博愛王女は愛したい
どうもお久し振りです。野央棺です。
久しぶりということで、よくある転生モノを練習作品として書きましたので投稿します。
よくある設定ですので、類似する作品があるかもしれませんが、ご容赦下さい。
長くなってしまったので、お時間があるときにどうぞ。
「――クク、クククッ」
少女の笑い声が響く。
が、その声に比べ、笑い方は変に大人びているというか、歪んでいた。
少女がいるのは狭いが、金額を掛けて作ったであろう内装の馬車の中だった。
馬車は薄暗い闇の中、舗装された道をただひたすらに進んで行く。
そんな少女に、反対側に座る男が呆れ半分で声を掛ける。
「殿下。王族として、次期女王として、その笑い方はどうかと思いますよ」
「ククク……そう言うな副団長。もしかしたら彼等の反逆が叶うのではないかという期待を捨てられないのだ。どんなに小さな生き物でも、生か死かしかないのならば死にモノ狂いで来るだろう。『窮鼠猫を噛む』とは異国の言葉だが、これ以上に相応しい言葉もあるまい。私は彼等の頑張る姿が見たいのだ」
「破滅的な……。その”彼等”の襲撃に会うであろう国の王女の言葉とは思えませんな。……それに、一応これから向かうのは人前なのですから、そろそろ偽って頂かないと」
少女の言葉に、少女に声を掛けた男――副団長と呼ばれた男は彼女は自分が何を言っても言っても聞かないのだと理解している為、見える様に溜息し、注意するだけに留める。
副団長の言葉に、少女は鷹揚に頷いた。
「あぁ、分かっているとも。無論、父上と母上や愛すべき臣民達の期待には全力で応えようとも」
ふと、少女の纏う雰囲気が変わる。
「――これで、良いのでしょう?」
少女はそれまで浮かべていた笑みとは違う、まるで夜に浮かぶ月が如く儚い笑みを浮かべ、静かに笑ったのだった。
その一方で、眼だけは先程同様ギラギラと輝いているのを見て、男はもう一度溜息を吐いたのだった。
”我儘王女”として有名であったユーテリア王国第一王女ヴィオラ・ユーテリアは八歳の時、その魂を、有り様を変えた――いや、変貌した。
切っ掛けは病気だ。
突如彼女は原因不明の病に侵され、高熱に魘され、死ぬ寸前まで陥ったのだ。
王宮に勤める医師ですら、原因がわからないと匙を投げる病だ。
そんな中、そんな疲弊した彼女の魂を補うかの様に、私は意識を覚醒させた。
私は狂っている。
何が、と言われればその人間性が、狂っている。
人として、壊れている。
常軌を逸している。
その自覚はある。
だが、それを治そうなど思ってはいないし、それを恥ずべきとも思っていない。
幼い頃より、私は愛されていた。
両親に、弟や妹に、祖父母に、親戚に、友人に、知人に――そして世界に。
厳格だが家族を一番に考えてくれた父に憧れ口調を真似た。
大らかで包容力のあった母の、子に向ける無償の愛を知った。
そして友に向ける友愛を知り、異性に向ける性愛を知った。
あらゆる全てが、私を愛してくれた。
だから私も愛されているならば、それ以上に愛するのだと幼心に決心したものだ。
幸も不幸も、善意も悪意も、希望も絶望も、生も死も、偶然も必然も、ありとあらゆる全てを愛するのだと。
それ故に、私は事故死した後転生したという運命にすら――感謝するのだ。
前世、私は”愛”に焦がれていた。いや、全てを”愛して”いた。
そんな私が、”愛”を前面に押し出した恋愛ゲームというモノを嗜む事は自明の理だろう。
学生から社会人となり、死ぬまでの過程で私の持ちうる財の中で生活に困らぬ程度を、それに注いだ。
これでも一応それなりの高所得の家に生まれた身だ。
好きに出来る財はそれなりに両親に貰えたし、社会人となってからもそれなりに所得は高かったと自負している。
それにそういった家の娘は籠の鳥というイメージがあるだろうが、比較的自由の身であった。
ヴィオラ・ユーテリアは、そんな私が嗜んだゲームの内の一つに出てくるキャラクターなのである。
ヴィオラ・ユーテリアは女性向けのとある恋愛ゲームに出てくる悪役の名だ。
兎も角、悪役たる彼女は嫉妬に狂い、欲に塗れ、女王として傲慢に振舞い、最後には破滅する。
誰が見ても因果応報で、悲劇的な運命が用意されていた筈の存在だ。
そんな人物に、私――かつて別の世界で諏訪辰爾と名乗っていた存在は転生した。
いや、詳しくは同居した、というべきかな?
