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2 知恵と決意

 岩壁につける傷がさらに五つ増えたとき、お兄さんが珍しく提案をしてきた。それはガリガリとナイフで傷をつけている最中のことだった。


「今日はここから出てみませんか」

「えっ」


 驚いて振り返り、ナイフがカチャリと落ちる。

 ムカつくあいつが来なくなって久しくなっている。ここから出ていけということは、わたしはもう用済みということか。用済みの人間はどうなるのか。処分されるのだ。


「わ、わたし、殺されるんですか」


 そもそも、どうしてわたしはここに閉じ込められていたのか。

 わたしは自分の身を見下ろした。食事を与えられはするものの、あまりにも動かないのでぷくぷく太った。腕と同じ太さだった脚なんて、とっくに腕の数倍も太くなった。

 肥えさせられている。この場所で食っては寝てを繰り返し、肥えさせられている。もしや肥えさせて食用肉にするために、わたしは閉じ込められていたのだろうか。

 格子を掴んでお兄さんに訴えかける。


「ま、待ってください。まだ美味しくないですから」

「いえ、そうではなく」

「筋肉のほうが旨味がありますから、わたしが筋肉ムキムキになるまで待ってくださ」

「いえ、そうではなく!」


 半笑いの声で遮られた。お兄さんが笑いをこらえきれない様子でぷるぷると震えている。な、なんだ。


「あなた、ここ数日体を洗ってないでしょう」


 体。そういえば、そうかもしれない。ムカつくあいつが来たときは、事後に濡れタオルで体を拭かれたり、お湯を張った桶が用意されたりしていた。

 あいつが来てないから、そういうことはしていない。言われてから、途端に髪のベタつきや肌の油分が気になってきた。


 お兄さんがニッコリした顔で格子を開け、食事が載っていたお盆を取って、わたしの手首も掴んだ。


「ですので、お風呂に入りましょうね」




 格子の外に出て、岩壁の薄暗い廊下を少し歩き、やや段差の大きい階段を上った、その先で目がやられた。

 太陽光だ。眩しい、眩しすぎる。カーテン越しとはいえ、日光はこれほどまでに眩しかっただろうか。光への感動よりも、目への刺激のほうが強かった。

 思わず足を止めて目を覆う。


「うう……」

「こっちですよ」

「引っ張らないでください」

「ちゃんと歩いてください」


 お兄さんに引っ張られて出てきたのは、本棚が並び立ち、重厚そうな机と椅子が一式置いてある部屋だった。いわゆる書斎というところだろう。

 そのまま手を引かれ、素敵な絨毯が敷かれた廊下に出た。お兄さんが別のお兄さんに食器のお盆を渡し、部屋から部屋へとずんずんお屋敷の奥に進んでいく。


「あの、疲れました」

「え。少し歩いただけでしょう。軟弱な」

「目的地はまだですか」

「着きましたよ。ほら、脱いでください」


 投げ入れられたところは、つるつるのタイルが張られたお風呂だった。

 熱気が立ちこめていた空間の中央には丸い大きな浴槽。一部から滝のような形で、なみなみとお湯が流れていて温かそうだ。窓から差し込む明かりと湯気で全体的に白んでいる。


 呆然としていたら、お兄さんがわたしのスカートに手が掛けた。えっ。

 咄嗟に、わたしはお兄さんの手を掴んで抵抗した。ムカつくあいつでさえ、こんな明るいところで服を脱がしてこようとなんてしなかった。

 お兄さんは男だが、わたしは、わたしは、


「わたしは女の子なんですけど!」

「……はぁー?」


 見たことがない面倒くさそうな顔で、聞いたこともない盛大なため息をつく。そして頭をかいて、わたしに一言告げたのち、お風呂場から出ていった。


「女の使用人を呼んできますから、そこでおとなしくしておいてください。逃げたら承知しませんからね」


 きっちり脅しも忘れずに。



 新たにやってきたおばあさんに、私はつるぴかにされた。爽やかなフルーツの香りがするふわふわの泡のおかげで、全身からほんのり良い香りがする。髪も丁寧に乾かされてつやつや、櫛で梳かされサラサラ。

 柔らかな生地のぬくぬくワンピースを着せられ、一気にわたしは変身した。脱衣所を出て、廊下に立っているお兄さんのところに向かう。


「見てください、ほら」


 ふわっと回って見せびらかす。遠心力でスカートが浮き上がり、音もなくゆっくりと重力に従って落ちていった。

 お兄さんは屈んで、ぽんとわたしの頭に手を置いた。


「よかったですね、すごく臭ってましたから」

「に、臭って……。ちくちく言葉はダメですよ」

「すみませんね」


 はは、と笑って謝られた。こんなに謝罪の意を思ってないことがバレバレであってもいいのだろうか。わたしはよくない。むうっと頬を膨らませたら、お兄さんにつままれてしおれた。




 その後二階に上がり、木製の統一されたデザインのテーブルや椅子、化粧台、そしてベッドがある部屋に連れて行かれた。クローゼットには服がいくつか仕舞われており、奥には洗面台やトイレも完備。

