街角群像小説 〜宇宙人に纏わるあれこれ〜
「おっと、すみません」
何者かの肩に当たったと分かるや否や、私の口は即座に謝罪の言葉を放っていた。
我ながらすっかりサラリーマンという業種の性が染み付いてしまっていると思う、情けない限りだが。
とはいえこうして人間として生活を送るために、それは良い事だ。
私がもし、地球人などという下等生物なんぞに成りすますことに抵抗があるような、プライドが高いタイプのマロット星人であったなら、どれほど楽な任務であっても、地球に降り立ち人間として暮らすことなど、了承しなかったであろう。
だが、私はあまりこだわりのないタイプのマロット星人であった--それは、私のマロットパワーが他のものに比べ、微弱なものであったからなのかもしれない。
マロットパワーとは、地球でいうところの超能力というものに似ている。
超能力と異なる点は、マロットパワーは全マロット星人が持つ、あまりにもありふれた物であるということだである。
ごく一部に超能力を使えるものがいるかいないか、程度の地球人など、我々にとって取るに足らない存在だ。
だが、地球という惑星は違う。この星はマロット星では考えられないほどの資源を孕んでいるのだ。
豊かな自然、多くの酸素。極め付けは、我々にマロット星では神の貢物と呼ばれる高級食材、パマカラス・マートル。地球では「プラスチック」と呼ばれる物質がそれに酷似しているのだ。
マロット星では作り出すすべがないため、地下に眠る資源のみで数が限られているのだが、なんと人間はそれを発明したのだという。
しかも、食用ではなく物に使われるのだとか。
それを知った時、私は大きな衝撃を受けた--あんなうまいものをなぜ食べないのか。
他にも地球人はペルタア・マンタナやポーチッス・マネル……地球での呼び名はポリエステルとシリコン、その他諸々の美味なる物質を作り出しておきながら、物として利用するのだ、まったくおかしな連中である。
そんなわけで、我々マロット星人は地球人を利用しそれらの食料の製造法を調査し、それから地球の支配を行うことにした。
植民地化というやつである。私は製造法の調査員として、五年前から地球で生活している。
それにしても先ほどぶつかったあの女……素晴らしかった。
といっても女の外見に惹かれたわけではない。私は地球人の女には興味がない。
私は女の胸の辺り、二つの大きな塊を思い出し、舌なめずりをした。
洋服に隠れていて一見わからないが、私のマロットパワーによる透視は見逃さない--非力な私の能力と言えど、シャツ一枚程度の障害などないに等しいのだ。
私は確信した、あの中にはポーチッス・マネル、つまりシリコンが入っている。
もしもマロット星人であったならそれは非常食としてなのだろうが、はて、なぜあの女はあんなところにシリコンを詰めていたのだろう。
地球人とは複雑怪奇だ、私はそんなことを思いながら忙しない職場への道を進んだ。
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「おっと、すみません」
……チッ。
低血圧で朝に弱いアタシは、肩の当たったサラリーマンのいやらしい視線に思わず舌打ちを打った。と言っても、心の中での話。
今のアタシは清楚なOLだから、どんなに腹が立ってもそれを表に出してはいけない。
それがアタシのプロ意識。スパイとして、どんな女にでもなれる自信がある。
女スパイ。響きはかっこいいけど、その内容は偉いおっさん達に近寄って機密事項を聞き出すことだ。 もちろんアタシは身体の安売りなんてしないけど?