わたくしヴィオラ・ユーテリアは世界でも有数の大国たるユーテリア王国の王女。
八才となりましたの。
この国の王位は男女のくべつ無しに王族の第一子がつぐことになっておりますので、王族の長女たるわたくしが次期王女となるのです。
それ故に、皆がわたくしに頭を垂れ、わたくしに逆らう者もおりませんでした。
そんな、誰もが逆らえぬわたくしが熱を引くなど……。
今わたくしは、わたくしの部屋のベッドで横になっております。
それに加えもう一つ。厄介なことが――
『転生どころか同居とはね。まぁこれもまた神の思し召しとやらかな? フフフ、面白いモノだ』
このわたくしの内から聞こえる声。
それが今、わたくしを熱の重たさを更に重たくしておりました。
ついさっきわたくしの中に突如として現れた声は、スワタツミと名乗ったそんざい。
というか、おそらくわたくしのやまいは彼女が原因ではないかしら。
『まぁ当たらずとも遠からず、といったところかな。そも、こうして君の中に私がいる事……つまりは一つの身体に対して複数の魂が存在している事自体がイレギュラーだ。それに身体が耐えられず、といったところだろう』
あぁ、とうとう心の中のひとりごとにすら反応されてしまうなんて。
どういうことなのでしょうか?
この様な、”しゅくじょ”にあるまじき、男性の様な話し方をされる女性とこれから共にいなければならないなんて、考えたくもありません。
とはいえ、このじょうきょうをどうにかするしゅだんはありませんし、他の者にしゃべっても、「”わがままひめ”がまた変なことを言っているのだ」と笑われるだけでしょう。
もはやともに過ごしていくしかない。
わたくしはかくごを決め、まずは病を治すことからだと、布団をかぶり、寝直すことにいたしました。
しかし、この時にはすでにおそかったのです。
いえ、わたくしにはもう、どうにもできないじょうたいにまで、なっていたのです。
ヴィオラ・ユーテリアは病が治まり始めてからというもの日に日に危機感を募らせていた。
それもこれも……
「ふむ。……八歳の身体か。突然身体が小さくなると記憶と感覚の齟齬が激しいな」
ヴィオラ・ユーテリアの中に存在するようになった異世界の魂――諏訪辰爾のせいであった。
諏訪辰爾という存在がヴィオラ・ユーテリアの中に存在し始めた二日目にはもう、彼女が主人格として”ヴィオラ・ユーテリア”の身体を動かしていた。
最早主人格であったはずの”ヴィオラ・ユーテリア”は指一本すら動かせない状態だ。
しかも、彼女の手には風が吹き遊んでいる。
恐らく、諏訪辰爾と同じ世界の出身者が見れば、魔法または魔術であろうと理解するだろう。
それを信じるかどうかは別としてだが。
事実を言ってしまえばこの世界の人間はほんの一部を除いて魔力を持たない。
一部異能力を持つ者や預言者、魔導士と呼ばれる者がいるだけで、魔法・魔術の体系がそもそも一般化されていない。
つまり、ヴィオラが一人称視点で見ている光景は、ヴィオラにとっても”異常”であった。
『どういう事なの。……わたくしの身体をどうして……それに何が起こっているの?』
ただ呆然と言葉を失うヴィオラに対し、辰爾も首を傾げる。
「さて、私とて魔術・魔法と言った類が存在しない世界で生活していたからな。それに、この身には既に魔法を操る術と、そして武芸の記憶があるようだ。何故私――いや、君がこうして使えるのかはわからないが。……とはいえまさか身体を奪ってしまうとはな」
その後も、辰爾は己の身体の調子を確かめる様に、記憶の中にある全てを一つずつ確かめていった。
「ふむ。……些か八歳にしては身体能力が高いか?」
