそうにない話題だった。どうしてこんなことが口をついて出てきたのか。どう考えても『軍事』というワードを目にしたせいだ。

 あいつは悩殺上目遣いをしているわたしを一瞥して、目を伏せて言った。


「戦況っていうのは、今している武力紛争のこと?」

「そうですそうです。東から南まで渡る国境でしていると聞いてます」

「詳しいね。東部は好調だけど、南東部は苦戦しているみたいだよ」


 南東部、だと。


「……本当に南東部なんですか?」

「そうだよ。どうしたの?」

「な、南東部は、わたしの……」

「君に関係しているところ?」


 わたしは目を丸くして口をぱくぱく動かした。衝撃で言葉が出ない。あいつは察したのか、ハッと口元を手で隠した。


「あれ。敵国に占領されたのは、あの地方の大きな湖があるところと聞いたけど、もしかして」

「湖……嘘……」


 俯いて鼻をすする。わたしの反応にあいつはうろたえ、震えた声で聞いてきた。


「どうしたの」

「だって、そこはわたしの、わたしの……」

「まさか君の故郷?」

「わたし……そんな……」


 力が抜けて崩れたかように地に座り込み、目尻を指でなぞる。




 うーん、我ながら迫真の演技だ。


 わたしの故郷は国境付近の南東部ではなく、真逆の北西部である。湖などない、丘と草原が広がるところだ。

 しかし、ここで南東部出身者になりきることで、家族を失って嘆き悲しむ娘の可哀想アピールと、天涯孤独アピールのダブルコンボをかませる。そうして、あいつの『この子は俺が幸せにしないと』という同情と使命感を引き出させて、わたしを好きだと錯覚させることができる。

 完璧な計算。どうだ、これ見たことか!



 わたしはぽたりと涙を流した。瞬きを我慢した努力の結晶の涙である。涙ぐんであいつのほうを見たら、目をぱちくりさせて静かにわたしの腕を掴んで引っ張ってきた。

 わたしは立たされ、こいつの前でぽろぽろと涙を流し続けた。妹が『練習したらすぐに泣けるようになる』と言っていたのは真だったのだな、としみじみ思った。


「大丈夫?」


 優しい声がかけられる。同情しているのか、同情しているだろう、そうだろう。わたしの計算の内であるとも露知らず、心配している愚か者め。ざまぁみろ!

 手で涙を拭って愚か者を見つめる。震わせた鼻声ですがりつく。


「だんなさま、わたし」

「安心していいよ」


 手を引かれて膝の上に載せられた。こいつはぽんぽんと背中をさすり、わたしをあやし始めた。完全に同情しやがっている。笑いが止まらない。震えを抑えて、ムカつくこいつを見上げる。


「……だんなさまっ」

「君には僕がいるからね」


 優しくわたしの後頭部が支えられ、わたしたちはキスをした。

 一丁上がり。こいつの中でわたしへの庇護欲は爆上がりだ。あー、ちょろいちょろい。





 生意気な小娘が何も知らずに小芝居を打ち始めたので付き合ったが、僕は笑いをこらえるのに必死だった。


 彼女を買うとき、出身地や親族関係等々を女衒から聞いた。文化の相違や家族間の問題があったりすると買い手に迷惑がかかるため、この国の女衒は商品の説明報告をする義務があるのだ。

 だから、彼女が家族と仲が良く、自分から進んで売られたことも、彼女の故郷がこの都市からそこそこ近くの北西部にあり、戦地とは全くの無関係であることも、僕は当然知っていた。


 名女優によって始まった茶番に、笑いを隠しつつも乗ってあげた。まさか泣き出すとまでは思っていなかったし、彼女が建前であっても僕にすがりついてきたことには驚いたけれど。

 世話係によれば、最近の彼女は僕と話したがっていたらしい。十中八九、好感度上げのためだろう。今回もその一環であることはお見通しだ。



 しかし、


「……ん」

「可愛い」

「待っ、しつこ……」

「ほんと可愛いね」


 キスでとろける彼女は最高に可愛い。ぐたっと僕にもたれかかってくる。演技とはいえ、彼女のほうからノコノコやってきて懐いてくるのは悪くない。正直ものすごく嬉しいし、なんと言っても可愛すぎる。

 だが、これは一体どういう心境なのだろうか。気を許したという演技なのは間違いないが、嫌っている相手に対して今更好感度上げとは。地下牢ではとんだじゃじゃ馬だったくせに。



 僕、一応仕事残ってるんだけどな。どうしようかな。しばらく会ってなかったせいで、そういう気分になってきちゃったな。けど、彼女も彼女で慣れない勉強をして疲れてるだろうからなぁ。

 彼女と唇を離して、目を覗き込む。


「ベッド行く?」

「え」

「行きたくない?」

「…………」


 彼女の目がふと正気に戻って、頬を赤くさせた。色白の肌だから赤みがよくわかる。その頬にもキスを落とす。


「嫌?」

「嫌」

「えー、本当?」

「当たり前でしょ」


 敬語も忘れてむすっとしているわりには、キスを拒まない。

 おそらく彼女は無意識のうちに思い込んでいる。僕と会う、それすなわち体を重ねるのだ、と。朝方会いに行ったときに感じた疑問は、今確信に変わった。

 だって、こんなにも目がとろんとしている。


「行こうか」

「や、ちょっと」


 彼女をベッドに運ぶことにした。僕が彼女を抱えて立ち上がると、彼女は胸元に顔をうずめて「しねしね」と呪詛を呟き始めた。

 やっぱり反抗心で満ちた彼女は活き活きしている。元気いっぱいでとっても可愛い。




 僕の部屋に隣接されている僕の寝室の、ふたり入っても余りある広さのベッドの中で、彼女の髪を丁寧に手で梳かした。

 演技を止めた彼女は、今日も語彙力のない罵倒を繰り返しているけれど。


「気持ち良さそうだったね?」

「……しんじゃえ」

「それは良かった。じゃ、おとなしく寝ていてね」


 嫌がるおでこにキスをして上着を羽織る。彼女が来るまでに読みきろうと思っていた書類が残っている。明日までに目を通さなければならない。

 ベッドから出たら、クイッと袖を引っ張られた。僕を引き止めてくる細い腕と小さな手。彼女は困惑した顔をしていた。


「え、あなたは寝ないの」

「仕事が残っているからね」

「それなら、なんでこんなこと」

「君が可愛かったから。おやすみ」


 ぽんと頭を撫でたら、彼女はツンとそっぽを向いてぼすんと布団に潜り込んだ。膨らみがもぞもぞと動いて、丸くなっているのがわかる。挨拶くらい返してくれてもいいのに。




 書類を読みつつ、頭の片隅で彼女の変化について考える。


 友人のアドバイスを実行してみた結果、狙い通りとはいかなかったものの、彼女が僕に興味を持って積極的に絡んでくるようになったことは間違いない。

 ただ、彼女が何かしらの戦略を企んでいることも間違いないのだ。気を付けなければならない。


 仕事を終えたとき、彼女は寝息を立てていた。ベッドに腰掛け、穏やかな寝顔を見つめる。

 彼女の顔は可愛いし、彼女と僕の体の相性は抜群だ。性格は生意気だが、これから懐柔していく楽しみがあるとも言える。僕が彼女を好きなように、彼女も僕のことを好きになってもらいたい。


 彼女はいつになったら心を開いてくれるかな。

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