第八十九話 拘束への執念を、高速で振り切って
シャロンから襲撃を受けている最中に、『黒いやつ』にまで襲いかかられてしまった。こちらにはシロもいないというのに、厄介な敵が複数という、なかなかに八方塞がりの状況だ。
だが、そんな状況下でも、一筋の光は射していた。以前、シロと共同で『黒いやつ』を下僕化するために取りつけた拘束の鎖がまだ首にあったのだ。後は、首輪からマントのように垂れている鎖を掴んでしまえば、魔力が発動して、やつを下僕としてこき使えるようになる。
もちろんリスクはあったが、どうにか下僕にすることに成功した俺は、一緒にこの世界に拉致されてきた城ケ崎と、『黒いやつ』の翼で、空中へと飛び立ったのだった。
「わ、わわわ……! 早く逃げないと……。この黒いのから、握りつぶされてしまう……!」
「お、おい! 暴れるな! 大丈夫だって、さっきまでは敵だったが、もう味方だから」
「何が大丈夫なんですか。こいつの首から垂れている鎖を掴んだだけじゃないですか。説得的なことを何もしていないじゃないですか」
「お前にはまだ説明していなかったが、鎖を掴んでいると、こいつを下僕に堕とすことが出来るんだよ。それに成功したから、こいつはもう俺の従順なるペットという訳なんだ」
端的にいうと、そういうことになる。何も知らないやつへの説明としては、これ以上ないほどちんぷんかんぷんな内容だがね。実際、城ケ崎は何だそれはという顔で、余計に喚き散らしてきた。
「本当ですか!? 実は従った振りをしているとか、隙を見て裏切ってくるとか、そういうのはないですよね?」
さっきまで敵だったやつが、こっちの命令に従うようになる訳がないと疑っているのか、城ケ崎は散々まくし立ててきた。まあ、これが一般人の抱く正常な疑問だろうな。
「すぐに信じろというのも酷だろうが、これはシロが異世界から持ってきた拘束専門のアイテムなんだ。だから、効果は保証付きだ」
そう言いつつも、実際に使うのは初めてなので、もしかしたらという危機感は一応あった。語尾に「たぶん……」とつけようと思ったが、城ケ崎を不安にするだけなので、ハッキリと断言しておいた。
「シロちゃんの? ああ、それなら、安心ですね」
「おい!」
どうしてシロの名前が出た途端に安心するんだよ。そりゃ、俺よりも、シロの方が信頼を勝ち取っているのは知っているが、露骨に態度で示されると腹が立つんだよな。
「とにかく!」
翼が手に入った以上、こんなところに長居は無用だ。目の前のシャロンという困難からの逃走を決定していたところだったので、優雅に上空を飛びながら、悔しがるシャロンを横目に余裕のある逃走を開始した。
俺たちを苛め足りないのか、シャロンは自慢の蔓を全速力で接近させてくるが、『黒いやつ』の方が速いので、距離は徐々に開いていった。
「あの蔓……、しつこいですね。まだ追ってきていますよ」
「そうみたいだな。もうだいぶ距離を稼いでいるというのに、殊勝な心がけだよ!」
あんなに大きく見えた蔓が、すっかり小さく見える。遠くの方で何かが動いているくらいの認識しかない。もう十分だから、追いつく見込みの薄い追跡など諦めろと諭してやりたい気分だ。使い手のシャロンの性格をよく反映したような執念深い追跡といえる。こちらの方が速いとはいえ、油断は出来ない。奥の手的なものを繰り出される展開も考慮すると、安心出来ないな。
「よし、それなら一気に突き放してやる。前方に向かって、真っ直ぐスピードアップだ! 出来るな?」
業を煮やした俺は、そっちがその気ならと、さらに突き放して、完全に撒いてしまうことにした。『黒いやつ』は頷くことすらしなかったものの、さっきより格段に飛行速度を上げたことから、命令を忠実に実行しているようだ。
「ちょ……! 前、前! ぶつかりますよ!」
「げっ……!?」
しまった……。急激に加速したため、蔓が見えなくなるくらいに引き離すことは出来たが、急なスピードアップのせいで前方確認がおろそかになり、高層ビルへ正面から激突してしまった。『黒いやつ』がとっさに俺たちを庇ってくれたおかげで、痛みはなかったが、激突の衝撃はかなりのものだった。
