4.想いを込めて
「そう。そのまま意識を手のひらに集中させて……」
「は、はい……!」
身体の奥底から湧き上がる魔力を、先生の指示に従って手のひらから放出していくイメージをする。
お城の庭園の片隅で、私は傷付いた小鳥に回復魔法を施していた。
ヴァルナル様が出発された後、お城勤めの魔導師──ヴェーチル先生に話があった私は、彼女に会いに魔導棟へと向かっていた。
その途中でこの小鳥が芝生の上でばたついているのを見付けて、回復魔法を得意とする先生を急いで呼んできたのだ。
これまで何度か彼女から回復魔法の基礎は教わっていたので、軽度の怪我だった小鳥の治癒ならば私に任せてみたいと言われ、こうして治療にあたっている。
じんわりと温かい光が広がり、翼を痛めた小鳥の体を包む。
しばらくして、私は手を止めた。
「先生、どうでしょうか?」
私は芝生に両膝をついた形なので、隣で見守っていたヴェーチル先生を見上げる。
先生は満足そうに頷き、口元を緩めて柔和に笑った。
「以前よりも効率良く魔力を支えているね。低級の回復魔法なら、もう充分に使いこなせるとみて間違いないよ」
「本当ですか? 嬉しいです!」
「喜ぶのはまだ早いよ。ほら」
視線を戻すと、怪我の治った小鳥はピチチと一声鳴いた。
そのまま何事も無く軽やかにその場を飛び立っていく姿に、私はより一層の喜びと達成感があった。
思わず立ち上がってその姿を見送っていると、先生が言う。
「姫の努力の成果だね。初めてあたしに魔法を教えてほしいと言ってきた日から、もう一年も経った」
「出来の悪い生徒ですが、今日はすこぶる調子が良かったように感じます。今日まで先生が根気よく教えて下さったお陰ですよ」
「いやいや、元から姫には素質はあったからね。なぁに、魔法なんて才能さえあれば、コツを掴んでしまうだけで良い。それが出来れば、後はもう怖いもの無しさ」
これまでは形としては魔法の発動が出来ていたけれど、その効果はあまりにも微弱なものだった。
普通ならほんの数秒で済むちょっとした擦り傷の治療に、私は十分以上もの時間を必要としていた。今回の治療は劇的な進歩だったのだ。
この程度の簡単な魔法の習得に一年掛かった私に、本当に素質なんてあるのか疑わしい。
けれど、何故だか今日はいつもと感覚が違っていた。
小さな家の扉が開いて、急に広い外へと飛び出したかのような……溢れ出してくるような魔力の流れを感じた。
この感覚には覚えがある。
アレクサンダー様とヴァルナル様との婚姻契約の時──高ぶる熱に煽られた時と酷似していた。
もしかすると、それが原因で魔力操作の効率が良くなったのだろうか。
「どうだい姫。今日はまだ時間もあるし、もう少し難しい魔法に挑戦してみないかい?」
「是非お願い致します! 私、丁度先生にそのお話をしに伺おうとしていたところだったのです」
「それなら話が早い。早速、あたしの研究室で教えてあげよう」
ヴェーチル先生は王国魔導師団の第二師団長で、すらりとした手脚と美しい夕陽の色の髪をした、キリリとした印象の女性だ。
若くして師団長の座に就いた彼女は、回復魔法や治療薬などの補助系魔法に特化した第二師団を率いるカリスマ的存在。
彼女の第二師団は、騎士団に卸される様々なポーションの生産や改良、王家や貴族の診療等を任されている。
彼女達の職場である魔導棟の最上階にはそれぞれの師団長・副団長の私室があり、その下の階が彼女ら専用の研究室となっている。
その中にある先生の研究室は、薬品と草花の香りが広がるすっきりとした空間だ。
「注文しておいた品がようやく届いたところでね。これを姫の婚約祝いにしようかと思っていたんだが、せっかくの機会だ。姫へのサプライズではなくなってしまうけれど、お相手方へのサプライズに変更しよう」
「サプライズ、ですか……?」
そう言って、先生が戸棚から取り出したのは小箱だった。
中身は赤と青、そして紫色の宝石。どれもがスープに入っているお豆のような大きさで、アクセサリーに加工される前のゴツゴツとした粒だ。
先生はそれを作業台の上に乗せる。
「ああ。あたしの可愛い生徒へのプレゼントに、実用的な魔法付与アクセサリーを用意しようとしていたんだ。付与する作業は比較的簡単なものだから、次に教えるならこれが丁度良いかと思ってね」
「ですが先生。小粒なものといっても、宝石はある程度値が張るものですよね? 贈答用として購入されたという事は……」
「勿論、あたしのポケットマネーだ。元は姫の誕生日に用意するつもりだったものだが、二つ増えても大差は無いさ。救世の勇者二人と婚約だなんて驚かされたが、どうせならこの機会に三人纏めて祝ってやろうと思っただけさ」
「そのお気持ちだけでも、私にとってサプライズである事に変わりありません。ありがとうございます、先生」
