第八十七話 下僕化、再チャレンジ
「はあ……、はあ……」
城ケ崎に背中を擦ってもらいながら、介抱されること数分、ようやく呼吸が楽になってきた。だが、蔓が体内を這い回った嫌な感覚だけは全然消えてくれない。後遺症にならないか、心配だね。
犯人でもあるシャロンは、嬉々として、次なる拷問方法を考えている。ルネの所有権を俺に認めさせるために、仕方なく行っていたと言っていた拷問が、いつの間にか目的になってしまっている。まあ、最初から、いたぶるのが目的だったという見方も出来るがね。
「そうだわ! もっと面白い拷問方法を思いついちゃった。これならかなり高い悲鳴を期待することが出来るわ!」
人の体内を蔓でいじくりまわしておいて、まだその上を思いつけるのか……。黙っていたら、かなりの美人なのに、最悪な性格のおかげで、恐怖の対象にしかなりえない。ハッキリしているのは、こいつはかなり危ないやつで、俺たちはどうにかして、ここから逃げなくてはならないということだ。
その時、何か黒くて巨大なものが、俺たちをかすめて飛来した。経験者の俺としては、嫌な予感しかしない。もしかしなくても、この世界の主ともいうべき、『黒いやつ』が来襲したのだ。そういえば、ここは本来やつのエリアだったな。
「あら……」
俺たちの相手を忘れて、シャロンも『黒いやつ』に目を奪われているではないか。だが、その顔にはわずかに不機嫌の色が浮かんでいた。
「ふう……。せっかく人が愉しんでいるのに、とんだ邪魔が入ってきちゃったわ……」
シャロンの冷たい視線に物怖じすることなく、自分の体よりも大きな翼を、威風堂々と羽ばたいている。いつもは恐怖しか感じないのに、多少の頼もしさすら覚えてしまったほどだ。
「なっ、何ですか? あのモンスターは!? あれも、シャロンの仲間なんですか?」
「や~ん、失礼しちゃうわ~」
「違うよ……」
シャロンは本気なのかどうか分からない笑みを浮かべている。この乱入者は、シャロンたちの仲間でもないが、俺たちの敵だということを、俺の方から簡潔に説明した。あと、敵が増えたということで、脅威が増したことも付け加えておいた。
「単純な違いを言うとだな。シャロンとは一応会話が出来るが、あいつは最低限のコミュニケーションも取れない。一方的に、こっちに襲い掛かってくる」
「早い話が魔物ってことですね。最低なことだ」
その最低な魔物は、自慢の翼を優雅にはばたかせて、こちらに強風をプレゼントしてきてくれた。俺と城ケ崎は漏れなく、地面へと叩きつけられることになってしまった。まさしく最低な気分だ。
シャロンは地面にひれ伏すことこそ回避したものの、西洋貴族を彷彿とさせるよくセットされた金髪が乱れてしまっていた。
「あらあら~。せっかく丹念にセットした髪が台無しだわ~。こんなぼさぼさじゃ、娼婦みたいでみっともない……」
言葉通り、髪にはかなり自信を持っているのだろう。それを台無しにされたせいで、顔にへばりついたような演技がかった笑顔にも、陰りが出てきていた。
内に秘めた怒りを具現化するように、自分の体より二回りほど太い蔓を数本地面から発生させた。それが怒りの炎が燃え上がるような動きで、ゆらゆらと『黒いやつ』を威嚇している。
「くすくす……。ねえ、この太い蔓は、どれくらいの強度を誇ると思う?」
てっきり『黒いやつ』に問いかけていると思ったが、俺の顔をちら見てしてきていることから、どうやら俺に聞いてきているらしい。
「えっと……。鋼鉄やダイヤモンドと同じくらいか?」
無視しても良いのに、つい答えてしまった。
ただの蔓がそこまで硬い訳もないが、どうせ異世界の蔓なのだ。俺たちの世界の常識を凌駕した硬さである可能性もゼロではない。
「残念ながら不正解ね……。この蔓は、そんなに柔なものじゃないわ。なんといっても、『ジャックと豆の気』の蔓の三倍の強度を誇るんですもの」
「いやいや! その話のことはよく知っているが、どれほどの強度かなんて知らん!」
だいたい物語の最後に少年に切り落とされるレベルの木だろ? それの三倍って言われても、凄さが伝わってこないわ!
