《秋のとある日》2 - 私・午後の学内
午後の最初の授業は外国語だった。
我が国の隣にある大国とはかなり深い繋がりがあるから、それなりの階級に属している人間は話せないと恥をかく。一般市民だって職種によっては(高級レストランや宿泊施設の従業員)、話せるのだ。
完璧令嬢の私は、すでにネイティブ並みに使いこなせる。
だけどヴィンツェンツは……。
公爵令息であるから、幼いころから家庭教師がつき学ばされていたけど、
「大丈夫、なんとか通じるさ」
と言うばかりで、あまり真剣に身に付けようとしなかった。
その言葉通りに、隣国の人間と話すときには乏しい語彙と身ぶり手振り、そして愛嬌のごり押しで意志疎通を図っていた。
……それが私は恥ずかしくてたまらなかった。仮にも公爵家の人間なのに、なんて不恰好なのだ。
頼むから語学力をあげてくれ、後生だから学友の前だけでも取り繕ってくれ。私は彼にそう頼んでばかりだった。
だけどヴィンツェンツは、隣国の文学をよく知っていた。読んでいたのは自国語に翻訳されたものだったけれど、有名無名に関わらず深い造詣を持っていた。
芸術にも通じ、あちら出身の画家や彫刻家、音楽家についても詳しく、大人たちに混じってつたない言葉なりに会話を楽しんでいた。
どうして私はその素晴らしさを認めなかったのだろう。
婚約をしても、のんき者で将来を見据えないヴィンツェンツを見かねた彼の叔父が、卒業後は自分が所属する宮廷楽団の事務に席を用意すると、約束してくれた。芸術に造詣が深いから、楽団員と仲良くやっていけるだろう、との気遣いだった。
それを私は、つまらないし収入の少なそうな仕事だ、と侮蔑した。さすがに口には出さなかったけれど、せっかくの就職先なのだから、今からきちんと楽団経営について学ぶべきだとは、何度も言った。
ヴィンツェンツは分かったよと答え、だけど何もしなかった。
どうして学ばないのかと尋ねたら、ちゃんと学んでいる、目を瞑っていても今聞こえる音が誰が奏でる音なのか、聞き分けられるようになったよ、と答えた。
思わず私は、それはあなたの仕事と関係ないと詰ってしまった。
こんな女、結婚相手としては最悪だ。
チャイムが鳴り、みなそれぞれに席を立つ。
隣の男子生徒が、
「ナタリエは今日も完璧な発音だったな」
と声をかけてきた。当たり前だ。私は完璧令嬢だもの。どれだけ努力を積み重ねているか、分かるまい。
「ところで俺のプロポーズ、そろそろ良い返事はもらえるかな?」
「いつも通り、お断りします」
「早く決めないと、結婚できなくなるよ」
ニヤニヤと笑う男子に胃がムカムカする。
「もう婚約は懲り懲りですの」
にこりと完璧な笑みを浮かべて、何十回と繰り返してきた言葉を口にして、机を離れる。
次は移動教室だ。友人二人と並んで歩いていると
「あいつ、修道院を脱走したらしい」
との声が聞こえ、思わず足を止めた。
「あいつ?誰?」と別の声。
「ほら、ヴィンツェンツを誘惑した……名前なんだっけ?」
「ああ、あいつね。逃げたんだ。たくましいなあ」
ヴィンツェンツが愛した君のことだ。そうか、逃げたのか。彼の元へ行くのだろうか。
「すぐに見つかったって。付近のひとり暮らしの男の家を探ったら、大当たり!」
男子生徒たちは笑っている。
「だけどさ、良いところもあったよな。育ちが悪いせいか、こっちが何かちょっとやっただけで、『凄い!』って目をキラキラさせて褒めてくれてさ」
「そうそう。貴族の間だったら普通のことでも、手放しで褒めてくれるから気持ち良かったよな」
……。
私、ヴィンツェンツに小言ばかりで、褒めた覚えがない。
「ナタリエ」
友人たちがそっと、私の顔をのぞきこんでいる。
「行きましょう」
「気にしてはダメよ」
「男たちは精神が子供なのよ」
「あんなことを言いながら、女子が男子より秀でると、褒めるどころか生意気だって言うのだから」
一生懸命にフォローしてくれる友人に、ありがとうと伝え、だけど気分は晴れない。
私だって褒められれば嬉しい。
きっと誰だってそうだ。
私はヴィンツェンツに自分の理想を押し付けるばかりで、彼の良いところが見えていなかった。そればかりか、彼に喜んでもらいたいとか、嬉しく思ってもらいたいとか、そういう優しい感情が足りなかったのだ。
なんて傲慢な婚約者だったのだろう。