何も知らない辰爾が感じたのは、ただ純粋にこの身体が異常な身体能力を得ている事だ。
ここで、ヴィオラもそして彼女の身体を乗っ取った辰爾すらも知らない事実を説明するならば、彼女――ヴィオラ・ユーテリアには、辰爾以外にも二十人程の魂が同時に宿ってしまっていた。
それに弱冠八歳の少女の身体が耐えられる筈もなく、彼女は死線を彷徨った。
しかし、その後一瞬にしてその二十程にも及ぶヴィオラの中の魂は、一瞬で辰爾ただ一つとなった。
それは魂の強度、魂の密度が他の魂に比べて圧倒的であったが故に、無自覚の内に辰爾が他の魂を吸収し、融合したのだ。
それにより、結果的に魂の数が減り、ヴィオラに掛かる負荷が少なくなったことで、彼女の病は治り始めたのだ。
だが、その一方で、二十程の魂を無自覚の内に取り込んだ辰爾こそ可笑しいのだ。
普通に考えれば、それほどの魂を吸収して、その人格に影響がないほどの強靭な魂を持っているなど、常人ではない。狂人と言っても良いだろう。
辰爾に吸収された魂の中には一般人は勿論、狂気に落ちた人間や高位の魔術師や歴戦の戦士、老獪で奔放な賢者など”ただの一般人”である辰爾よりも余程魂が屈強であると思われるモノも中にはあったのだ。
それを押さえつけ、吸収してしまった辰爾は事実化け物である。
対して、そんな魂に同居されたヴィオラは生まれながらの王族とはいえ、まだ八歳という幼子である。
その脆弱な魂が化け物の魂に耐えられる筈もなく、ヴィオラは主人格の座から追い出されてしまったのである。
そして、今も尚辰爾は無自覚でヴィオラの魂を圧迫していた。
ヴィオラも気付かぬ内に。
翌日、ヴィオラが目覚めるとそこは暗闇で、ヴィオラはその暗闇の中を落下していた。
(――ここは。……何がおきているの?)
ヴィオラが周囲を見ると、頭上遠くに光が見えた。
だが、ヴィオラの意識はゆっくり、ゆっくりと落下し、光から遠くなっていく。
(何がどうなってるの!? ここはどこなの!?)
今までは一人称視点で景色が見えていた。
見慣れた自分の部屋が。
ただ辰爾が自分の身体を動かしているのを、客観的に見ているだけ。
しかし、今ヴィオラの眼に映るのは一面の闇と遠くに見える小さな光だけ。
『――が――た? ふむ。少――――たま――が消え――』
遠くから――光の方から途切れ途切れに辰爾の声が聞こえてくる。
ヴィオラは必至に、光の方へ手を伸ばす。
しかし、ただ暗闇が広がる中で掴めるものもなく、ヴィオラは更に落ちていく。
(嫌だ!!)
ヴィオラは叫ぶ。
(嫌だ嫌だ嫌だ! わたくしは愛して欲しい!! お父様に! お母様に! 皆に!! 愛して欲しいのに!!)
我儘ばかりであった王女は叫ぶ。
四歳になる弟、二歳になる妹。
彼等はヴィオラに向けられる筈の愛を向けられている。
家臣達の愛も、騎士達の愛も、メイド達の愛も。
全てヴィオラの弟妹に向けられている。
皆がヴィオラに失望し、王位を弟か妹のどちらかが継ぐ事を願っている。
それをヴィオラも理解していた。
数々の我儘は、構って欲しい、愛されたいという思い故だった。
それが彼女から人を遠ざける事になっていたとしても。
幼い彼女には、それしか出来なかった。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!)
だが、その思いを知る者はもういない。
それを訴えかけられる家族は、人は――いない。
闇が彼女を覆い隠す。
痛みはない。だが、身体が消えていく感覚がする。
(――嫌だ!! わたくしは、愛したいのに……)
手を伸ばす。
此の儘消えたくはなかった。
(――愛されたいのに!!)
