3話
「父上!いや、国王陛下!私の話を聞いていただきたいのですがよろしいでしょうか!」
突然大きな声を上げ、穏やかだった会場の空気を一瞬で止めてしまったのは、やはり第二王子のウィリアムだった。誰も止めないのをいいことに壇上へと足早に移動している。その姿は堂々としたもので、周囲の困惑した様子などお構いなしに、むしろその視線を浴びて嬉しそうですらある。その後ろにはマリーが続いていた。
シルビアは極力顔に出さないようにしていたのだが、隣にいるミリアムはうへぇと、とても淑女が出していい声色でないものを口から出していた。
「ついに始まりましたけど、なんですかあの二人。ウィリアム様の売れない舞台俳優のようなわざとらしさもですけど、後ろを歩いてるマリー令嬢の表情と足取りのミスマッチ感が笑えてきますね」
「ミリアム、いい加減口調を戻しなさい」
流石にまずいと思ったのか、ミリアムは慌ててコホンと咳払いをしてから淑女の微笑みを作っている。周囲はウィリアムたちに注意が向かっていたのでミリアムの素に気づいたものはいないようだ。
「しかし、このような者たちで本当に大丈夫なのでしょうか。此方の計画に支障が出ませんこと?」
「どのように転んでも対応できるように此方は準備してきましたもの。ウィリアム様たちのお手並み拝見といたしましょう」
シルビアとミリアムは密かに話していたが、周囲を見ると同じように近くの人と小さく話をしている者が多い。特に卒業生の令嬢たちが二人に向ける視線が恐ろしいくらいに冷ややかである。これからウィリアムが国王陛下に何を話すのかわからないが、どうせロクでもないことなのは学園生活を共に過ごしていれば簡単に思いつくことだからなのだろう。それと、マリーの仕草が女性からは殊更不評なものだからという理由もある。
壇上へウィリアムたちが近づいていっても国王陛下は様子を見ているだけであった。それに倣って護衛をしている近衛騎士たちも動かない。行動を止められないことに自信を持ったのか、ウィリアムはマリーをエスコートしながら壇上へと上がると、揃って貴賓席にお辞儀をする。そしてすぐに会場を見渡すと一つ大きく息を吐き、シルビアを見つけ思い切り睨みつけると指を差し声を上げた。
「シルビア=ロッシュ!私は、今、この場で、お前との婚約破棄を、宣言する!!」
自分に酔って言葉を不自然に区切りながら話すウィリアムに、周囲は何も反応しなかった。国王陛下が許可を出す前の発言であるし、そもそも王族の婚約とは国王陛下が決めたことで当人が破棄を宣言したからといって婚約が破棄されるものではない。つまり、いきなり非常識なことが目の前で起きたので、何も知らない大半の者たちは皆反応に困っていたのだ。
では、今回のことを知っていた、あるいは予想していた者たちはというと、まず自分に酔っているウィリアムの隣に立つマリーはウィリアムの腕に必要以上にくっつきながら勝ち誇ったようにシルビアを見ていたし、同じような顔をしていたのはウィリアムの母である側妃のアネットだった。
正妃殿下は扇で顔を半分ほど隠していたので表情は読めないが、国王陛下は眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。それは今日の卒業式の時から同じ顔だったので、今回初めて間近で国王陛下を見た大半の者には感情が読み取れない。普段の国王陛下を目にしている上層部の者でも全てが読み取れる表情ではなかったが、今の状況を見ればきっと彼らも同じ表情をしていたことだろう。
想定していた最悪が起こってしまったこと、それに備えて準備していたことが報われること、ついに始まった『茶番劇』のことを考えればそんな表情にもなるのだろう。シルビアだって彼らと同じ表情をしたかったが、淑女としての矜持がそれを留めていた。王妃のように扇を広げていたわけではないので顔を隠すこともできない。表情筋を総動員して歪むのを押さえ込むしかなかった。
横にいるミリアムは肩を震わせていて笑いを堪えているのが傍目でもわかるが、一応声を上げて笑わないだけの嗜みは持っていたようだ。会場内の雰囲気など気にもしていないウィリアムは更に演技の入った言葉を高らかに紡いでいく。
「私は王族の誇りを持って生まれ、日々を歩んできた。そして、私と共に歩む者にも同じく誇りを持っていて欲しいと考えている。しかし!シルビア=ロッシュ!お前はそれに相応しくない行い、いや悪行をしていることがわかった。これ以上ない破棄の理由となるだろう。そして!私の隣に立つマリー=レニエ嬢こそが共に人生を歩むにふさわしい女性であることを、この場で宣誓したい!」
「きゃあっ!ウィリアム様、嬉しいです!私もウィリアム様だけを愛してるって宣誓します」
「嬉しいよ。ありがとう、マリー!」
壇上で二人盛り上がっているところを会場は冷めた目で見ていた。特に王妃殿下から出ているオーラが怖い。ウィリアムとマリー令嬢の後ろに見える貴賓席からブリザードが見えるようで会場は更に凍りついている。