「……礼には及ばないよ。さあ、まずは手本を見せようか」
少し照れ臭そうに言いながら、先生はまず紫色の石を手に取った。
「宝石に魔法を付与した道具や装飾品は、日常生活は勿論、戦場でも役に立つ代物だ。魔導師の杖やきしの剣にあしらわれた宝玉には、魔力の増幅や備蓄の効果を与える事も出来る」
それをぎゅっと片手で握り込み、言葉を続ける先生。
私は興味津々に彼女の説明に耳を傾ける。
「付与に必要なのは、石に込める魔力と強い意思。この二つだけだ。先程姫が小鳥に回復魔法を掛けた時と同じ事ではあるが、今回は魔力の込めすぎにだけ注意が必要だ」
「もしも魔力を込めすぎてしまうと、どうなってしまうのですか?」
「許容量を超えた石は割れてしまう。一度魔力が溢れてしまうと、もう付与石としては使い物にならなくなる。宝石の粉末が出来上がるだけだからな」
「……気を付けます」
以前見せてもらった先生の杖には、綺麗なオレンジ色の石が先端に嵌め込まれていた。
親指と人差し指で輪っかを作ったのと同じぐらいの大きさだったから、込められる魔力は目の前の石よりも多いのだろう。きっと、その分効果も高まるはず。
大きな宝石を粉微塵にしてしまう危険と隣り合わせで、あの杖は作られたのだろう。
「こうして手の中の石に魔力を流し込みながら、付与したい効果を強く念じる。それだけの単純な作業だ」
「割らないようにするコツはあるのでしょうか?」
「限界が近付くと、石が発光し始める。……見てみろ」
先生の言う通り、彼女の指の間から淡い紫の光が溢れ出してきた。
「この光が強くなっていく程、割れるリスクが高まっていくんだ。それを見極めるのが少し難しいかな。ギリギリまで込めれば、最大限の効力を発揮するようになるぞ」
次第に強くなる光を眺めていると、それがすっと止んだ。
手を開いた先生は、もう片方の手の指でそれを摘まみ上げる。
「これで付与は成功だ。姫、試しに私に火の玉をぶつけてみてくれ」
「ひ、火の玉ですか!? そんなの、先生に向けて使えません! それに、私の魔法なんて……」
「本当に小さなもので良いんだ。蝋燭の炎ぐらいの小さなものを頼むよ。それなら姫にも出来ただろう?」
「それなら……出来ますが……」
渋る私に、先生が安心させるように微笑んだ。
「いくら支援系の第二師団長のあたしでも、今の姫に遅れは取らないさ。いざとなったら対処の方法はいくらでもある。それに言っただろう? これは正しく魔法が付与されているかどうかのテストなんだ。気軽にやってみてくれ」
確かにろくに魔法が使えない私相手なら、先生が圧倒される事もないだろう。
自分の情けなさと先生への罪悪感に板挟みにされながら、私は指示通りに小指の先程度の小さな炎を両手の間に生み出した。
それをポンっと先生に向けて押し出すように飛ばす。
すると、私の炎は先生に直撃する前に掻き消えてしまったではないか。
「ええっ!?」
「良いリアクションだ。私がこの石に付与したのは、外敵からの魔法攻撃を打ち消す魔法だ。とは言っても、私の適正である水に弱い炎属性のものだけだけれどね」
「び、びっくりしました……! こんなに凄い付与魔法が、私にも出来るものなのでしょうか……」
不安に思っていると、先生は何でもないようにこう言った。
「姫ならやれるさ。高度な付与には慣れが必要だから、もう少し簡単な魔法を付与していこう。聞いた話によれば、まだ勇者達とは出会って日も浅いそうじゃないか。二人との距離を縮める切っ掛け作りに、姫お手製のアクセサリーをプレゼントしてみないかい?」
「アレクサンダー様とヴァルナル様に?」
「誰かの為を想った贈り物には、心が籠もるものだろう?」
その言葉を聞いて、すぐにピンと来た。
私を救って下さったアレクサンダー様とヴァルナル様の為になら、強くイメージして魔力を込められるかもしれない。
「あたしに他の魔法を習いたいと言っていたのも、彼らの役に立ちたいからなんじゃないのかな?」
「……先生には、何でもお見通しですね」
「姫が素直で心優しい子だから分かるだけだよ。でも、こうして考えれば出来そうな気がしてくるだろう?」
「はい。お二人の為に、私に出来る事をしたいですから」
先生にも言われたけれど、私とアレクサンダー様達はまだ互いについてよく知らない。魔族がどんな生活をしているのかとか、魔族の国はどんな土地なのかとか、ほとんど分からない。
けれど、少なくとも彼らだけは信頼出来る。
私を救った人達。私の恩人。大切な人達であるのは間違い無い。
お二人へのプレゼントには、どんな魔法が相応しいのでしょう。
まずはそれをしっかりと考えて、二人に素敵な贈り物を手渡したい。
私達は順序を飛ばして夫婦になってしまったから、まだ恋愛にだって発展していない。
だから最初は、恋を始める前に、私と出会ってくれた事への感謝の贈り物を──