幼馴染
くだらない話を思いつく限り書き連ねていくつもりです。
以前に掲載していた作品とは全然方向性が違いますが、楽しんでもらえれば幸いです。
「いやあああああああああっ!!」
隣家の窓から悲鳴が聞こえた。
幼馴染の声だった。
・・・
幼馴染――魅力的な響きだと思う。
近所の家に生まれ、小さい頃からいつも一緒だった二人。
やがて年頃になると、互いを異性として意識するようになり……。
男と生まれたからには誰もが一生のうち一度は夢見る、地上最強の属性。
俺が生まれる少し前、俺の家の隣に若い夫婦が家を買った。奥さんのお腹にも子どもがいて、近い時期に生まれた俺たちは赤ん坊の頃から親に抱かれ、互いの家を行き来した。
物心つく頃になると10コも上の兄貴はなかなか遊んでくれなくなり、だから俺は隣の家の子と、普通の友だち以上に一緒にいることが多かった。
俺は小4の時、親の仕事の都合で地方に引っ越すことになり、今年戻ってくるまで離れ離れだったのが、今は以前と同じ隣同士。あいつの部屋とは窓と窓で真向かい。おしゃべりも屋根伝いに行き来するのも日常茶飯事。
俺には幼馴染がいる。
悲鳴を聞いた俺は慌てて部屋の窓を開ける。向こうの窓はカーテンが閉じていて、中の様子がここからでは見えない。
急ぎ気味に窓を飛び出し、3歩で向こうの家へ。窓に手を伸ばし叩こうとした時、カーテンの僅かな隙間から室内が覗けた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
あいつはベッドに座り、天井を仰いでガクガクと震えながら呻き声をあげている。
その手には、人を殴り殺せそうな分厚い本が開いた状態で。
読んだ者を狂わせるネクロノミコンだとかそういうあれではなく、漫画雑誌のようだった。あいつが愛読している月刊誌だろう。
今日が発売日のはずなので学校帰りに買ってきたんだなと想像はつくが、それを読んでなぜああなる。
「おい、文――」
「くっそおおおおおおおお…………」
窓ガラスを軽く叩き呼びかけようとした時、あいつが初めて意味のある言葉を発し、そして。
「うああああああああああっ!!」
絶叫と共に、雑誌を左右に引き裂いた。
だが奴はそれに留まらず、裂いた雑誌の右手に持っていた方を捨て、圧倒的に分厚い左手の方を斜めに掲げると。
「けいりゃっ!!」
空いた手で貫手をかました。厚さ6cmはあろうかという紙束を五指全てが見事に貫通している。
「だあおっ!!」
フォークのように雑誌を貫いた手を振るうと、穴の空いた紙束が派手な音を立てて床に叩きつけられる。
「ふぅーっ……ふぅーっ……」
「おい! おい! 文吾!」
「ん?」
ようやく気づいたらしいあいつがこっちへ目を向けた。
今はやや乱れているが普段はぺったりと分けた髪に、厚い黒縁眼鏡。ひょろひょろと痩せた体でガリ勉っぽい印象を与えるが、たった今恐るべき「暴」を発揮したばかりだ。
こいつの名前は二宮文吾。
この幼馴染はあろうことか男で、そしてちょっとおかしかった。
「おどろかせてすまないな、一久」
「いや、別に……家の人は?」
「親はいない。妹は買い物だ」
窓を開けてもらい、文吾の部屋に上がり込んだ。俺が越してきて一月ちょっとだが、行き来するのももう慣れっこだ。
ベッドと床にはこいつに蹂躙された雑誌が転がっている。
「あーあー俺も読ましてもらおっかなーと思ってたのに」
しゃがみ込んで雑誌の亡骸を拾う。こいつが裂いてベッドに捨てた最初の数十ページ以降は虫食い状態でまともに読めそうもない。
「何があったんだよ一体」
無事な方のページ束を拾う。表紙を飾るのは先日アニメ二期が発表された看板作品。それをめくると、今月号から始まるという新連載作品が巻頭カラーで載っている。