このまま会場を荒らした二人を捕らえるのは簡単なのだが、それではこの場に用意された『断罪イベント』は終わらない。シルビアは今こそ役目を全うする時だと、壇上には上がらずともウィリアムたちの前に一人移動した。ミリアムも護衛の顔に戻り、次の準備のために今はシルビアから離れていく気配がした。
シルビアが一人壇上の前まで移動し少し待っていると、ようやく視界に入ったのかウィリアムたちは体をくっ付けたままではあるが二人の世界から戻り、シルビアを得意げに見ながら彼女への断罪を再開したのだった。
「逃げずに私たちの前にきたことは褒めてやろう。さて、お前の悪行は既に調べがついている。まず最初に学園内でマリーに数々の嫌がらせを行っていたことだ!証拠もある」
すると、ウィリアムの側近である男が両手で抱えるほどの箱を持って壇上へ上がり彼に近づくと、ウィリアムが中身を取りやすいように箱を持ち上げたまま片膝をついて待機をしている。それを満足げに見た後、ウィリアムは箱の中からシルビアがマリーにした嫌がらせの証拠なるものを、周囲に見せ付けるように掲げると床へ放り始めるのだった。
「これは、マリーのボロボロにされた教科書!これは、マリーのズタズタにされた運動着!これは、なんとマリーが階段で突き落とされた時にできた傷を手当てしたハンカチだ!全てシルビア!お前がやったことだと俺たちは知っているぞ」
想定以上にお粗末な証拠品でシルビアは反応に困ってしまった。市井のならず者でももう少し上手くやるのではないだろうか。当たり屋という勝手にぶつかって来て慰謝料を請求してくるやり方のほうがよっぽど正しい主張のように感じる。
思わず首を捻ってしまったシルビアを見て、マリーはウィリアムの腕にきつく縋り付いているが恐怖で青ざめるというより、自分に酔って頬を赤らめて瞳を輝かせているようだし、そんなマリーを庇うように抱きしめるウィリアムは、頭にきているのか母親似のそこそこに整っている顔を歪ませて声を張り上げている。
「貴様ァ!これだけのものがありながら、まだマリーにした嫌がらせを認めないのか」
「ウィリアム様、私シルビア様が怖いですわ。きっと私にしたことなんて大したことないとお考えなのですもの。私が我慢すればいいことですわ。うぅ。」
「マリー!君のことは俺が絶対に守るから、泣かないでおくれ」
「ウィリアム様!でもでも、シルビア様のお家はそれ以上のことをなさっていたのでしょう?私は自分のことより民たちの、国のことが心配です!」
「あぁ、マリー。君はなんて優しい子なんだ。そうだ、シルビア。貴様がマリーに行った嫌がらせの証拠を集めている時、俺たちは本当の悪事を見つけてしまった。なんと、それは、貴様と、貴様の家が、国を混乱に陥れる企みをしていることだ!」
この発言には流石に静かにしていた会場がざわついている。それを見て壇上の二人はしたり顔をしていた。シルビアはそれを見ても表情を変えない。劣勢だからなどでは全くなく、ただ時が来るまで見定めるのが彼女の役目だったからだ。そしてウィリアムに静かに問うた。
「ウィリアム様、証拠はございますの?相応のものがなければ憶測で我が家を貶めたことになり、然るべき場にて然るべき対応をお願いすることになりますけども、その覚悟はよろしくて?」
「貴様こそ首を捧げる覚悟はあるのか?俺たちが見つけた証拠は、脱税から始まり密輸の出入、人身売買、他国の間者の受け入れなど、どれも国の法を無視した悪行ばかりだ!貴様らロッシュ家は国家転覆を狙った反逆者どもだ!」
「それがロッシュ家でやったことだと、お前は言うのだな?」
次の問いはシルビアではなく、国王陛下自らが出した。ウィリアムは自身の後ろに座っている国王陛下からの質問に答えるためにゆっくり斜め後ろに体を向けると、右手を胸に恭しく頭を下げる。それは壇上へ上がって最初の礼以外はずっと背を向けていたことからも感じるが、国王陛下への敬意などなく、周囲の者たちへ見せつけるためだけにしている大袈裟すぎる所作だった。
「そうです父上。私の最愛となるマリーをいじめ、国家転覆など恐ろしいことを企むシルビアの極刑を含め、ロッシュ家を是非に処罰していただきたい。そして今回の件を未然に防いだ私を病弱であらせられる兄上に代わり王太子とし、その隣に相応しいマリーとの婚姻を認めていただきたいのです。あぁ、今回のことを私より先に見つけることの出来なかった父上にも責任はあるのではないでしょうか。このような場で言うのは非常に心苦しいのですが、私ならば上手く国を回せるのではないかと愚考します」
「まさに愚かな考えですわね」
「なんだと?」
ウィリアムのあまりにもな発言を聞いてつい口に出してしまったシルビアを、ウィリアムは睨み付けているが、シルビアは一切そちらを見ずに国王陛下へ頭を上げて発言を続けた。
「申し訳ありません、国王陛下。私は役目を全うし第二王子たちを見極めようとしましたが、やはりこの二人も国にとっては混乱を生み出す脅威であると進言します」
「よい。……我もよく理解した」
「父上?シルビア!貴様何を言っている」
シルビアと父である国王陛下の会話の意味がわからずに混乱しているウィリアムを、今度はしっかりと見てシルビアは口を開く。それは真の断罪を始める合図でもあった。