「宇喜多さん……」
「ははは……、悪い悪い。まだこいつとの意思疎通が上手くいっていないみたいだ。まあ、この世界だったら、車や電車も通っていないし、電信柱や建物と激突しても死ぬことはない。操作方法を覚えながら、気長に逃げられる!」
そう考えると、いくら無茶をしても死なないこの世界の特性が好ましいものに見えてくる。
「いやいや! その失敗を繰り返すことが前提になっている想定は勘弁してくださいよ。せめて次はもう失敗しないくらいの宣言はしてほしいところですね」
気を取り直して、空の逃避行を再開したが、先ほどの無謀なスピードアップが利いたのか、蔓はもう確認出来なかった。
「撒いたようですね」
「ああ……。一時期はいつまで逃げればいいんだって、心底ため息が漏れたがな。撒いたのなら、結果良しだ」
それでも念のため、さらに1キロメートルほど移動した後で、ようやく一息つくことにした。精神的に余裕も出来たので、一旦地上に降りて、これまで経験した中で城ケ崎が知らないことを、城ケ崎に説明することにした。
「はあ……、私たちと毎晩賞金探しに熱中している傍らで、そんなことにうつつを抜かしていたんですね」
「おい! まるでお楽しみに興じているような言い方は止せよ。最近こそ慣れてきたが、最初はそれこそ死ぬ思いだったんだからな」
正直に告白すると、さっきこいつの首輪から繋がっている鎖を掴んだ時も、清水の舞台から飛び降りる覚悟だったのだが、そこは黙っていよう。
「それはそうと、その『黒いやつ』って呼び名はどうにかなりませんか?」
「嫌か?」
「ええ、センスが感じられません。『黒太郎』っていうのはどうでしょうか? 呼びやすいし、どことなく可愛さも感じますよ」
お前のネーミングセンスも、人のことを言えたものじゃないな。下手をしたら、俺以下かもしれん。もし、こいつに子供が出来るようなことがあれば、絶対に名前を付けさせるなと旦那に忠告させてもらうとしようか。
「……」
「あれ? 返事がないですね。ひょっとしてお気に召さないですか。心なしか、黒太郎も不満げに思えます」
誰の了解も得ていないのに、もう黒太郎と呼び始めている。こいつもなかなか図太い性格をしているな。
「いや、こいつ、元々人の言葉を話せないから。だが、気に入っていないのは伝わってくるね」
「どうしてですかね。良いじゃないですか、『黒太郎』!」
駄目だ。城ケ崎の中では『黒太郎』で決定してしまっている。もう他の名前にする気などないのだろう。仕方ない。『黒太郎』でいいか……。
黒太郎が勘弁してくれと言いたげに見つめてきたが、これまで俺にしてきたことへの報復と考えるなら、可愛いものではないか。改めて、『黒太郎』で決定! そう悲観するなって。きっとシロから、大爆笑してもらえるから。
「さて! この子の名前も決まったことですし、次はこの空間からの脱出方法について聞かせてもらってもよろしいですか?」
「ああ、ここから出る方法は二通りあってだな……」
「ふむふむ……」
「む?」
遠方から轟音と共に、何かが蹂躙してくる。ていうか、あれは何だ? 森!?
「壮観ですね。あれだけ密集していると、もはやジャングルといっても過言ではありませんよ」
「ジャングルか……。森よりも適切な表現だな」
やれやれ……、まだ城ケ崎とのトークタイムが終了していないというのに、邪魔が追いついてきたようだ。後方から蔓が急接近してきているのが遠目で確認出来た。シャロン本人の姿こそないが、追跡を諦めていないことだけは分かった。
しかし、驚嘆すべきは蔓ごとのサイズだ。一本一本が既に大樹と表現しても良いくらいビッグだ。それが群を成して接近しているのだ。ジャングルが迫ってきていると思ってしまうのも無理はない。
「向こうには私たちの位置が分かっているんでしょうか。もしそうなら、どこまで逃げても追いつかれてしまいますよ」
「その可能性もあるな。これは、この世界から一度脱出するしかないか」
仕方がない。脱出方法については、実践しながら、説明させてもらうとしますか。