「あぁ。……私がお前を愛そう。そしてお前の分も愛そう。全てをな。――ククク、クハハハハハハハハハハ!!」
だが、それに答える狂人の笑い声が耳元で聞こえた瞬間。
ヴィオラの意識は――消えた。
記憶の中にある魔術の扱い方を瞬時に理解した辰爾は、それによって己の内に存在していたヴィオラ・ユーテリアが消えた事を悟った。
そして、消える間際に彼女が抱いていた想いを思い出し、感動にうち震える。
「あぁ、素晴らしい。”愛されたい”し”愛したい”。あぁ、なんと純粋で身勝手な願いだろうか。だがそれもまた良し。……お前の願いは私が叶えよう。フフフ、もう一度”自分以外の何かを愛せる”様になるとはな」
辰爾が小さな声で笑うと同時に、
「――ヴィオラ様。入りますよ」
嫌そうなメイドの声が聞こえる。
そう言えば彼女は嫌われていたな、と諏訪辰爾は思い出す。
突然こんな男の様な喋り方をすれば狂ったと思われるだろう。
別に辰爾としては構わないのだが、ヴィオラは「愛されたい」と言った。
つまりはそう、周囲から”ヴィオラ・ユーテリア”として愛されたいのだと。
ならばその願いを叶えよう。
「――えぇ、構いません。入りなさい」
演じることも、受け入れよう。
王宮に勤める者達の中で、噂になっている事がある。
”我儘王女”として有名で、誰も近付こうとしなかったヴィオラ王女が変わったというものである。
曰く、『理不尽な我儘が一つとしてなくなった』。『メイド達に優しくなり、労を労うようになった』。『勉学に励み、運動も始めた』。
多くの人間が、死線を彷徨った事で変わったのだと思ったが、我儘がなくなった事で喜ばしい事として受け入れられた。
親である王も、女王も、そしてそれを補佐する宰相達も、そして世話をするメイド達もそれを喜んだ。
誰も、王女本来の人格が吸収され、消え去ってしまった事、そして入れ替わった人格が全てを愛する狂人に代わってしまった事に気付かぬ儘……それを純粋に喜んだのである。
二年経ったある日、諏訪辰爾が主人格となったヴィオラはまだ幼い弟と妹と戯れていた。
弟妹は十歳となったヴィオラに突撃し、ドレスに顔を埋めた後、にっこりと笑う。
「おねーさま! 僕と外で遊びましょう!!」
「おねえさま。わたしといっしょにご本をよんでください!」
「フフフ……。仕方ないわね。では先に外で遊ぶとしましょうか。その後に本を読みましょう」
「「うん!!」」
其々六歳となった弟トラヴァスと四歳となった妹ヴィオレッタは、純粋無垢な眼でヴィオラを見てくる。
ヴィオラもまた、嬉しそうに「お姉様」と呼んでくる弟と妹たちを愛した。
彼等が頼んできたことならば全てを実行し、彼等の願いは第一王女としての権力を使って叶えた。
それは全てヴィオラが彼等を愛するが故。
あぁ、愛し愛されるということはこういうことなのだと、その愛しさに何度身体が震えた事か。
無論、それに伴い苦労を掛けるメイド達や護衛を務める騎士達、王に忠誠を誓う貴族達や、王宮で働く文官・武官達、彼女と会う事も出来ない民達もヴィオラにとって”愛する対象”である。
それどころか、ヴィオラに媚びへつらい、裏では後ろ暗い事を考える悪徳貴族や他人を軽んじ、騙し、殺す犯罪者も彼女にとっては”愛する対象”だ。
そこに区別はなく、差別もない。
生きとし生ける全てが、彼女にとっては愛しいのだ。
トラヴァスと共に外で駆け、その後はソファで眠ってしまったトラヴァスの横でヴィオレッタと本を読み始めて暫くして、そこにヴィオラの専属メイドが駆けてきた。
「――姫様!!」
「あら、どうしたの? マリーダ」
マリーダと呼ばれた中年の女性は、一礼するとヴィオラに訳を伝える。
「騎士団の方が訓練中に大怪我をしてしまったようで。……姫様の御手を煩わせてしまいますが、助けて頂きたいと。訓練場だそうです」
ヴィオラが魔法を使えることは、既に王や王妃、騎士達など一部の者達の知る事となっていた。
その中で、治癒の魔法は使用頻度が多かった。
訳を聞いたヴィオラは、瞬時に「わかったわ」と頷き、立ち上がる。
心配そうにヴィオラを見上げるヴィオレッタの頭を撫でると、直ぐに速足で訓練場へと歩き出した。
