おっさん、宇宙へ
地球に重力がある限り、その枷を振り払おうと思った時の重みってのは、どれほど時代や技術が進もうとも残り続けると思います。
個人でワープできるようになれば別ですが、その仕組みを思いつけないので、自分の中に棲んでいるワープドライブやジャンプドライブのギミックではちょっと難しそうです。
退職の手続き、有給消化、引っ越しなどは馬鹿みたいにスムーズに進んだ。
状況が状況なので退職者が大幅に出るのは予期していたらしく――もっともディスカバリーに行くというのは想定外だったらしいが――あっさりと種子島に引っ越してきた。
なぜ種子島なのか、宇宙への出発地点がここだからという以上の意味があるのかどうかは俺にはわからん。
実際僻地なのは確かだが今は2222年……ネットの発達具合はもはやこれ以上ないって程で、僻地だろうが都心だろうが同じレベルでネットに接続できるので不便は感じない。
そう、最低限の寝る場所と高品質なネット環境、そしてうまい飯さえあれば俺はどこだって生きていける。
ついでに言えば日本国内どこに住もうが、日本人にとって旨い飯が食えるのは、昔っから変らない。
さて有給消化期間は3か月あり、その間何をしていたかというと怠惰に暮らしていたわけではない。
少ないながらも退職金を受け取ったりして多少の余裕がある上、引っ越し資金や住居費用が免除されているためジムに通ったりランニングしたりして体力づくりというか、ぶったるんだ体を少しでもなんとかする期間に充てていた。
小説で稀に見かけるような異星人に誘拐されたりトラックにはねられた挙句転生したり、気づいたら宇宙船に乗っていたなんてわけではなく、(一応)正規の手続きで宇宙に上がるので準備期間ってものをきちんと取れるのがいい。
正規といってもJAXA訓練生とかじゃないので低重力下での活動を想定した訓練とかを受けられるわけじゃないし、このトレーニングもやれと言われたわけじゃないただの自己満足なのだが。
各惑星軌道上にある宇宙ステーションでは、宇宙関連民間企業の人たちがだいぶ前から普通に仕事しているというのは公開情報でもある。
その人たち全員がマッチョマンになるまでトレーニングしてたなんて話は聞いたことがない。
つまり、こんなことやらなくても平気そうだってのはトレーニングを初めてすぐに気づいたんだが、体動かすのは嫌いじゃないので3か月間みっちりやりました。
最初のころは筋肉痛がやばかった。
おっさんだから二日後にくるかって?いいや違うね、断じて違う。
そんなことをいう奴は真なるおっさんエアプと言わざるを得ない。
ナマり過ぎててその日のうちからくるし、それが2~3日続くんだ……。
あとは英語のお勉強だね、I.E.S.があれば比較的簡単に多言語学習ができる時代だ。
頸椎のデバイスから脳みそに情報を直接インストールするとか阿保みたいな超技術は存在しないが、日々変化し続ける言語って奴を秒単位どころじゃない速度で収集し続けて学んでいる、そんな量子AIのサポートを受けるアプリケーションが俺の教材だ。
別言語を覚えるのに手っ取り早い方法はその言語だけで生活することで、I.E.S.以前の日本ではそれは難しかったが現在なら可能。
ARで日本人がしゃべってる日本語も、そこら中にあふれている日本語もすべてゴーグル上で英語にリアルタイムで置き換えさせてしまえば、俺の中で種子島が純英語圏ということになるのだ。
相手方が英語を知らなくとも、ARゴーグルを装着している人物が相手なら俺が今までI.E.S.使用下でしゃべってきた声質をモニタリングしたAIが、リアルタイムで日本語をしゃべっているかのように翻訳して相手に届けさせることだってできる。
なんなら物理的に空気を震わせて声帯から相手の鼓膜に音声の振動を伝えられない人でも、コイツがあれば会話することが可能だ。
空気を震わせなくとも、ゴーグルに付属されている骨伝導スピーカーを震わせてやれば『声』を届かせることはできるし、声を出しすことができないくとも、自分好みの合成音声を作ってそれを使うこともできるし、別に思考制御による文字通信だって問題がない。
この、"垣根の無さ"が第四世代の本領といった感じだろうか、仮想であれ現実であれ全部拡張してしたからホラ便利!というごり押し級パワーアイテムなのである。
その間にも種子島宇宙センターから呼び出されて、出発のスケジュールの説明やなんやかんやを受けたりもした。
俺は第六種補給品としてムーンベースに打ち上げられ、その後火星ステーション行きシャトルに載せ替えられて輸送されるらしい……やったぜ補給品扱いだよママン!