そして、アタシは一流だからそこらの企業の社長相手に酌なんてしない。
アタシの獲物は、世界でも名の知れたような有名企業の社長や役員、もっとすごいのだと国のトップやその側近。それも二重、三重スパイどころの話じゃない。おかげで今やアタシは国際警察に追われる身だ。
まあそれでも色々な国から引く手数多なわけで、仕事に困ることはない。
今回の獲物は最近メキメキと頭角を現しているという会社の若手社長。依頼相手はそのライバル会社だ。正直アタシが出るにはちっさな仕事だけど、その割には破格な報酬金だったから一も二もなく引き受けた。
そんな訳で、今アタシが向かっているのはデキる若社長が待つ、都内の一等地に立つ大きなビルだ。アタシはそこで今日から受付として働くことになる。
ただの事務社員だけど、社長に近付くのにそうは時間がかからないでしょうね。
何しろアタシはこの美貌と、抜群なスタイル、そして相手の好みをいち早く察知しての完璧な受け答えで、今まで数々の情報を手に入れてきたのだから。
今のアタシは社長の好みの清楚で舌ったらずな喋り方をする、可愛らしい新入社員のOLだ。顔も変えてきたし、今まで金色だった髪も黒に変えた。
プロポーションもモデル顔負けだ。実はほんの少し弄ったんだけど、優秀な医師のおかげで今までばれた事なんてない。
とにかく、何もかも問題はない。あとはただ会社へ向かうだけのはずだった。なのに、射抜かれるような視線を感じ、アタシはその場に立ち止まった。
それは先ほどの男の下卑た視線とは異なる、アタシの正体を見破ろうとしているようもののようだ、と思った。
素人のものではない、アタシと同じプロフェッショナルな視線。
違うのは、おそらく相手はアタシを捕まえる立場、警察側であるということ。
思い当たる節はある。ありすぎる。なにしろアタシは世界一国家機密を知りえている女なんだから。
足が付かないように仕事の度に顔を変えていたんだけど、それも無駄に終わったらしい……警察もなかなかやるわね。
耳を澄ましたアタシに、この視線が杞憂ではないことを証明するような会話が聞こえてきた。普通の人の耳には入らないような、ひどく聞き取りづらい声で。
「……奴さん、例の会社に向かうみたいだな。……なんつったっけ」
「"PGプラスチック石油資源開発会社"だ。
--早く決定的な証拠掴んで、やつの頭にどでかい風穴を開けてえな」
聞こえてきた"PGプラスチック石油資源開発会社"とは、まさしくアタシがこれから向かうところだった。英語だったところを見ると日本警察どころではない。FBIとか、とにかくもっと格上の警察組織に違いない。
辺りを見渡しても目に入るのは、会話に花を咲かす高校生らしき二人の少年、サラリーマンやアタシと同じOL風の女、パチンコ店のオープンのチラシを配る、クマとウサギの着ぐるみ。それらしい二人組はいない。どうやら完璧に隠れているみたいね。
はあ……最悪。今回の仕事はキャンセルした方がいいわ。
アタシは自然な動きで道を戻り、依頼主に計画の失敗を告げるために、ピカピカの鞄から携帯電話を取り出して、小さくため息をついた。
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「おっと、すみません」
不意に雑踏の中から聞こえた声に、おれの横の汗臭いウサギはビクッと肩を震わせた。
「おい。奴、誰かと接触したようだが、相手もなんちゃら星人じゃ無いだろうな」
ビラを配る手を止め、ぶっきらぼうに俺は小さく言った。
「……いや、それは無いようだ。ただぶつかっただけだろう。その証拠に、それ以上の会話はない」
俺の返答を受け、相方の心配性なウサギは「……そうか」と小さく呟き、ターゲットの声が聞こえた為に一度降ろしていたバナーを再び振り上げ、申し訳程度にはためかせた。
それを見た通行人の少女達が、きゃあきゃあと楽しそうに指差す。どうやら着ぐるみの可愛いウサギを気に入ったようだ。
それに対しウサギはまるで長年ウサギの中身を務めてきたかのように、慣れた動作で手を振り少女を喜ばせていた。
彼女らはこのウサギの不気味な笑顔の内側には、仏頂面をした髭面の男が拳銃をポケットに入れて潜んでいるだなんて、思いもしないだろう。
ちなみに俺もキグルミの講習は受けたが、実際にそれら行うつもりはない--プライドのないあいつと違って、俺はターゲットを監視することにのみ集中していたいのだ。
今のクマの着ぐるみからは想像出来ないと思うが、俺は国際警察組織に所属し、日夜世界に害を与える敵と戦っている。
俺の横のウサギもそうだ。
奴は特に凶悪な国際テロ集団を相手に、今まで幾度もの死線をくぐり抜けてきた、優秀な捜査官だ。
だが、いやだからこそと言うべきなのか。
こいつは少々気が小さいところがある。超がつく程の心配性なのだ。
おかげで殉職者の多いこの職場でベテランという域に達している、数少ない男として一目置かれる存在になれたのかも知れない。だが、その気の小ささには時々うんざりする事がある。
こいつとタックを組まされて十数年が経とうとしている。そして、こいつのおかげで命が助かったことも何度もある。
だが、どうしてもこの小心者の言動には賛同することができない。
「……なあ、本当にあいつは宇宙人だと思うか?」
何を言い出すかと思えば、ウサギは不安げにそんなことを聞いてきた。
馬鹿らしい。俺はふんっと鼻を鳴らし、
「馬鹿だな、んなもんいるわけ無いだろ?