「読まない方がいい」
「え?」
文吾が警告した。そういえば、さっきの状況からするとあの発狂ぶりはこの「新連載」の内容にあるのだろうか。
気になった俺は、警告を無視して内容に目を走らせた。
桜の咲く校舎、入学式の光景。
ページをめくると、見開きでブレザー姿の少年と、それぞれ個性豊かなビジュアルの制服姿の女の子が4人、右下にはやや凝ったロゴの作品タイトル。
いわゆる学園ラブコメなのだろう。絵は綺麗だし、女の子のデザインもそれぞれ可愛い。
特に捻りはない導入だが、オーソドックスなだけに絵柄の魅力が引き立つ。素直に期待する気持ちが湧いた。
すぐ目の前に仁王のような形相を浮かべた文吾がいなければ、だが。
しかし、ここまではこいつも怒るようなことはないだろう。この先の内容がよほどこいつの逆鱗に触れるものだったらしい。
「ヒロインに元カレがいたのか?」
「違う」
広告のページを飛ばし、本編を読み始めた。
『うっひょー見ろよ! この学校の女子はレベル高いって本当だな。新入生も可愛い子多いぞ』
『はあ……』
この手のジャンルにはド定番の女好きな友人が可愛い女子を物色するのを、冷めた目で眺める主人公。
『全く、三次元の何がいいんだか』
主人公は重度のオタクであり、リアルの女性にはどれだけ美少女だろうと心を動かされたことはないという。
美人の先輩に誘われた友人に引っ張られ、「二次元文化研究会」の体験入部へ赴く主人公。
そこで出会ったのは、『二次元の王子様にしか興味ありません!』と主張するイタいオタク美少女だった。自分と似たような考えを持つ彼女に主人公は奇妙なシンパシーを感じ、出会って初日というのにやたらと会話が弾む。不覚にも胸のときめきらしきものを覚え、かぶりを振ってそれを否定する。
そして、その日の活動が終了し帰ろうという時。野球部の方から飛んできた硬球が彼女に当たりそうになり、咄嗟にかばう主人公。
ボールが後頭部を直撃してよろめき、彼女を巻き込んですっ転んでしまう。
『いてて……ん? なんだこのやわらかい感触は?』
なんと、主人公の顔は意外と豊満な彼女の胸の谷間に埋まって――。
「きぇえええええああああああっ!!」
「うおっ!!」
奇声と共に放たれた文吾の手刀が、俺の持っていたページをさらに真っ二つにした。
「なにすんだよっ!?」
「す、すまん……また怒りが蘇ってきて、我を忘れてしまった」
文吾は肩で息をしながら詫びる。
俺は咄嗟に身を躱したが、切断面は刀で斬ったように鮮やかで、さらにベッドに敷かれた毛布までスパっと斬れている。ガリガリのくせになんだこいつは。
「つまり、あれか? 『三次元には興味なし』的なことを言うのにあっさりリアルの女とフラグ立ててる主人公が許せないと……」
「だって、そうだろう!? 許せるかこんなもん!」
ズビシィッ! と文吾は床に捨てた方の雑誌、つまり俺が読んだところの続きを指差す。こいつが貫手を食らわせたのはちょうど真っ赤になった主人公の顔の描かれた部分だった。
「いや、だってさ……じゃなきゃ話になんなくね? ラブコメなんだし……」
「じゃあ普通に恋愛したことないだけの主人公でいいだろっ!! なんだ三次元に興味なしって!! 何を掌返してんだクソがっ!!」
まだ冷めやらぬ怒りを吐き出す文吾。そばにいるとうるさいし大変暑苦しい、ていうか実際室温上がってね? こいつの体から怒りが熱になって噴き出しているのだろうか。
「だいたい……『三次元に興味なし』ってお前ら二次元の存在だろうが……二次元美少女に囲まれといて何の言い草だよ……」
今度はブツブツとメタな文句を言い始めた。
やはりウザいが、しかし、共感はしないまでも、こいつが怒ること自体はわからなくもなかった。
