第八十八話 ひとまずさようなら、再会を約束して、俺は去る
「何をしているんですか、宇喜多さん! せっかく逃げるチャンスだったのに!」
城ケ崎が遠慮なく非難の声を浴びせてくる。当たり前か。せっかく敵同士が、お互いを潰しあうのに夢中になって、逃げ放題の状態だったのに、よりにもよって、その間に割って入ったのだから。
だが、敢えて言い訳をさせてもらうのなら、俺だって酔狂でこんなことをしている訳ではない。
『黒いやつ』の首にかけられている首輪。俺が掴んでいるのは、それと繋がっている鎖だ。これを持ち続ければ、こいつを下僕にすることが出来るのだ。前回にこの世界を訪れた時に、一度挑戦しているが、失敗に終わっていて、リベンジしている訳だ。下僕化に成功すれば、俺に有力な手駒が増えることになり、今後の戦いを有利に進めていくことが可能になるのだ。
ただし、下僕に堕ちるまでは、激しい抵抗にあうのが難点だ。前回もそれで失敗した。今回も、そろそろ暴れ始める頃だろう。
「うおっ!」
よほど俺の下僕になりたくないらしい。鎖を掴む俺を、直接ブッ飛ばそうと、正拳突きを繰り出してきやがった。咄嗟に躱したが、まともに食らっていたら、ただでは済まなかっただろうな。
俺が鎖を掴んだままだというのに、今度は上空へと浮上しようとしている。高所から地面へと叩きつける気か? 死なないとは分かっていても、身がすくんでしまうな。
「ちょっと~! いきなり乱入してきて、私より目立つのは感心しないわねえ」
シャロンのやつが蔓を、俺の脚に巻きつけてきた。しかも、その間も『黒いやつ』は上昇を続けている。ひい~、体がちぎれる~!
「あっら~! 苦しそうに呻いているくせに、その鎖を離そうとしないわね。そんなに大事なものなのかしらあ?」
まずい……! シャロンも疑念の目を向けてきた。こいつに俺の狙いがばれると厄介なことになる。だから、早く下僕になってくれよ、『黒いやつ』! そして、一緒にあいつに立ち向かおうぜ。
「まあ、いいわ。どちらもお仕置きが必要という点では共通しているし、たっぷりと調教してあげて、その後で訳を詳しく聞かせてもらいましょうか」
意地の悪い笑みの後、シャロンからの容赦ない攻撃が始まった。『黒いやつ』も下僕化が進行している間は、動きが鈍るらしく、本来ならなんてことのない攻撃まで連続で食らってしまっている。
「あ……、あ……」
延々と続く攻撃を、城ケ崎は横で見ているしか出来なかった。俺を助けたいという気持ちがなかった訳ではないと思いたいが、彼女が加勢してきてくれたところで、サンドバックが増えるだけというのが、悲しいながらも現実だ。
「まだ鎖を離さないのねえ。そんなに頑張っているところを見せつけられると、つい応援したくなっちゃうじゃない。そんなに一緒にいたいのなら、こういうのはどうかしらあ?」
シャロンのやつめ……。太い蔓を操って、俺と『黒いやつ』をまとめて縛り上げてきやがった。そして、体を分断する気なのかというくらいに強い力でぎりぎりと締め付けてきた。くそ……、人をおもちゃみたいに扱いやがって……。
「う、おおおおおお!!」
耐え難い激痛の中、唸り声が漏れてしまう。それをシャロンは協奏曲でも聞いているかのように、うっとりとした顔で聞き入っている。
……だが、俺にとって都合の良い変化も確実に訪れてきてくれていた。あんなに抵抗していた『黒いやつ』が先ほどから嫌に大人しいのだ。
試しに、シャロンに向かって突進してみろと命令してみる。『黒いやつ』はすぐさま、文句も言わずに、シャロンの元へと駆け出したではないか。
「なっ……!?」
完全に油断していたのか、『黒いやつ』からの突進の怯んでしまい、俺たちを縛っている蔓の拘束力もわずかながら弱まった。
「今だ! この蔓をお前の怪力で引きちぎってしまえ!」
「何を言っているのかしらあ! そいつがあなたの命令に従う訳……。何ですって!?」
『黒いやつ』のパワーで、蔓がぶちりとちぎれた。これで俺たちは自由だ。自慢の蔓がちぎられたことにシャロンは、目を白黒させていたが、それ以上に俺の下僕に甘んじている『黒いやつ』を信じられないといった顔で凝視していた。
くっくっく! さっきまでとは別人のように従順になっているじゃないか。こいつもだまって言う通りにするようになれば、そこそこ可愛く見えるものだな。
「へ? 今、その『黒いやつ』、宇喜多さんの命令に素直に従ったように見えたんですが……!」
この空間に引きずり込まれて、化け物としか表現のしようのない存在から連続で襲われるだけでも驚きなのに、止めを刺すかのような超展開に、城ケ崎の声はすっかり裏返ってしまっていた。俺に説明を求めてきているが、それより先にしなければいけないことがある。シャロンから逃げることだ。
「よし! 次の命令だ! 迅速に頼むぜ!」
周囲はまだ混乱していて、状況に頭が追いついていない。行動を起こすには絶好のタイミングだ。『黒いやつ』を素早く移動させて、呆けている城ケ崎を、お姫様抱っこで抱きかかえると、その勢いで上空へと急浮上してもらった。
「な、何をする気なの? 言っておくけど、私の方が強いんだから、抵抗したところで無駄なことよ!」
下で喚いているが、そんなことは百も承知だ。力を手にして浮かれるほど、俺は間抜けではない。
「心配するな。あんたの方が強いことは熟知しているから、今回は潔く逃げることにするよ!」
「逃げる……、ですって……!」
「そんな寂しそうな顔をするなよ。またあんたの前に現れてやるからよ! ……ルネを奪還しにな!!」
不敵とも取れる俺の予告に、シャロンの顔が強張る。だんだん笑顔で取り繕う機会が減ってきているな。
「そんなことを私が許すと思っているの? まだ調教は済んでおりません! 戻ってきなさ~い!!」
シャロンが何やら叫んでいるが、調教されるために戻るほど、俺はMに目覚めていない。そういうのは、本職の人にでも頼むんだな。
「城ケ崎! 説明は後でたっぷりとしてやるから、まずは逃げるぞ! 俺もちゃんと掴んでやるが、お前もしっかりと振り落とされないようにしろよ!」
「え、え、え~?」
城ケ崎の体をしっかりと抱き寄せて、『黒いやつ』に全力逃走を命じる。シャロンも逃がすまいと蔓を伸ばしてくるが、こっちの逃げ足の方が勝った。
ぐんぐんと小さくなっていくシャロンと、その蔓の群れを見ながら、「ざまあ!」と叫んでやった。ははは! いい気味だぜ。
俺は脅威から脱したことですっかり気をよくしていたが、その一方で、腕に抱いている城ケ崎が頬を赤らめていることには気付いていなかった。




