第八十話 モノクロの世界の二人
「うわあああ!!」
「くっ……!!」
俺たちの体を縛っていた蔓が、手荒く地面に叩きつけてくれた。おかげで、漏れなく全身を強打してしまった。とても尻もちでは済みそうにない。
全く! 空間を裂いて、右往左往している人を拉致したかと思えば、こんな仕打ちをしてくれるとはね。とっとと離せと怒鳴ってやろうかと思ったが、その前に蔓は、俺たちを解放して、どこぞへと消えてしまっていた。
せめて文句くらいは言わせろと、発散し損ねた不満を舌打ちで紛らわして、辺りを見回した。見れば見るほど、毎晩俺を苦しめてくれた白黒二色のみの悪夢の世界だ。
さっき地面に叩きつけられた際に痛みは感じたが、体のどこにも怪我をしていない。いつも見ている悪夢と、細かい点も特徴が一致していた。
「変な世界ですね。こういうの、モノクロって言うんですか?」
この世界に初めて降り立った城ケ崎が、感想を漏らしていた。俺と同じで、あまりこの世界がお気に召していないらしい。
「空間の出入り口が塞がってしまったな。これじゃ戻れないぞ」
「じゃあ、二人きりってことですか? ……ちょっと照れちゃいますね」
「アホか」
ろくな思い出がないから、こんなところ、とっとと脱出したくて仕方ないんだよ。しかも、何で頬を赤らめているんだよ。マジで嬉しそうにしているんだよ。
俺の反応が微妙なことに、城ケ崎が慌てて咳払いすると、空気を換えようと別の話題を振ってきた。
「しかし、ここはどういう場所なんでしょうか。シロちゃんたちがやってきた異世界という訳でもないみたいです。そういえば、宇喜多さんは妙に冷静ですね。ひょっとして、この世界のことをご存知とか?」
やはり聞かれたか。辺りをきょろきょろと落ち着きなく見回している城ケ崎と対照的にどっしりと構えていたので、そろそろ突っ込まれる頃合いじゃないかと思っていたのだ。聞かれたからには説明せねばなるまい。
「ここは俺が毎晩うなされている悪夢の世界で……」
俺が説明を始めるのとタイミングをずらして、城ケ崎が、自身の額を俺の額に手を当ててきた。
「すみません。宇喜多さんのことを疑いたくないんですけど、何を言っているのかちんぷんかんぷんです。どういった原理で、僕が宇喜多さんの夢の中に連れ込まれたというんですか?」
互いの額同士がくっついている状態で話しかけられて、不覚にも、心拍数が急上昇してしまった。情けないことに、声も上ずってしまっている。
「お、俺もそこが分からないんだよ。いや、下手をしたら、お前以上に混乱しているかもしれん。どうして夢で見る世界に、寝てもいないのに、引きずり込まれたのか見当もつかないんだ」
「つまりよく分からないということですね」
「お、おいおい! 全く分かっていないみたいな言い方は止せよ。そりゃあ、分からないことも多いが、多少の説明は出来るぞ」
「それで? 百歩譲って、この世界が、宇喜多さんの想像の産物とします。ここから脱出するにはどうすればいいんですか?」
「それは……」
ハッキリとしたことは申し上げられない。いつもいつの間にか目覚めているから。城ケ崎に言うと、それなら、目覚めるまで探索でもしますかと冷めた表情で言い返してきた。結局何も分からないじゃないかと思われていそうで悲しい。
「ちなみに……」
「?」
「ここが宇喜多さんの夢の世界だとします。いきなり……、その……、いやらしい展開になったりしませんか? その……、僕を……、あの……」
急に年頃の女性の顔になって、もじもじと言いよどんでいる。だが、言いたいことは伝わった。俺が、自分の夢だということを悪用して、城ケ崎にいやらしいことをしないか心配だと言いたいんだな?
俺は深呼吸をすると、その疑問に怒声で答えてやった。
「そんな訳があるか! お前は毎晩俺が夢の中でいかがわしいことに耽っているような人間だと思っているのか!? 心配しなくても、お前を襲ったりしねえよ!!」
仮にそうだとしても、この非常時にまで、エロに走る訳がないだろ! 失礼なことを言うなと、つい語気を荒めて即否定してやった。
しかも、何で否定しているのに、どことなく残念そうにしているんだよ、お前は!?
一方、こちらは俺たちがいなくなった現実世界。空間が裂けていた虚空を見つめながら、シロが唖然としていた。
「お兄ちゃん……」
悲しそうに呟くが、状況はお構いなしにシロへと降りかかってくるのだった。
「黄昏ている暇、ない。お前とのバトル、依然、続行」
「……分かっているよ。せっかちなやつだな……」
嫌なことを思い出したという顔で、シロはすぐにおかっぱ頭をキッと睨んだ。
「シャロン様が出てくるなんて、珍しいね。しかも、不意打ちでご登場とはね!」
「気が向いただけさ。あの方は気まぐれだからね」
これまで隠れていたフードの幼女も姿を現す。ボロボロの衣服に、無数のクワガタをへばりつかせていて、臨戦態勢は整っているようだ。これで、シロは明確に二対一になってしまった訳だ。
「いよいよ本性を現してきたの間違いじゃないの? 異世界制服計画が、魔王様の尽力でとん挫しちゃったから、今度はこっちの世界を……」
「黙れ……」
冷たい威嚇が、シロにかけられる。本気で殺意を抱いているようで、潰し合いの真っ最中であるシロも、思わず気圧されてしまった。
「裏切り者、シャロン様のこと、悪く言うな。許さない」
「口が過ぎたね。お仕置きの時間さ……」
二人の幼女の顔から、急激に体温がなくなっていくのが分かった。いよいよシロを始末する気らしい。本当は、もう少しおしゃべりするつもりだったのかもしれないが、シロの余計な一言が、たいそう癪に触ったと見える。
静かな迫力に、シロも覚悟を決めて、ごくりと生唾を飲み込んだ。その横で、持参したキャリーケースがガタリと音を立てた。まるで俺を参戦させろとせがんでいるようにも聞こえる。
「大丈夫。まだ私だけでやってみるよ、魔王様……」
目前の二人に聞こえないほどの小声で、ポツリと呟くと、キャリーケースを開けないまま、シロは駆け出していた。