俺にもいわゆるオタク趣味はあって、文吾とは幼馴染かつオタク友達みたいなところももあるのだが、こいつの場合は重度というか、こじらせているというか、三次元に興味が無いというより嫌悪感を抱いている節があった。
だからさっきの主人公のような、二次元の女の子にしか興味が無いとか言っておきながら劇中における三次元の女の子にもあっさりとほだされ、そしてそれを読者/視聴者から見た二次元世界で展開しているということにぐちゃぐちゃした怒りを覚えるらしい。
ちなみに最後の点については、「漫画のキャラが『漫画じゃあるまいし』って言うのがムカつくような感じ?」と聞いたら「それは全然いい」と言われた。なんなんだ。
「お前さ……やっぱ三次元は嫌い?」
「嫌いだ」
ぼそりとした口調で答える。今さらな問いだった。
「実際こう……三次の女の子に触れてみたら変わるかもよ?」
「痴漢しろって言うのか」
「いや……物理的に触れるんじゃなくて」
ただまあ、恋愛するかどうかというのは相手にもよるからわからないし、とりあえず性的な対象に思えるようになるというのも、一つの進歩かも知れない。
「ネットのエロ動画で抜いてみるとかは?」
「エロ動画じゃないが、似たようなことなら……」
「え? マジ? もうやってたんだ。一体何で――」
ふに、と……足の裏に柔らかい感触があった。薄い、何か布状のものを踏んだらしい。視線をやると、それは薄紫で光沢を帯びている。
「ああ、それだ」
それ、と言われ、踏んだ布切れを拾う。
やたら布面積の小さな、薄紫の下着。前は一部が透けそうなレース素材でできていた。
「母親のパンツだ」
「何やってんのお前!?」
思わず投げつけそうになったが思い留まり、しかしずっと持っているのもなんだかアレなので、ぱふり、とベッドの上に落とす。
「ちんこを包んで扱いてみても、全くぴくりともしなかった。逆に海綿体が壊死するんじゃないかというくらいに。やっぱり三次元はダメだな」
「二次三次以外に分別はないのかよ……」
もう犯罪じゃん、という俺のツッコミを無視して、文吾はベッドの上のパンツを拾い上げ、見つめた。なんでこんな哀しい目をしてるんだろう。ムカつく。
「はぁー……」
溜息をつくと、そのパンツをおもむろに……被った。
目と頬のあたりだけ露出して、顔をおばさんのパンツが覆っている。
そのまま、文吾は仰向けにベッドに倒れ込むと、やはり哀しげな瞳で天井を見上げる。
「これが二次元ならさ……母親のパンツと手をザーメンで汚して、『最低だ俺って』ってできたのかな……?」
「最低だよお前」
そのまま少しの間沈黙が流れたが、やがて俺の方から「なあ」と呼びかけた。一つ、気になることがあったのだ。
「もしかして、妹のも――」
「あ、お前もかぶるか?」
「やっぱあんのかよ!!」
さっと薄い水色の下着を差し出したこいつに、俺は改めて引いていた。
「返してこようぜ……おばさんのも。まずいって」
眼前に差し出された文吾の妹・四葉ちゃんのパンツから、俺は思わず目を逸らしていた。
異性の下着なんて無条件で気まずいが、ましてや友だちの妹。1コ下の女の子。しかも、こいつの妹・四葉ちゃんは兄に似ず美少女なのだ。こいつの妹があんなに可愛いわけがない。
「ためしにさ、一旦被ってみろよ。ほら」
「いや! なんでだよ! お前、三次元に興味ねえんだろ! 俺にかぶらせてどうする」
「なんていうか、この虚脱感? みたいなのをお前にも共有して欲しくて……」
「ふざけ、あっ……」
母親のパンツをかぶり、妹のパンツを手にしたあいつはベッドから起き上がると俺に蛇のように絡みついてきた。振り払おうとするが、べったりとくっついて離れない。いつの間にやら奴は俺の背後に回り、BL小説の表紙みたいに俺の体に手を這わせた。
「や、め……」