マロット星人なんつうのは単にコードネームかなんかだ。俺らがそんな非科学なもんを追ってわざわざジャパンなんかに来るかよ」
とは言え、奴の正体が分からないというのは本当だ。
ついでに言うと、俺たちがなぜ派遣され、あいつを監視し続けなければならないのかも分かっていない--こんな格好までさせられて。
暑い、動きにくい。その上一般人の好奇の目に晒される。そんな三重苦によって、俺の我慢はそろそろ限界に達しようとしていた。
一方俺の苛立ちなぞ知る由もないウサギは、俺とは正反対に涼しい顔をしていやがる。
いや、当然顔なんて見えるはずもないのだが、声の様子やらで俺には丸わかりだ。こいつ、死の危険が低いこの仕事に当たって、さぞかしホッとしているのだろう。
その証拠に、緊張感も何もない声音でウサギは俺に耳打ちした。
「……奴さん、例の会社に向かうみたいだな。えーと……なんつったっけ」
「"PGプラスチック石油資源開発会社"だ。
早く決定的な証拠掴んで、やつの頭にどでかい風穴を開けてえな」
仕事中だというのに気の抜けたその言葉に、俺は語調に苛立ちを込め、吐き捨てるように呟いた。
それよりも、腑抜けたウサギ野郎の平和ボケした頭に鉛玉撃ち込んでやりてえよ。
そんな俺の本心は生唾と共に呑み下しておいた。
「お、おい!」
そう時間も経たないうちに、今度は慌てた様子でウサギは俺に呼び掛ける。
なんなんだ、このチキンオヤジ。俺がイライラしながらそれに応えると、
「なんかあの二人組、すごく俺たちの事見てないか?」
そう言ってウサギが示した先には、なんてことのない、ただの学生風の少年が二人いるだけだった。
確かにこちらを見てコソコソと話をしているようだが……馬鹿なのかこいつは?
「それはしょうがないだろう。今の俺たちの格好はどうしても人の目を集めてしまう。
それにただのガキだ、恐れることなんてないだろう」
言いながら俺は、呆れてついため息をこぼしてしまった。
なおも「しかし……」と、ウサギは食い下がる。
俺はやや乱暴に奴の背中を叩き、
「しっかりしろ。慣れない土地だからって、何もかもを恐れる必要はない。
俺たちは世界を股にかけるエリートなんだぞ?
