1話
ついにこの日がやってきた。
『悪役令嬢』のシルビア=ロッシュ侯爵令嬢は、卒業式が終わり祝賀パーティへと雰囲気が変わっていく会場を感慨深く眺めていた。シルビアの学園は王国の貴族が通う所なので、卒業式よりもその後の祝賀パーティが重要視されている。そのため、シルビアたち卒業生の装いも学園の制服ではなく、パーティーに合わせた社交界にふさわしい正装での参加となり会場は実に華やかであった。
毎年、会場は王城での開催となり、給仕している者たちも王城勤務の全て所作などが完璧な一流とされる者たちであり、料理も音楽隊も王族お抱えの者たちが王族主催の時と変わらずに最高のものを提供し、さらに王国軍騎士たちによる警備配置までされている一大行事となっていた。
パーティの進行も普段の社交界と変わらない流れで行われるので、卒業生たちにとっては、本格的な貴族の社交界へと足を踏み入れる前の、最後に心から楽しめるパーティの場であり、参列している保護者や教師などの大人たちにとっては、まだまだ子供な卒業生を子供扱いできる最後の場であり、また今後大人として貴族の同胞となる者たちを見極める場でもあった。
そんな会場の隅でシルビアは佇んでいた。艶やかな黒髪をハーフアップにまとめ、深紅のドレスを着こなす隙の無い立ち姿は凛とした一輪の薔薇のようである。学園生活では王族の婚約者として貴族の規範となるべく行動していた。それが彼女の役割だったからだ。色々と大変なことも多かったが、それなりに充実した学園生活を過ごせたとシルビアは概ね満足していた。後は今日という日が無事に終わればいい。
「シルビア様、そろそろパーティが始まりますわ。首席で卒業なさった侯爵令嬢がこのような隅にいては盛り上がりに欠けてしまいます。移動なさいませんこと?」
シルビアに声をかけたのは、彼女の友人兼護衛のミリアムだった。ロッシュ家の遠縁にあたる家の令嬢で、見た目は儚げであるが卒業後は王国軍に入ることが決まっているという中々に武闘派な女性だ。
「そうね、式が終わってパーティが始まるまではここで会場を眺めていようかと思ったのだけれど、そろそろ移動しようかしら」
「その方がよろしいですわ。いつウィリアム様たちが動くのか分かりませんし、すぐに動ける場所を陣取りましょう」
「流石にすぐに行動はなさらないでしょうけれど、まあ準備は大切だものね」
「今日という日がようやく訪れたことが嬉しいですわ」
「私もだけれど、今は不安の方が大きいわね」
「大丈夫ですよ。いつものように堂々としていればいいのです。『悪役令嬢のシルビア』は格好いい素敵な女性なのですから」
「えぇ、頑張るわ」
不穏な会話をしているとは周囲に感じさせないように、にこやかな表情を作って会話をするシルビアとミリアムは、すっかりパーティの雰囲気となった会場の中心へと向かう。途中、シルビアへと声を掛ける者が多くいた為に足を止めることとなったが、参列者の話題の中心は間違いなくシルビアであった。
「シルビア様、首席でのご卒業おめでとうございます。王族入りされるシルビア様の今後がとても楽しみですわ」
「どうもありがとう。私たち貴族がこれからも国を支えるために努力は続けていきたいわね。一緒に頑張りましょう」
「まあ、光栄です。これからも忠義を持って王国を支えていきますわ」
「本当シルビア様が王族入りしてくだされば少しは安心と言えますわね。その、ウィリアム様はあれですもの」
そう言った令嬢がチラリと視線を向けたのは、会場に出来ているもう一つの集団の中心にいる人物だった。そこには件の王国第二王子であるウィリアム=ロア=モンティエと、彼が腰に手を回している女性、マリー=レニエ子爵令嬢の姿があった。集団を形成しているのは主に男子卒業生たちで、残りの参列者はシルビアの側や会場の隅で時々彼らに厳しい視線を向けていた。
