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1 わたしとあいつ

 今まで特定の女を作らなかったのは、彼女と出会うためだったのだ。花街の近くで荷馬車から次々と降りてくる村娘たち、そのうちの一人と目が合って、そう思った。

 思わず買った。即決だった。なぜか娘は暴れたので、やや痛い目に合わせた。おとなしくなった。抱き上げても動かないくらい。身長の割には軽かった。

 口減らしにと売られる子どもにしては年齢は高く、年齢のわりには値が張り、静かに眠る顔はどこか幼く、身長に見合っていない軽さだった。羽を折られた天使が落ちてきたのかと思った。


 購入理由はただひとつ、単純に顔がタイプだったから。一目惚れである。


 自分の屋敷は昔の没落貴族の屋敷を買い取ったものであるため、時代遅れの地下牢が設備されている。逃げられないように、そこに彼女を閉じ込めておいた。

 世話係の使用人によると、いつも隅っこに座って退屈そうにしているのだとか。食事を持っていくと喜んで受け取るらしい。

 僕が顔を見せに行っても表情を歪ませるだけなのに、愛しい人は生意気だ。可愛いから許すんだけど。




 ところで、恋愛において『押してダメなら引いてみろ』という駆け引きがある。


 好きな子が心を開いてくれない、と友人に相談したら、押しすぎなんじゃないかと言われ、この駆け引きを説かれた。あえて距離を置いて相手の様子を見るという恋愛術である。

 確かに、毎夜毎夜愛しに行っているから、ウザがられているかもしれない。そろそろ自分の仕事も繁忙期が始まるところなので、距離を置くには良い頃合いだろう。


 だから明日からは、僕の下で僕を睨みつけてくる愛しい人と、しばしのお別れをする。

 僕を苛立たしげに見る瞳は淡いキャラメル色でとびきり甘く、ガリガリで折れてしまいそうだった腰はようやく健康的な肉付きになってきた。僕の元に舞い降りた天使が、ようやく年相応の人間らしい姿になってきたというのに。


 別れが惜しくなって、艷やかになってきたキャラメル色の長い髪を撫で梳いたら、彼女はより一層眉間に皺を寄せ、こちらに向ける目を鋭くさせた。

 小さな口が薄く開いて、押し殺しているような声を絞り出す。


「……しっ、しんじゃえ……」

「うんうん、可愛い可愛い」


 反抗心に燃えている彼女は、今日も頑張って僕に楯突いてくる。飽きずに、懲りずに、いつものことだ。

 いつになったら心を開いてくれるんだろう。体はもう順応しているくせに。


「きらい、だいっきらい……」

「ねえ、痛くない? 気持ちいい? あ、今イったね」

「……っ……しね、しねっ」


 身をよじって逃げ出そうとするので捕まえて引き寄せる。

 明日からは構ってあげないから、今夜はいっぱいいちゃいちゃしようね。





 灼熱の暑さが際立つ半年ほど前の夏、この国は異国民との紛争を始めた。戦いに駆り出されるのは国が率いる騎士とやらで、その騎士団の潤沢な軍事資金のために、貧しい民は税を絞れるだけ搾り取られた。

 当然、わたしは貧民側だった。生まれ育った農村でせっせと作った農作物は税として巻き上げられ、一生懸命織った布は質が悪いと安く買い叩かれる。

 そうして、家には食べるものも食糧を買うお金もなくなった。


 わたしには四人の兄妹がいる。

 一番目の息子は腕力があり、二番目の息子は弓が上手い。一番目の娘は要領が良く、三番目の娘は整った容姿をしている。

 二番目の娘は特技もなく、できることも平々凡々。だから二番目の娘、すなわち自分が口減らしとなるのが最適だと判断し、わたしは自ら娼館に売られることを決めた。


 娼館というところでは、食べるものが用意され、寝床もあり、お金も貰えると聞いた。なんとお得な一石三鳥。栄える都市で訪れる人の夜の相手をすればいいだけだ、と。

 無事に娼館に辿り着いていたら、わたしは食にも睡眠にも困らず、お金を手に入れられる、はずだったのに。



 ちなみに、この戦いで潤う存在もいる。手柄を立てて褒美を賜る騎士とか、税を中抜きしたりする一部の上流階級の人間とか、武器を扱う商人とか。

 わたしの人生計画を狂わせたあいつは、どう見てもこちら側だった。チョコレートの色のサラサラ髪が、この時勢であってもお金をかけて丁寧に手入れされている証拠だ。普段着ている服はどれも手触りが良く、引っかいても破れにくいので、上質なものなのだと思う。