 残念ながら窓には鉄格子がはめられており、ここからの脱出は不可能そうだった。格子越しの景色は冬の快晴と広いお庭、つまり外が見えた。


「本日からは、この客室を使ってください」

「いいんですか? あそこに戻らなくても」

「旦那様がお忙しいので、あそこまで行く時間が惜しいんですよ」


 旦那様とは多分ムカつくあいつのこと。あいつが来てなかったのは忙しいからだったのか。

 まぁ、あいつの都合などどうでもいい。わたしとしては、こちらのほうが外に面しているという利点がある。その上、家具がさらにグレードアップしていて申し分なし。


 ふかふかそうなベッドにダイブしようとしたら、またまたお兄さんにガッツリ腕を引っ張られた。ぐぐっとベッドからわたしを引き離そうとする。

 何をするんだ、わたしはまだダイブインベッドという目的を達成していない。


「な、何ですか」

「夕食の時間までテーブルマナーを学びましょう。そのあと、夕食時に練習です。屋敷のほうにいる以上、旦那様とお食事する機会があるかもしれませんから」


 テーブルマナーだと。食べ物なんて、とにかく食べられたらそれでいいじゃないか。そんなことより、ベッドにダイブするほうが大事だ。

 半ば引きずられながらも、足を踏ん張って決死の抵抗を続ける。


「マナーって勝手にマナー講師が決めたことですよね」

「全く違います。今から教えるのは、古来より伝来されている洗練された伝統作法です」

「それって時代が違うだけで古代のマナー講師が決めたことですよね」

「文句言ってないで、自力で歩く!」


 一喝されて渋々従うことにした。反抗しすぎたら何をされるかわかったものではないから。



 夕食後にようやく客室まで戻ってこられたとき、わたしは満身創痍のヘトヘト疲労困憊だった。ダイブする気力もなく、顔面から突っ伏せる。

 お兄さんによるテーブルマナーのお勉強はスパルタで、今日だけで色んな知識を詰め込まれた。お勉強が終わってようやく解放されたと思ったら、夕食中にまで真横で順番があーだこーだ、持ち方があーだこーだ、音がうるさいあーだこーだと喚き散らかされた。

 四六時中、小姑のような人間にまとわりつかれて、疲れない人間などいない。


「……はぁ」


 元気があれば、この部屋をよく調べて逃げ出す算段でも考えようと思ってたのに。その気も失せた。今日はさっさと休もう。

 月明かりが差し込むベッドに潜り込む。頭からつま先まですっぽり覆われるほど、大きい毛布というものは初めてだ。こんなにも安心するなんて。




 む、動けない。

 いつぶりに聞いただろうか、外から聞き覚えのある鳥の鳴き声がして目が覚めたのだが、わたしは金縛りにあっていた。動こうとするほどに羽交い締めにされる。


「……ん、起きた?」


 背後からムカつくあいつの声がした。軽く拘束が解けたので逃げようと身をよじったら、腰を掴まれ、ころんとあいつの正面を向かされた。

 いつもはムカつくヘラヘラ顔が、ふにゃっと眠たそうな顔をしている。どうやらこいつも寝起きらしい。

 

「おはよ」


 そう言っておでこにキスされた。


 わたしは違和感を覚えた。しばし考え、こいつからの『おはよう』を初めて聞いたからだとわかった。こいつはいつも、わたしが起きる頃には跡形もなくいなくなっていたのに。

 それだけじゃない。ベッドなのに、ふたりとも服を着ている。こいつはいつも、すぐに脱がせてきてたのに。


「あ、あの」

「うん?」

「その、しないの?」

「君はヤりたいの?」


 目を細め、挑発するように聞いてきた。そんなわけない。どうせこいつも、わたしが望んでないことくらいわかってるくせに。


「……しんじゃえ」

「あは、そうだね。今は眠たいからね」


 ふわっと笑って、背中に手が回し、わたしをぎゅうっと抱きしめてきた。腕の輪郭は感じるけれど、痛くはない。そんな強さで。


 娼館に売られたわたしを誘拐して高頻度で致していたから、性的な奴隷にでもされたのかと思った。しかし、致しに来なくなったから、ぷくぷく太らせて食肉コースなのか、とも考えた。けれど、どちらでもないようだ。

 こいつの考えが読めない。読めないと、逃げ出す計画も立てにくくなる。



 目の前にある皺のつかないお高そうな生地の寝間着を、つん、と小さく引っ張る。


「あなたは、なんでここに」

「会いたくなってね、君が僕を気にしていると聞いて」

「わたしは気にしてなんか……」


 言いかけて言葉を止めた。

 もし、こいつのご機嫌取りをしたら、わたしはこれよりも上等な待遇を受けられるのだろうか。こいつのお気に入りになれたら、わたしは自由が利くようになるかもしれない。

 さすれば、ここから脱出できる可能性も格段に上がる。


 なあんだ、こんな単純なことだったのか。わたしは、こいつがわたしを気に入るように仕向けたらいい。

 すなわち、好きにさせたらいいのだ。



 わたしには兄妹がいる。

 一番上の兄は豪腕かつ顔もそれなりに良かったので、モテまくって村中の女を食い散らかし、家でクズ男武勇伝を語っていた。

 二番目の兄は狩猟が得意で、賢かった。わたしにタイミングの図り方や計算の考え方を教えてくれた。

 姉は要領が良い人間で、村の人たちから好かれていた。相談事に乗る事も多く、人々の生活事情を網羅し、雑多な知識に長けていた。

 妹は可愛らしく皆から愛されていた。村中の男を落とすたびに、その戦術をわたしに自慢してきていた。


 わたしには多種多彩な兄妹がくれた知恵がある。ここから生き抜いて脱出できる力があるはずだ。



 手始めに、妹が言っていていたミラー効果とやらを試してみる。相手と同じ動作をするという、お手頃戦法だ。

 ムカつく顔を見上げて確認したら、こいつは目を閉じてすうすうと息をしていた。気持ち良さそうに二度寝しやがって。


 さらっとした前髪を払い、そのおでこにキスを返す。


「わたしのこと、好きになあれ」



 わたしは、なんとしてでもここを脱し、お金を得て家族のところへ帰るのだ、絶対に。

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