この王国には二人の王子がいる。すでに次期国王となる王太子は第一王子で決まっているのだが、王妃の息子だが病弱で一度も表舞台に立ったことのない名ばかりの王太子よりも、側室妃の息子である第二王子を推す派閥が存在した。一見そんな第二王子のウィリアムへの繋ぎを得ようと男子たちが集まっているように見える集団だが、実はウィリアムの横で微笑んでいるマリーを目的として群がっていることを同じ学園の時を過ごし、その輪に加わっていない者たちは知っていたので彼らを見る目が俄然冷たくなっていた。
マリーは子爵令嬢だが、淑女になるよう教育を受けているのなら決して人前でやらないような事を平然とやってのけてしまう、良く言えば天真爛漫な女性だった。学園生活ではそんなマリーに親しみや新鮮さを感じた貴族子息たちがどんどん虜になっていき、それを見た令嬢たちが眉を顰め彼女を遠ざけるというものになっていた。
マリー自身は令嬢たちに遠巻きにされている事を子息たちの興味を引く材料にしている節があり、それを見たシルビアは下位貴族らしい強かさを持った令嬢という印象を抱いていた。そこにウィリアムも積極的に混ざっていることは婚姻前の戯れにしても目に余る行為と言えるが、ウィリアムは誰からも指摘されない、いや指摘されても無視を決め込んではマリーを側に置いて今日に至っている。そう、ウィリアム第二王子は卒業後に婚姻が控えていた。相手は現時点でマリーではない。
「あの、シルビア様はウィリアム様のことはよろしいのですか?」
「今まで何度もお声掛けしているのだけれどね。もう仕方ないわ」
「いくら政略とは言え、そのようなことでは今後が心配ですわね」
「私は王族の方と婚約したのですから、ある程度は仕方ないことなのでしょう。これからも王国のためにお役目を果たすだけですわ」
シルビアは今まで幾度と無く聞かれたことのある質問に、表情を変えることもなく同じように答えた。シルビアの返答は何も知らない者が聞けば、困った婚約者の戯れに疲れた女性の言葉であり、またこれから起きる事を知る人が聞けば既に結論が出た者の発言であった。とは言え、此処にいるのは皆貴族の教育を受けた人たちばかりなので、どちらでも表情に出すことはない。
侯爵令嬢であるシルビアは6歳の時から、王族と婚約を結んでいる。そのため同じ歳のウィリアムとは小さい頃より国のために教育を受けていたのだが、教育内容に差が出てからは定期でのお茶会をするのみとなっていた。その時から既にウィリアムの態度は尊大であり、シルビアとの仲が良くなることはない形ばかりの関係になっていた。
そんな関係のままに学園へ入ったウィリアムはマリーと出会い、益々シルビアとの距離を置くようになる。それでもウィリアムとの関係は王命であるのでシルビアは最低限の交流を持つようにしていたのだが、それすらもウィリアムにとっては鬱陶しいことだったのか、卒業が近づくにつれシルビアのことを無視するようにまでなっていた。
以上の経緯を遠巻きで見てきた学園の関係者のほとんどはシルビアに同情的だった。どう見ても不誠実なのはウィリアムであるし、シルビアは正しく貴族の御令嬢であったからだ。貴族の中でも上位に位置する侯爵家の令嬢として、時に周囲へ厳しい言葉もかけるが、それ以上に本人が努力していることは在学中に首席の座を誰にも譲らなかったことからも明らかであった。
「私たちはこれからもシルビア様をお支えします」
「まあ嬉しいわ。ありがとう」
とりあえず話はそこで終わり、その後は互いのドレスの話や美味しいお菓子の情報などへ話が変わっていく。今日まで学生気分とは言え、貴族としての社交に余念はないのだ。
そうして、しばらく淑女の社交を楽しんでいると祝賀パーティー開始のラッパの音が会場に響き渡り、いよいよ舞台の幕が上がるのだった。




