《秋のとある日》1 - 私・学食
学校の後期が始まって、幾日か。
長期休暇明けの浮わついた空気も消えかかっている。
代わりに話題に上がるのは、卒業後のこと。私たちは半年後にこの学校を卒業する。
貴族や上流階級の子女が多いことから、卒業後すぐに結婚する生徒は多い。女子に限れば半数を超える。残りの女子の多くも、婚約者がいて結婚予備軍だ。
誰は誰と結婚するとか、式はいつだとか、夫の領地に引っ越すとか。
式のドレスはどのデザイナーに頼んだとか、招待客は何人だとか、新婚旅行に行くことにしたとか、
ピンクでハートな話題が多い。
友人たちがキャッキャと話すのを聞きながら、黙々とランチを食べる。
今日のランチは舌平目のソテーと鴨のテリーヌ、サラダのクレープ巻き、ミネストローネ、それにパニーニ。希望者にはカンノーロ。
……カンノーロは彼の好物だ。
「それにしてもナタリエはどうなさるの?」
掛けられた声に、遠くへ馳せていた思考を引き戻して、顔には憂いを滲ませた笑みを浮かべる。
「なかなか勇気が出なくて」
「もう!いい加減、勇気をお出しになって!」
「あんなことは二度とありませんわよ!」
友人たちが口々に励ましの言葉をくれる。ありがとうと答え、また弱々しい笑みを浮かべておく。
半年ほど前のこと。
私は婚約者に夜会会場で婚約破棄を突きつけられた。他に愛する女性ができたから、可愛げのない私なんかはいらない、と言って。
正直なところ、ほっとした。
私の婚約者、ヴィンツェンツは悪い人ではないけれど、それしか取り柄がない人だったから。
外から見れば、すぐれた青年に見えただろう。
だけど彼は公爵家次男ゆえに、良い家庭教師と良い侍従に支えられていた。それですぐれた青年の体裁を整えていたのだ。
ところで19歳の誕生日を迎えると、この国では成人となる。
貴族の家に生まれた長男以外の男にとっては、試練の始まりの日でもある。なにしろこの成人を期に、身分は平民となるのだ。自分で働いて生活しなければならなくなる。
だから、すぐれた男子ならば早いうちから独立の準備を始めるのだけど、ヴィンツェンツは楽観的で何もしていなかった。
そんな彼との婚約が決まったときは、目の前が真っ暗になった。
友人としては好きだったけど、結婚相手としては、最悪すぎる。
だがこの縁談は大公が持ってきたもので、断ることはできなかった。
それを阿呆なヴィンツェンツが、大公に確認もせずに破棄宣言をしたのだ。
これで彼と結婚しなくて済む。そう考えて、心の底から安堵して当然だろう。
その後、ヴィンツェンツはその迂闊さ粗忽さ愚かさを両親に叱られて、精神を鍛え直してこいと国境警備隊に放り込まれた。
彼の愛しの君は、他人の婚約者を奪う性悪女として修道院送り。
婚約は解消となり、私には新しい縁談がいくつも持ち込まれた。
だけど。
喜びは長く続かなかった。
両親、友人、使用人、みんなが口を揃えて、私は悪くない、ヴィンツェンツが愚かなのだと言ってくれた。
最初はその通り、と思っていた。
私は『完璧な令嬢』と褒め讃えられる。だから私に非はないのだと信じていた。
けれど、やがて本当にそうなのだろうかと、考えるようになった。
悪いのはヴィンツェンツだけ?
完璧令嬢のナタリエに問題はなかった?
答えはすぐに出た。
私がもしヴィンツェンツだったならば。自分のことを間抜けで将来性のない人間と見下している女なんかと、結婚なんてしたくない。
そう。性悪なのは、他人のものに手を出した彼女だけではなかった。
完璧令嬢の仮面をかぶって心の中で苛ついている私もまた、性悪女だったのだ。
そのことに気がついた私は、到底新しい婚約をする気分にはなれなかった。