 本当に、本当に、ムカつくやつ。



 わたしが娼館に行けなかったのは、あいつにボコされたからだ。

 娼館に着いて同じ境遇の幼い娘たちに続いて降りたと思ったら、わたしひとりだけ違うところに連れて行かれたのだ。殺されると思って暴れたら、とんでもない力で腹パンされ、気を失ったのである。


 目が覚めたらそこは異世界、ではなく柔らかいベッドの上だった。

 最初は室内かと思った。ベッド横には小さなテーブルがあるし、中央には可愛らしい猫脚のテーブルと椅子まである。地面にはなんとカーペットが敷き詰められて、きらびやかなスタンドライトもいくつか立っている。

 ただ、壁が四面とも分厚い布覆われており、見上げれば高い高いところに一つ小さな窓が見え、そして天井は岩肌だった。深緑の布をめくれば目に入る鉄格子、濃紺の布の奥には岩の壁。どうやらここは牢屋らしい。

 こうして、わたしの牢獄生活が始まった。




 ここに来てもう何日目だろうか。食事用のナイフで岩壁につけた傷で換算して約一ヶ月が過ぎようとしたとき、あいつがぱたりと来なくなった。

 これまで、傷が二つか三つ増えたらノコノコとやってきて、気持ち悪いことを吐きながら情事に及んだというのに、今や傷が十を越えようとしても一向に現れる気配がない。


 ただでさえあいつが来ない間は暇だったのに、輪をかけて暇になってしまった。ずっと動いていないせいで、わたしは元気を持て余している。

 室内風牢屋をうろうろと動き回り、ふと聴こえてきた足音に反応して深緑の布をめくる。あのお兄さんだ。


「こんにちは。や、おはようですか?」

「こんばんは、ですね。食事です。どうぞ」

「ありがとうございます」


 毎回ご飯を持ってきてくれるお兄さんが、格子を開けて食事のお盆を手渡してくれる。

 一見優男の相貌をしているこのお兄さんも、本性は恐ろしい人だ。ここに来て最初の頃、この格子が開くタイミングを見計らって逃げ出そうとしたら、ものすごい速さと力で首根っこをとっ捕まえられ、気だるそうに舌打ちされたのだ。あれは怖かった。


 しかし、お兄さんには良いところもある。ご飯を食べ終わるまでは格子のところに立ってわたしとお話してくれるし、食事後にナイフで壁に傷をつけているのを見ても怒らない。それどころか、わたしの体調まで心配してくれる。

 きちんと定期的に来てくれるところも良い。ムカつくあいつと大違いだ。



 食器を返すとき、お兄さんに尋ねてみた。急に来なくなったあいつはどうしたのか。


「あの」

「なんですか」

「あの人は死んだんですか?」

「え。旦那様はご存命ですよ」


 困ったように苦笑された。残念、生きているのか。そりゃそうか。あいつは二番目の兄と同じくらいの若造だから、簡単に死んでくれなさそうだ。

 しかし、生きているのならば、


「なんでここに来ないんですか」

「旦那様のことが気になりますか?」


 お兄さんが首を傾け、わたしと目線を合わせる。全てを見透かしているかのような目だった。そんなこと、あるわけない。


「ぜーんぜん興味ないです」

「ふふっ、そうですか」


 つーんと言い返したのに、笑われた。完全にわたしのことを舐め腐っている。ムカつくお兄さんだ。



 お兄さんが帰った室内風牢屋は、再びわたしひとりぼっちになってしまった。ベッドの隅っこでうずくまる。


 崩れそうもない岩壁は十分に雨風を凌げる。倒壊寸前の隙間風だらけのボロ屋に住んでいたときとは大違い。特に冬の時期である今は、夜が来るたびに凍え死ぬ思いをしていた。

 それでも、わたしはボロ屋がいい。ここには、泣く泣くわたしを見送った両親も、なんだかんだ可愛がってくれた兄妹もいないのだ。


 わたしが進んで娼館に売られたのは、お金が稼げると思ったから。家の暮らしを少しでも良くしたくて、誰かを売らなければならないなら取り柄のない自分がいいと申し出た。

 なのに、ここでお金は得られない。家族の元に帰れない。一生わたしはひとりぼっちで、ここに閉じ込められたままなのだろうか。



 ひとりでいたら嫌なことばかり考えてしまう。こんなこと考えている場合じゃないのに。しっかりしなきゃ。

 そう、まずはここから脱出する方法を考えよう。

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