「諦めて、受け入れちまえよ」
無駄にエロい奴の吐息が俺の耳元をくすぐる。ブルーワーカーの使用前みたいな奴に、俺は自由にされている。屈辱に震える俺の目の前に、奴が両手で広げた四葉ちゃんのパンツが現れる。
パンツの裏地が、ゆっくり顔に近づいてくる。
「あ……」
観念した俺は思わず目をつぶり、そして再び開いた時、顔面に布の感触があった。
ああ。俺は四葉ちゃんのパンツをかぶっている。俺の背後を取った文吾同様、顔をパンツで覆っている。
パンツが普段どこを覆っているかを考えれば、この状態は言わば四葉ちゃんへの間接ク――。
その事実に、俺の中から得も言われぬ興奮が……興奮が……。
「しないな……興奮」
「だろ?」
不思議だ。変態仮面スタイルの俺たちだが、心の中は射精直後のように冷めていて、もちろん股間はぴくりともしない。
あからさまに変態的な行為に及んで興奮していられるのは、文字通り変態だけなのかも知れない。俺たちは器じゃなかったようだ。
「とりあえずさ……離れね? パンツも返そうよ」
「ああ」
文吾も同意し、絡みつき俺を拘束していた手足をゆるめる。自由になった俺が部屋のドアへと体を向けた時。
「あっ」
半端にゆるめた俺と文吾の脚がもつれ、二人してバランスを崩し床にどうと倒れる。文吾は仰向けに、俺は前のめりに。ちょうど、文吾を激怒させたあの新連載漫画のように、胸に顔を埋める、いや押し付ける形で。
「いててて……」
「悪い、今どくよ」
ひどく近い距離で見つめ合う俺と幼馴染。あれ? こいつこんな顔だったっけ?
重なり合った状態から俺が手で体を起こし、立ち上がろうとして、やや前にずれた時――絶好のタイミングで目の前のドアが開いた。
「あうっ!」
無造作に開かれたドアが、俺の顔面を強かに打つ。
「ん? なんか当たった?」「いっで……」
ドアが開いたのに続き、開けた人物がスタスタと部屋に入ってくる。
顔面を打った俺は衝撃で上向いた顔を下げ、手で抑え、また少し上げ、前を見ようとした。その時の状況など考える余裕はなく、ほとんど反射的な行動だった。
「兄貴? あれ、いな――ひゃっ!?」
「あ?」
何故か目の前が暗い。パンツ越しなのでよくわからないが、何かひらひらしたものが頭頂部かぶさっているのを感じた。そして、やはりパンツ越しだが、俺の額と鼻も、何かに触れているらしい。
なんだこのやわらかい感触は?
少し視線を下げると、白くほっそりした脚が見える。膝から下は紺のスクールソックス。
頭上からは聞き覚えのある声。
これは――。
「……」
「あ」
視線を上に向ければ、かぶさっていた何がふわりとめくれ、視界が開ける。
四葉ちゃんの大きな瞳が俺を見下ろしていた。可愛い。
次の瞬間、再度の衝撃――彼女のつるりとした膝が、俺の顔面に突き刺さっていた。
鼻血はパンツの布地を突き破って噴き出し、宙に綺麗な弧を描く。
天井がスローモーションで流れていくのが見えた。四葉ちゃんのパンツは見えなかった。ちくしょう。
今度は後頭部を、フローリングに思い切り打ち付ける。今日は脳細胞がよく死ぬな。
鼻の奥からは、まだダクダクと血が流れる感覚があった。さっきの文吾のように、俺は天井を見上げる。
「これが……三次元の痛み……」
すぐ横でゴンッ! と派手な音がして、そこにはうつ伏せになった文吾の頭があった。
「な? 三次元ってクソだろ?」
爽やかな笑みを浮かべ発する言葉に、何か突っ込んだような気がするが、四葉ちゃんに関節を極められた文吾の悲鳴と靭帯のねじれる音にかき消される。
四葉ちゃんが立ち去った時、外はちょうど夕日が沈むところだった。
顔を腫らした文吾が言う。
「三次元でも、夕焼けは綺麗だな……」
「ああ」
三次元に打ちのめされた俺たちの目に、オレンジの光がよく沁みた。