マリーダを連れたヴィオラが訓練場に到着すると、一ヵ所に集っている騎士達が見えた。
恐らく、その中心にいるのだろうと考え、ヴィオラはそこへと速足で向かっていく。
「――怪我人はどこです?」
緊急事態とは思えぬ穏やかな、しかし凛とした声でヴィオラが声を上げると、騎士達が一斉にヴィオラの方に顔を向ける。
「殿下!!」
「殿下が来て下さったぞ!!」
「――殿下!!」
この二年、”臣民の理想たる王女”を演技をし続けてきた結果、ヴィオラは皆から信頼される様になっていた。
普段人目のあるところでは王女殿下らしく清楚で、それでいながら堂々とした性格を演じているが、ヴィオラの――その魂を吸収し、なり替わった諏訪辰爾という人間の本性は愛に狂った狂人、化物だ。
だが、それを知る人間は二年経った今でも誰一人としていない。
それを少しも匂わせる事なく、騎士達に声を掛ける。
「怪我をしたのは誰かしら?」
ヴィオラの声に、騎士達は一斉に輪になっていた中心に眼を向ける。
そこには、腕をぱっくりと斬った兵士が、脂汗をかいて横になっていた。
意外と深く斬ったのだろう。
騎士の腕からは未だに血が流れており、貧血状態で意識が朦朧としている様だ。
「……何故こういう状態に?」
ヴィオラが周囲に尋ねると、騎士の一人が答える。
「――はっ!! 此度真剣で訓練をしておりまして、怪我しないようにと最大限の注意をしていたのですが、彼はまだ王宮所属の正騎士になってまだ間もなく……」
騎士の言葉に、ヴィオラは納得する。
騎士として、時には木刀などではなく、真剣を使っての緊張感のある訓練も必要だろう。
彼等が戦うのは真剣を持った相手が殆どだ。
木刀を持って襲い掛かってくる者などいる筈もない。
「わかりました。……それでは早速治癒致しましょう」
ヴィオラは横になっている怪我している騎士の側に座り込むと、その手の先に魔力を集める。
治癒に使う魔力など、ヴィオラの持つ魔力から見れば塵芥みたいな量だ。
たかが切り傷程度なら、一瞬で治せる。
魔力を集めた手で、傷口を覆い隠した次の瞬間にはもう治っていた。
「これでもう大丈夫。後は少しばかり休んでくださいね」
傷口が治った事を確認し、ヴィオラは立ち上がる。
怪我していた騎士も、周りの騎士も、即座に立ち上がり今にも土下座をせんばかりに深く頭を下げる。
ヴィオラはそれを見てニコリと女神の如き笑顔を浮かべて「皆さん、訓練頑張って下さいね」と声を掛けると、まだ包帯を巻いたり片付けの作業に追われているマリーダを置いて振り返る事なくヴァイオレットの所に戻ろうと歩き出した。
訓練場から弟妹の待つ自分の部屋に向かおうとして、ヴィオラはこの二年間全く合っていなかった人物と再会した。
先程の騎士達よりもより一層豪奢で堅そうな鎧に身を包んだ柔和な笑みを浮かべる男。
ヴィオラは眠っている記憶の底から、目の前の人物の名前を思い浮かべて話しかける。
「あら、お久し振りね。……二年ぶり位かしら」
「――殿下! お久し振りに御座います」
再会した相手は、一瞬驚いた顔を浮かべるが、直ぐに表情を無表情に戻すと、ヴィオラに向けて頭を下げた。
「騎士団副団長。最後に会ったのは二年前の騎士団長任命式だったかしらね」
「はい。とはいえ、遠くからご尊顔を拝見するのみで、直接お話しする事は御座いませんでしたが……」
ヴィオラが話しかけたのは現騎士団副団長たるスレイ・フリージオン伯爵だ。
剣の腕は勿論だが、その誠実で実直な人徳もあって部下や民からも熱狂的な支持を得ている人物を陰に日向に支える右腕だ。
「――先程此方にも連絡が来まして。……殿下が治療を?」
「えぇ。つい先程治したわ」
「そうでしたか。御手を煩わせてしまい申し訳ありません」
ヴィオラは頭を下げたスレイを喋る事無くただジッと見ていた。
「えっと。……何か?」
ヴィオラの真っすぐ過ぎる眼に、言いようもない不安感と恐れが浮かぶが、それを我慢してにこやかな笑みを浮かべる。
だが、それは直ぐに崩される事になった。
「貴方が何を見たとしても、私を恐れる必要はないのよ?」
とても純粋な笑みと共に放たれた一言によって。
スレイ・フリージオンは、この世界でも稀な特異能力を持っている。