たかだかガキなんぞにどうこうされてたまるか」
「そうか…….そうだよな」
それだけ言ってようやくウサギは安心したようだった。
ったく……どうして俺がこんなビビリのオヤジ相手にしなきゃなんねえんだよ。
さっさとこんなつまらない仕事終わらせてもっとスリルのある現場に行きたいものだ。
俺は隣のウサギに聞こえない程度の小さな舌打ちを打ち、それからは頭を切り替え、ビラ配りをするクマとして最低限の愛想を振りまくことに専念するのだった。
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「……なあ、なんか変じゃないか?」
「え、何のこと?」
きょとんとするヒロに向かって、オレは興奮気味に言葉を続けた。
「あれだよ、あの着ぐるみのウサギとクマ。
あいつらさっきから仕事もしないでコソコソ話ししてんだぜ?」
普通であればパチンコの宣伝に勤しむところを、不真面目にコソコソと怪しい会話をしているのだ。
まあ、単なる仕事仲間と同士の会話なのかもしれない。だが、オレの第六感はそれを怪しいと認識した。
これは何かあるな、と。
しかし、残念ながらオレのスペシャルなシックスセンスをヒロにまで求めるのは難しかったようだ。
「いやいや……考えすぎたよダイキ。
君は変に深読みするところがあるよね」
なんて、冷めた声でヒロはつまんないことを言った。
「分かんないぞ? もしかしたらあの二人、潜入捜査官とかかもしれない!」
「ダイキ、漫画の読みすぎだって。
フツーのバイト仲間でしょ」
ヒロはやれやれとでもいうように首を振った。
そんなヒロが気に食わなくて、オレは足元に転がっていた空き缶を思いっきり踏みつけてやった。
ガコッと大きな音を立ててぺったんこになった空き缶を、今度は自販機や横に設置されたゴミ箱目掛けて蹴り上げる。潰れた空き缶は見事ゴミ箱の入り口に吸い込まれ、オレは「よしっ!」とガッツポーズを決めた。
街の清掃活動に貢献したとも言える、オレのパーフェクトな一連の動作を、ヒロは呆れたような目で見ていた。
どうせガキっぽいとか思ってるんだろう。
オレだって何も本気であいつらが捜査官だ、とかって言ってるわけじゃない。そんなに厨二じゃない。
だったら面白いよな、って言ってるだけだ。
もしかしたらそうゆうこともあるんじゃないか、ってガキらしい空想に浸っていたいだけなんだ。
来年になれば高校受験に向けて勉強漬けの日々が待っている。そうなれば、今みたいにバカなこと話したり、放課後遊んだり出来なくなるだろう。
オレはその前に、おそらくは子供でいられる最後の期間である"今"、ヒロとくだらないやりとりをしたい。それだけだった。
ちょっと前までヒロも俺と同じようにバカやって笑い合えてた。なのに、いつからか俺たちの間には決定的な温度差ができていた気がする。
「……ねえ、ダイキ。ダイキってば! 聞いてる?」
呼び掛けに顔を上げると、ヒロはちょっと怒ったような顔をしていた。
「わ、わるい。なんだ?」
考え事に没頭していて、ヒロの呼び掛けに全然気付かなかった。オレは慌てて謝り、聞き返した。
「もういいよ……」
が、なぜかヒロは少し顔を赤くしてぷいっと横を向いてしまった。
「なんだよ、言えよ。気になるだろ」
おかしな様子のヒロに、オレは強めの口調で問い掛けた。
観念したのかヒロは「ああもう……」と言い淀んだ後、小さな声で、
「--あのサラリーマンとか、もしかしたら宇宙人とかかもしれないねって言ったんだよ」
そう言ってヒロはすれ違ったばかりのサラリーマンを指差した。
「バッッカだなあ‼︎ なんでそうなるんだよ!」
なんの脈絡もなく、サラリーマンが宇宙人。最近冗談の一つもまともに言っていなかったヒロにとっては渾身のギャグなんだろう。
オレは耳まで赤くなったヒロの肩に手を置き、バカみたいに大きな声で笑った。
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「……なあ、なんか変じゃないか?」
ダイキはパチンコ屋の方をじいっと見つめた後、やけに神妙な声で僕に言った。
「え、何のこと?」
普段から突拍子もないことばかり言うダイキのことだから、何を言い出したのかなんて考えたって分かるはずもない。僕は素直にダイキの説明を待つことにした。
「あれだよ、あの着ぐるみのウサギとクマ。
あいつらさっきから仕事もしないでコソコソ話ししてんだぜ?」
