《秋のとある日》1 - 僕・食堂
「なんで、あんな使えない坊っちゃんがこんな『果て』にいるんだ?」
聞こえてきた声に、足をとめた。その入り口の向こう、食堂からだ。ガヤガヤとしたざわめきの中、よく通る野太い声。昨日この『果て』こと、国境第七砦に赴任してきたガウスだ。
「ろくに剣も扱えねえ。槍、斧、弓はクソレベル。体力もねえ」こちらは同じく一緒に赴任したザラ。
「まあ、そう言うな。ヴィンツェンツは頑張っている。あれでもマシになったんだ」
そう取りなしてくれたのは、副隊長だ。
「答えになってねえ」とガウス。「食料だって乏しいのに、ただ飯食らいなんてお荷物じゃねえか」
僕は動くことができずに、床をみつめる。
荒削りの石が並べられた床。都にいたころは、世の中にこんな武骨な床の建物があるなんて知らなかった。
僕はいつだって美しく洗練された世界にいたから。
「父親に、逞しくなれって放り込まれたんだ。詳しい事情は知らん」と副隊長。「確かに戦力にはならんが、弱音も吐かず、文句も言わず、逃げ出しもせず、もう半年だ。苛めるなよ」
……。
弱音を吐かないのは、聞いてくれる相手がいないから。
文句を言わないのは、言っても都に帰してもらえないと知っているから。
逃げ出さないのは、砦の外に出れば僕なんて一日も生きていられないと分かっているからだ。
ここは深い山間にある砦だ。周りの森にいるのは猛獣か盗賊集団。一番近くの村まで徒歩なら三日かかる。
隣国と我が国を結ぶ街道沿にあって、本来の役目は密輸の取り締まりと関税の徴収だ。この街道は、両国の首都を結ぶ最短ルートだ。地図上ならば。
なにしろ急峻な山だ。獣も出る。となると、いくら最短とはいえ、だいたいの人間は山を迂回した街道を選ぶ。
だから実際の仕事は、盗賊や密輸グループなんかとの戦いばかり。砦に文官は一人もおらず、屈強な猛者ばかり。
ちなみにここは、我が国の国境にある20の砦の中で一番厳しい環境だそうだ。
「あんなモヤシ、苛める気にもならん」
ガハハハと笑いあう、ガウスとザラ。
僕は頃合いかなと思い、気を引き締めた。
「お疲れ様でーす」
前をしっかり見て腹から声を出し、食堂に入る。それなりに、返事はある。うなり声にしか聞こえないけど。
奥のカウンターに向かう。食事はバイキング形式。トレイを手にして、木製の皿とカトラリーを乗せる。今日の昼食は、焼き肉とパン、キノコのスープだ。
焼き肉は一昨日隊員がしとめたイノシンだ。味付けはなし。ここは塩が貴重だから、滅多に使わない。
パンはレンガ並みに固く、キノコのスープが一番まともだけれど、時々毒キノコが混じるらしいから、気をつけて食べなければならない。
そもそも食事は隊員の当番制なので、料理の素人が作っている。
初めてみた時は、料理と気づかなかった。焼いただけのイノシン肉なんて、すごく臭いのだ。
トレイを持って空いた席に座る。
とりあえず倒れたり具合が悪そうな隊員はいない。
それなら大丈夫、とキノコのスープを口に運ぶ。うん。キノコの出汁の味しかしない。問題はなさそうだ。
「は!?公爵令息!?」
ザラの叫び声。食堂内が一瞬静かになる。みなの視線が僕に集まる。
「そりゃ、相当なことをやらかしたんだ」
ザラがニヤニヤしながら僕を見ている。その傍らに、僕を嫌っているハンクがいる。彼もニヤニヤ顔だ。
隊員たちは僕が公爵家の次男だと知っている。だけれど何故ここにいるかを知っているのは、隊長と副隊長だけだ。
僕は腹に力を入れた。
「そうだよ、僕は君たちには考えられないような愚かなことをしてしまったから、ここにいる」
こんな奴らにバカにされて負けるものか。
「婚約破棄をしてしまった罰だ。ハンクとザラには考えられないだろうな。モテそうにないから!」
とたんに食堂は爆笑の渦に包まれた。
となりの隊員が、言うなあ!と笑いながら僕の背中をバンバンと叩く。痛くて背骨が折れそうだ。
だけど良かった。僕の切り返しは上々だったらしい。
向かいの隊員は
「そんなことで砦送りになるなんて、貴族は大変だな」
と言って、なぜか自分の皿の肉を分けてくれた。
『そんなことで』か。
本当に僕も、婚約破棄を宣言することが、こんなことを引き起こすなんて思ってもみなかった。