それが相手の正体を見破る”心眼”。
スレイが能力を使って人を見ると、人の本性が形を成す。
清純な者は白い透明な人魂に、悪意や腹に一物を抱えている人間は黒い透明な人魂に、更に酷い者によっては悪魔の様な姿に見える。
また、王や貴族、一流の冒険者や腕の立つ騎士等は、常人が持つよりも大きく見えるのだ。
これがあったからこそ、信頼しうる人間とそうでない人間がわかり、今の地位にいると言っても過言ではない。
二年前、人が変わったようだと噂されていたスレイが見た王女は、何も変わっていない様だった。
だが、心眼で見た瞬間、そこにいたのは化物だった。
今までに見た事が無い程の、城を覆ってしまう程の大きな、それでいて見た事も無い様な複雑怪奇な色の”本性”。
あれが八歳という少女の持つ”本性”かと疑った。
それを見た瞬間、スレイは心の底から彼女を警戒する様になった。
あれが次代の王であると考えると、恐ろしくなる。
余りに強大過ぎて、あれが善悪のどちらの側なのかすらわからなかった。
それに、その相手の性格や思いなどまでを知る事は出来ない。
だからこそ、今まではヴィオラと会う事を避けてきたのだ。
とはいえ相手は自国の王女だ。
それも、何れ国主として君臨するのだ。
それを危ぶみこそすれ、スレイは何も出来ない。
スレイが”心眼”を持っていることは、騎士団長と国王夫妻、宰相しか知らない秘密なのだ。
「――なにを仰られているのか、わかりかねます」
スレイの誤魔化すような笑みを見て、ヴィオラは笑みを浮かべる。
何を言うでもなく歩き出し、すれ違う瞬間、スレイの耳元で囁く。
「――フフフ、私が恐ろしいのね。なら、貴方の大事な愛する人達の為に私を見張る事ね。騎士副団長様? ……ククククク」
それまでとは違う不気味な笑みを残して去っていくヴィオラの背中を、スレイは見送るしかなかった。
ある日、ヴィオラは馬車に乗っていた。
走っているのは王都郊外の道、叔父の治める領からの帰りだった。
ヴィオラ以外に騎士が一人同席し、馬車の周囲では四人の騎士が四方を固めていた。
本来であれば夕方頃に付く筈が、叔父の領を出立して直ぐに護衛をしている騎士の一人が体調を崩してしまい、それの補填を行っていた為に、辺りが暗くなるまで掛かってしまったのだ。
もう暗い為、昼間は移動商人や冒険者が行き来する街道も、人っ子一人見られない。
ヴィオラはその光景も嬉しそうに見ていると、突然馬車が止まり、怒鳴り声が聞こえてきた。
同席していた騎士がその声に反応して立て掛けてあった剣を手に取る。
『――!!』
『――――っ!!』
何を言っているのかはわからないが、何かあったのは確かだろう。
ヴィオラが怒鳴り声のある方向を見ると、黒い衣服に身を包んだ男達と騎士達が戦っている姿が見えた。
「……私を殺しに来ましたか」
「恐らく」
くぐもった怒声と剣戟音が聞こえる中ヴィオラが静かに呟くと、騎士が頷く。
大国の王女、それも次期国主ともなれば狙われるのも当然だ。
国外の敵もそうだが、国内にも反王家派の貴族達等ヴィオラの命を狙う者は数知れない。
暫くして、周囲に静寂が戻る。
「……音が止んだ。……殿下はここでお待ちを。周囲を探って参ります」
護衛の為に待機していた騎士はそう言うと、扉を開け――
「――っ!?」
次の瞬間接近してきた男に斬り付けられた。
振られた刃は動きやすさ重視で鎧を付けていなかった上腕を浅く斬り、その後胴鎧が剣を弾いた。
態勢が崩れるが、騎士は反撃して斬り付けてきた相手を突き殺す。
剣を引き抜いた騎士が周囲を見渡すと、黒を基調とした服を着た襲撃犯の男達が八名。
その周囲には業者と、同僚の騎士達四人の死体、そして彼等が殺した襲撃犯六人の死体。
状況は圧倒的に不利だった。
どうにかして王女殿下だけでも逃さなければ――そう剣を構えて周囲を油断なく睨みながら騎士は考える。
自分の他に騎士はいないのだ。王女を自分が守らねば。
そう決意し、
「――ぐっ!?」
その身体が突如崩れる。身体が言う事を聞かなかった。
咄嗟に眼に着いたのは、先程突き殺した男が持っていた武器。
そこには、何かが塗られていて――
(まさか……毒!?)