ダイキがそう言って指さした先には、クマとウサギのキグルミという、なんともファンシーな存在が道行く人々の視線を集めていた。
手にはビラや宣伝用ののぼりらしきものを持っているが、確かにダイキの言う通りそれらを用いて仕事に励んでいるようには見えなかった。
「いやいや……考えすぎたよダイキ。
君は変に深読みするところがあるよね」
口ではそう言いつつも、僕は素直に感心していた。
いつもながら、ダイキは勘が鋭い。他の人ならば気にならない様な人の所作も、彼は疑問を持って考えることができるのだ。
それは多くの場合考えすぎ、ほとんど妄想に近い物になるのだが、今回の様にまれに的を得ていることもある。
「 分かんないぞ? もしかしたらあの二人、潜入捜査官とかかもしれない!」
次にダイキからその言葉が出てきたとき、今度は一瞬だけ目を丸くした。
(……潜入捜査官とか、なんでピンポイントで当ててくるんだよ)
もしやダイキも僕と同様に、マロットパワーが使えるのでは、勘ぐってしまうくらい完璧な回答だった。
「ダイキ、漫画の読みすぎだって。
フツーのバイト仲間でしょ」
すぐに驚きを表情から消して、僕はいつも通り冷めた声で返答をした。
まさか「よく分かったね」だなんて褒めるわけにもいかないし。
僕が斉藤ヒロという地球人の少年と入れ替わって、まだ一年も経過していないのだ。
つまりそれは隣の少年、柿根ダイキと関わりを持ってそう長い年月が経っていないことを示している。
僕は、彼に対しどの様な態度をとればいいのか、決めあぐねていた。
そもそも僕は派遣された数多くのマロット星人と同じ様に、地球の調査のためにやって来たのだ。
だから現地人と無理に交わる必要などない。
そのはずなのに、なぜか僕はダイキとの関係を断ち切れずにいる。
そんな複雑な心境を胸に、僕は自然とため息をついていた。
ダイキは僕を横目で見ながら、空き缶を蹴っ飛ばしそれをゴミ箱に入れてガッツポーズを決める。 とても嬉しそうに、キラキラと目を輝かせて。
ダイキは、"僕がダイキのことをガキっぽいと思っている"と思っているようだけど、それは違うのだ。
多分、僕はダイキのこういうところが嫌いじゃないからこうして付き合っている、のだと思う。
思う、というのは確信が持てないからだ。
マロットパワーで他人の心の中を覗くことができるくせに、自分のことはさっぱり分からない。
きっと、僕はダイキの言う"冗談"というやつが好きなんだろう。
僕の故郷で、冗談を言う者はいなかった。
というか、文化として存在しなかったのだ。
マロット星人は真実しか言わない、まじめくさったつまらない民族だ。
だが、それも当然のことだろう。僕たちは相手の心を覗くことによって言葉の真偽を見抜くことができるのだから。
だからこそ地球にきて人間は嘘をつくと知った時には衝撃を受けたものだ。
そして、人々の間に笑いを生む嘘、つまり"冗談"というものが存在することにも。
冗談は真実ではないかもしれないけれど、ときに誰かを傷つける真実よりも、よっぽど優しいものだと思うのだ。
……と、ふいに同族の気配を感じ、僕はおもむろにそちらの方向を見た。
そこにいたのは地球のスーツを身に付けた男だ。
彼はマロットパワーが弱いのか僕には気付くこともなく悠々と歩いている。
その時、僕はなぜだか知らないけどその事を口走っていた。
「あの人、宇宙人だったりして」
その途端、僕は顔が熱くなるのを感じた。
僕にしてみればそれは真実なわけで、恥ずかしい理由などない。
でも、僕がこの時言ったのは確かに"冗談"だったのだろう。
ダイキが口癖のように言う、"冗談"。
いつもそれを横で聞いていて、僕はそんな人を笑顔にする冗談を言ってみたかったのだ。
その事実が僕の頬に熱を与えた。
朱に交われば赤くなる、とこの国のことわざにあるけれど、交わりすぎだろう。
支配対象である地球の人間に、すっかり馴染んでしまったようだ。
僕は、おそらく今初めて"斉藤ヒロ"としてではなく、"僕"個人としてダイキに話し掛けたのだ。
よく分からないけど、照れくさい。
ダイキはなんて言うだろう。反応がすごく気になった。
でも、いつまで経ってもダイキの返答はなく、僕は心配になってダイキの顔をそっと窺った。
ちなみに僕は極力ダイキの心を覗かないようにしている。ダイキは僕の心を読めないのだから、そこは合わせるのがフェアーだと思うからだ。