「東京ドーム何個分かで、広さを説明された時と同じ気分ですね。具体的に思えるんですが、実際は上手く伝わってきません」
城ケ崎にも、シャロンの出した特別性の蔓の凄さは、理解されていなかった。こんな説明じゃ仕方ないといえる。
「分からないのなら、その目で実際に確かめなて、感じなさいな。この蔓の頑強さを!」
シャロンが指を鳴らすと、スイッチが入ったかのように蔓たちは素早く動きだし、上空の『黒いやつ』に巻き付いて、自由を奪ってしまった。それだけでも驚きなのに、今度はやつの巨体を地面へと、苦も無く叩きつけてしまった。
「うふふふ! どう? ただ大きいだけの化け物なんて、私の蔓の敵ではないのよ……」
力を見せつけるかのように、何度も何度も『黒いやつ』を叩きつける。おいおい、そんなに叩いたら……。
地獄の底から洩れてくるような、激しい恨みに燃える呻きが聞こえてきた。『黒いやつ』が怒っているのだ。こいつは怒りのボルテージが上がるごとに、力が増す。それを裏付けるように、やつを縛っている蔓がぶちぶちと切れ始めた。
「あら……」
『黒いやつ』の抵抗に、シャロンはわずかばかり目を見開いたが、すぐに憐れむような笑みで取り繕った。
「そんな抵抗をしても無駄なのにね。あなたが抵抗した分だけ、私は蔓の数を増やすだけで良いのよ」
地面から、さらに太い蔓を十本追加すると、それを『黒いやつ』の体に巻きつけた。もう少しで切れそうだった拘束の蔓はより強固なものとなり、やつの怪力をもってしても、びくともしない。
やけになって、拘束を外そうともがいている『黒いやつ』の体を愉快そうに、地面へと叩きつける作業が再開された。ダメージは受けていない様だが、これまであいつに散々苦い目に遭わされてきた身としては、信じがたい光景だった。
「あいつをもってしても、手も足も出ないのかよ……。これが勇者軍団を従える者の力……」
ここまでの強さだと、どうしてシャロンが自分で勇者を襲名しないのか、疑問に思ってしまう。案外、後方で指示を出すのが好きだとか、しょうもない理由かもしれないがね。
「宇喜多さん。シャロンが『黒いやつ』の相手に夢中になっている間に逃げましょう。あんな太い蔓で責められたら、ひとたまりもありません」
「ああ、そうだな……」
実際、蔓に体の中に蹂躙された身としては、あんな体験は二度とごめんだ。シャロンが『黒いやつ』に飽きて、また俺たちをおもちゃにしてくる前に、逃げるに限る。
だが、まさに逃げ腰で連中を振り返った際に、ある物を見つけてしまった。
「あれは……!」
『黒いやつ』の首から、前回つけた首輪と、それを繋ぐ鎖がひらひらと揺れている。あれを掴めば、俺があいつのご主人様として振る舞うことが出来る訳だ。自力では外せないらしく、アクセサリの一種のように、風にたなびいていた。
「どうしたんですか? ほら、早く逃げないと……!」
一刻も早く逃げようと、城ケ崎が腕を引っ張ってくる。だが、俺は雷にでも撃たれたかのように、動くことが出来なかった。
「悪い……。先に逃げていてくれ。俺は……、ちょっと用事が出来た……」
「何ですって!?」
この状況下で、『黒いやつ』を下僕化することに成功すれば、シャロンから確実に逃げることが出来るかもしれない……。もちろん、多大なリスクを背負うことになるが……。
「な、何を言い出すんですか? そっちはシャロンと化け物がいる方向ですよ!」
城ケ崎が顔を真っ青にして止めてくるが、俺の歩みは止まらない。一歩、また一歩と、戦いの場へと近付いていった。
ちょうど俺の前に、『黒いやつ』が撃墜されてきた。いつもなら俺に向かってくるところが、起き上がってからも、目前のシャロンを迷うことなく睨んでいる。
俺たちなど眼中にないという感じだ。憤慨しても良い状況なのだが、今回は、それが非常に丁度いい。
「なあ……、お前、趣味の良いネックレスをつけているな……。俺にも触らせてくれよ……」
そう言いつつ、許可が出るのを待たずに、『黒いやつ』の首からぶら下がっている鎖を手にした。
「……」
それまで俺のことなど眼中にもなかった『黒いやつ』がゆっくりと振り返る。これまでシャロンに向かっていた殺気が、遠慮なく突き刺さってくる。
怖い……。
だが、鎖を離してやらない……。
今度こそ、お前を、俺の下僕にしてやる……。