騎士は最悪の状況であることを察する。
生き残っていた騎士は自分一人。対して、敵は未だ八人。
魔術を使えるとはいえ、相手はプロだ。生き残るのは不可能に近いだろう。
「――殿下。……申し訳御座いませ……ん」
最早眼を開ける事すら出来ない。
倒れ込みながら、これから悲惨な目に会うであろう王女に対して謝る事しか出来なかった。
「――あぁ。素晴らしいよお前達は」
「あぁ素晴らしいよお前達は。忠義と騎士の誇りを見せてくれた。あぁ、あぁ……。素晴らしき命の輝きを見せてくれたお前達に報う事が出来なかった私を許してくれ」
ヴィオラは笑う。
――あぁなんと美しき事か。
彼等は命を懸けて、不利な状況にも関わらず、私を守ろうと剣を手に取った。
彼等は彼等の意志に、忠義に従い、それに殉じたのだ。
その死に様は私の胸を強く打つ。あぁ、その想いに心が震えてしまう。
ならばお前達の忠義に、王女として、主として応えよう。
ヴィオラは周囲に眼を向け、笑いかける。
「――さて、お前達もまた意思が、願いがあるのだろう。国への忠義か? 金への執着か? それとも生への渇望か? ……まぁそのどれもが素晴らしき理由だ。人が事を成す理由に貴賤はない、と私は思っているのだが……」
キン!
金属音が鳴り響く。
「やれやれ、話もさせてくれないとは」
響いた金属音は、襲撃犯が投擲した黒塗りのナイフをヴィオラが弾いた音だ。
目の前に現れた王女に思わずナイフを投げたらしい。
だが、それを防がれた襲撃犯達は即座に立ち直り、ただ何も言わず刃を構える。
視線でタイミングを合わせ、先ず四人が斬り掛かった。
だが、
「ふむ」
一言呟いた彼女の足元に一陣の風が巻き起こり、暴風が――弾けた。
「――ぐっ!」
「がはっ!!」
「がぁっ!!」
「――っ!!」
余りの衝撃に、襲撃犯達の口から思わず声が出る。
倒れ込んだ仲間を横目に、一人が忌々しく呟く。
「……化物め」
だが、そんな呟きもヴィオラは気にする様子はない。
ただ薄く笑うだけ。だが、襲撃犯達を見回す眼は――狂気に染まっていた。
「ククク……化物とは酷いな。これでも私はまだ十歳の幼子だぞ? さて、何処から来たかはわからないが兎に角ようこそユーテリア王国へ。歓迎しよう我が”愛しき者”達よ」
まるで演劇の様に両手を広げ、自分を襲ってきた襲撃犯に向けて語る。
その眼には恐れも、躊躇も、怒りも浮かばず、ただ狂気のみが宿っていた。
襲撃犯達はただ驚く。
目の前の少女が、狂人の様な振舞いを見せる彼女が本当に王女なのかと、疑ってしまう。
だが、自分達が得た情報と、目の前の少女の外見は驚く程に一致する。
しかし、それでも尚、疑ってしまうのだ。
自分達の様な殺しを専門とする人間から見ても、目の前の存在の異常さがわかってしまうから。
だからこそ、対応が遅れてしまった。
「お前達の決意は固いだろう。そうでなければお前達もここまで来ていまい。私を殺すのだろう? ならば私自身がその障害となろう。さぁ、お前達の輝かしき意思の力を見せてくれ……」
ヴィオラの周りを風が吹き荒れる。
「――愛しきお前達を恋人の様に、母親の様に優しく抱きしめさせてくれ!! お前達を『愛して』いるぞッ!! クハハ、クハハハハハハハハ――――ッ!!」
王女を前に、襲撃犯達の意識はそこで途絶えた。
わたしのおねえさまはとてもやさしい方です。
さくや、おねえさまはわるーい方々におそわれたのだそうです。
おねえさまはきしにまもられ、お一人でおうきゅうにもどってきたときは……えーっと、どういうのでしたか……。そう! 『おうきゅうがひっくりかえったようなさわぎ』でした。
そんなことがあってまだ一日しかたっていないのに、おねえさまはこうしてわたしとあそんでくださっています。
「おねえさまおねえさま」
わたしがねこのようにかおをぐりぐりすると、おねえさまはわたしのあたまをナデナデしてくれます。
それがとってもうれしいです。ひとりじめです。むふー。