僕は表情から人の心情を読み取るのはだいぶ苦手なのだけど、素直なダイキの顔はとても分かりやすかった。
そんな彼は普段あまり見ることのない真剣な顔つきで、どうやら僕の声なんて耳に入らないくらい考え事に没頭しているらしかった。
「ねえ、ダイキ。ダイキってば! 聞いてる?」
僕はダイキの思考にかき消されないよう、大きく声を張って彼に呼び掛けた。
「わ、わるい。なんだ?」
そこでようやくダイキはそれに気付き、ハッとした様子で顔を上げた。
僕は再度言葉を紡ごうとしたところで--開きかけた口を固く結んだ。
よく考えたら、言直すようなことでもない。
むしろ、聞かれていなかったならそれでいいとすら思い始めていた。僕にしてみれば特別な言葉ではあったけれど、世間一般では単なるつまらないシャレだ。
もしかしたら、ダイキは僕の冗談を聞こえないふりしたのかもしれない。あまりにもな内容のシャレだったからスルーしたとか……。
そんなマイナス思考にずんずんと沈んでいった僕には、今更くだらない冗談を言いなおすことなど不可能で、そのまま話が流れてくれないかなと思ったりしたのだけど、ダイキはそれを許さなかった。
一文字に固く結んだ唇と眉と眉の間に険しく刻まれたシワ、そして極限まで細められた瞳はダイキが気にくわないことがあると彼の顔に現れる特徴だ。
現在、それらの項目に全てチェックがついた状態でダイキは僕を見据えていた。
「ああもう……」
すっかり機嫌をそこねたダイキの前で、僕は諦めて口を割る。
「あのサラリーマンとか、もしかしたら宇宙人とかかもしれないねって言ったんだよ」
やっぱり恥ずかしい。顔が赤くなるのが自分でも分かった。
改めて考えると、自分で言ってみても訳がわからない。すれ違った人を宇宙人呼ばわりとか、僕だったら相手の常識を疑うところだ。
今ではダイキの反応を見るのが怖くなっていた。良くて失笑、もしかしたら今度こそなかったことにされるかもしれない。
が、ダイキの反応は僕の予想を大きく裏切るものだった。
「バッッカだなあ‼︎ なんでそうなるんだよ!」
そう豪快に笑顔をこぼし、ダイキは僕の肩に力強く手を置いた。
手の勢いがなかなか強かったせいかちょっと痛いぐらいだったし、なぜダイキがそんなに喜んでいるのか見当もつかなかったのだけど、幸せそうなダイキの顔を見て、つられて僕も笑ってしまった。
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「ふう……」
しばらくの間無音が続いていた、ほんのりと消毒液の匂いのする白い病室を占領したのは、そんな少女の感嘆のため息だった。
びっしりと文字で埋め尽くされた原稿用紙の端から端までをじっくりと眺め、そして彼女は呟く。
「よくこれだけ書けたなあ、わたし」
拙い文章にオチも何もない内容。よく小説を書く人にとっては素人丸出しで中盤あたりで投げ出したくなる文章なのかもしれない。それを自覚した上で、少女はこの感想を口にした。
この作品を書いている最中、彼女はとても幸せだった。空想を働かせ、それを頭の中だけでなく文章に書き表すことに夢中になった。
だから下手くそでたとえ世界中の誰にも見向きもされなかったとしても、彼女はこの物語を失敗作などとは思わないだろう。
元はと言えば、長引く入院生活に嫌気がさし、普段は読むだけだった本をたまには自分で書いてみよう、と暇つぶしに初めた執筆だったが、少女は周りが驚くほど没頭して三日目、とうとう書き上げた作品がこれだった。
ふと湧いてきた"もしも街で普通に宇宙人が生活していたら"という空想がどんどん膨らみ、結果的に男子の友情に落ち着いたのは、窓越しに制服姿の少年達の姿を発見し、久しくなった学校生活を思い出したからだったのだろう。
「そうだ、タイトルどうしよう」
書き上げたからには相応しい題名をつけなければいけない。少女はそう考えたが、そう簡単にぴんとくる良い名前は思いつかない。
結局原稿用紙と小一時間にらめっこしたところで、看護師の来訪により彼女の人生初となる"命名"は中断となってしまった。
仕方がなく少女は、仮名として「街角群像小説」というひねりのない文字を文章の初めの空白部に書き込み、丁寧に二つ折りにし自宅から持ってきていたファイルに挟む。
いつか、たくさんの作品を書き上げて執筆にも慣れてきた頃、その時の自分だったらきっとこれより良いタイトルを付けてくれることだろう。そんな期待を抱きながら。