専用のコンテナルームに搭乗しステーション到着まではそこからの外出不可、アナウンスがあるまでは耐圧スーツを着用したままでいることなど、いよいよ本番が近づいてきた感が強くなってくる。
コンテナルームに持ち込めるのは着替えの服程度のもの――重量制限がある――で、本やらなにやらは全て地球の寮に置いたままということになる。
向こうで使うものは向こうで買えってことらしく、実際大抵のものは購入可能らしいので特に気にしていない。
俺の所持品で最大重量を誇る書籍類と古いゲーム機やPCは全て地球に置いていくことになるのでかなり身軽な旅になる……服だってたいそうなもの持ってないしな。
そして当日、クッソ分厚くて動きづらい耐圧スーツに四苦八苦しながらコンテナルームに入り込むと、娯楽用と思われるモニタやI.E.S.接続デバイスなどがあるのが見えた。
他にはユニットタイプのシャワールームなども内部に設置されていて、どうしようもないレベルで放置されるというわけではなさそうだ。
地球から月を経由して火星までの旅程、グラヴィティ・アクセラレータを用いたとしても相応の時間がかかるわけだが、それにしても好待遇だと思うのはブラック・カンパニー・ソルジャーの性だろうか。
なおダメもとで聞いてみたが、ほかの第六種補給品はいるかだとか、一から五までの補給品は一体なんぞやと聞いみたりしたが、やっぱり教えられませんとのことだった。
なお発射の瞬間、体の中のすべてのアレやコレが押し出され潰れたヒキガエルになるかのような重圧感を感じ死をはっきりと意識する羽目になった。
1Gを脱出するためにこの重圧をモロに受けなきゃいけないってのはしんどいなんてレベルじゃない、また宇宙に出ること前提であるなら二度と地球に戻ってきたくないと確信させるだけの何かがあるレベルだ。
幸いなことに、事前に通達された搭乗カリキュラムをクソ真面目に守ったおかげか、体の中から漏れ出すようなものは残ってないので、俺のケツあるいはパンツは無事であったことを申し上げておこうと思う。
更に言うなら、経由地点であるムーンベースから宇宙空間へのシャトル投射はマスドライバーによるものであり、これまた死ぬ思いをしたということを書き添えておきたいと思う。
ともかく、こうして俺は火星ステーション到着のアナウンスを受けたわけだ。
統合型拡張システム、あるいは第四世代VR:2
VR部は頸椎の一部を電子デバイスに置換し、そこにコネクタを接続し生体情報をアップロードすることでアクティベートされるシステム、パスコードはDNA塩基配列であり入力の必要はない。
民間型の制限は多岐にわたり、有線接続に限定されていて、無線型デバイスを頸椎に接続できるのは軍用のみとなっている。
民間型はI.E.S.協会が提供する量子サーバに接続されていて、サーバに搭載されている量子AIのサポートを受けることが可能となっている。
VR機能による仮想現実世界の生成はかなり自由度が高い。
サーバの能力次第で現実そのものを再現することも可能だし、全く別の世界として生成することもできる。
また、仮想現実世界での体感時間を引き延ばしたり短縮したりすることも可能だ。
例えば仮想現実世界で1時間過ごしても、現実世界では30分しか経過していないということも可能で、こちらもまた軍用と民間用でカスタマイズの自由度には格差がある――相応のリスクがあるからである。
現代での運転技能講習などはほとんどのカリキュラムは仮想現実で行われるが、それでもなお現実世界での実践練習がもっとも重要であることには変わりない。
軍用品は軍事用の超高速無線通信網を用いて専用の量子サーバに接続される。
例えば海軍ならそれぞれの艦船に、空軍ならAWACSなどにサーバが搭載されることになるだろうし、陸なら各車両に中継基地としての役割を持たせることができる。
頸椎に挿入するデバイスがアクティベートされるとネットワークに接続されるわけだが、各個人のデバイスがクライアントでありホストであり、中継地点にもなるという機能を備えている。
例として、小隊の隊長をホストとして部隊員との間にネットワークを構成したり、超高速無線通信の弱点である距離の問題をそれぞれの兵士を中継して、実質上のネットワーク範囲を広げたりなどの機能があげられる。
VR部の主な機能として、ネットワーク上にある仮想空間への完全移行機能と、第三世代VRシステムの欠陥を補うために「脳から体へ、あるいは体から脳へと通過させる神経信号と遮断する神経信号」の選別機能がある。
これとはまた別に頸椎に接続するデバイスは脳や身体機能の拡張という意味合いも持っており、民間用途としては機能が制限されているが、業務に必要な動作を覚えさせるための用途など一部では利用されている。