……ですがおねえさまはときどき、ちょっとこおかしいのです。
それはきまって、わたしが”れんあい”のはなしをするときです。
「おねえさまはどんなとのがたがこのみなのですか?」
「フフフ。ヴィオレッタはませてるわね。……でも私はたった一人を愛しはしないの。私は全てを愛してるのよ。そう、この世界の全てをね。――フフフ、クフフフフフ」
あぁほら、おねえさまがこわれてしました。
いっかしょをずっとみて、わらっているのです。こわいです。
ですが、そんなおねえさまが、わたしはとってもだいすきなのです。
みなにやさしく、りんとした、かっこよくてきれいなおねえさま。
もっとおはなしをしたいのですが、おねえさまのナデナデはきもちがよいので、ねむたくなってきてしまいました。
「おねえさま。……わたしも……だい、すき……です……くぅ」
眠ってしまったヴィオレッタの頭を撫でながら、私は思う。
いつか、いつかヴィオレッタが愛を知り、希望を抱き、夢を持ち、そして決意を抱いたならば。
そしてそれが私の知るモノと違うモノであるならば。
「――あぁ。お前の全てを、いつか私に刻みこんでくれ。あの騎士達や襲撃者の様に。信じているぞヴィオレッタ。……クククククッ!!」
あぁ、この世界もまた素晴らしい。
前世私が暮らしていた国よりも平和とは言えないが、日々様々な命の輝きを見る事が出来る。
生命の息吹を、より近くで感じる事が出来る。
昨日の騎士達の忠義も、襲撃犯達の殺意も、私にとっては等しく”愛”。
その全てが愛おしいのだ。
そう、恥ずかしながら私は恋している。
これからどの様な輝きに出会えるかと思いを馳せるだけで、興奮と感動で頬が赤くなる。
初心な小娘と笑ってくれ。
だが、私は確信できる。これこそが恋だろうと。
時に人を狂わせ、時に人を強くする”恋”。
私の様な人間を”恋愛脳”と言うのだろう。
そう思うと、耐えきれずにやけてしまう。
「……恋愛脳、か。ククク、ククククククククククク!!」
これは愛のお話。
この世の全てを愛し、恋焦がれる壊れた狂人の話。
愛に狂った化物が世界を愛する”恋愛”物語。
その愛が世間一般の人々がいう”愛”と同じかと言えば疑問であるが……。
兎も角、この世界の命運はただ一人の化物が握っているといっても過言ではない事は事実である。
登場人物紹介
【ヴィオラ・ユーテリア】
我儘王女。諏訪辰爾に文字通り吸収され、その存在を奪われた。この作品一番の被害者。
【諏訪辰爾】
博愛主義を自称する狂人。前世で平和に暮らしていたのは奇跡に他ならない。
魔力がなく、平和な国で良かったね。
実は知らずの内に他の魂に影響を受けていて、好戦的になっていたりと若干元の性格から変化していたりする。
カマキリの雌雄を見て、「あぁあの雄は嫁の為にその糧となるのか。素晴らしいなぁ」「雌は自分が生き残る為に番った雄をも喰らうのか。生への渇望のなんと美しいことだろう」と考える人。
つまりはやばい。タツミヤバイ。本作主人公にして、ラスボス。
彼女の狂気が世界を襲う!!
【王・王妃】
ヴィオラの両親。善良な王と優しい王妃。典型的な善人達で、それゆえに我儘だったヴィオラには手をやいていたが、厳しく出来なかった。
【トラヴァス・ユーテリア】
出番はないが、脳筋になるか頭脳系になるかはこれから。姉に任せると脳筋になる。
【ヴィオレッタ・ユーテリア】
ゲーム内での主人公。姉を罰する運命なのだが、さて狂人になったのでどうなのやら。
一応ヴィオラ――というか辰爾の狂気には気付いているのだが、幼い為「よくわからないけどやさしいおねえさま」で終わってしまっている。
言われそうなんで先に言い訳しときます。
恋愛描写が一切ないのに恋愛ジャンルなのは、主人公的には恋しているからです。
愛しているからです。
愛に愛に愛愛あいアイー!! って奴です。
その愛が常人のそれとは違いますけどね?
こういう狂人をかくのは楽しいですね。