第七十九話 親玉の介入
シロとおかっぱ頭が激戦を繰り広げている。俺と城ケ崎は、戦力にならないので、せめて足手まといにならないようにと、離れたところに避難していた。だが、その際に、城ケ崎が足を怪我していたようだ。本人は強がっていたが、無理やり確認すると、結構出血しているではないか。
ちょうどポケットティッシュとタオルを持っていたので、血を拭って、傷口をタオルで結んでやる。医学知識も乏しく、これで応急措置になっているかは微妙だが、何もやらないよりはマシの筈だ。
「とりあえず今はこれで我慢しろ。落ち着いたら、爺さんに言って、病院に連れて行ってもらうから」
「え、ええ……」
手当が済んで話しかけるが、反応がどうも鈍い。城ケ崎を見ると、俺を見つめながら、頬を紅潮させていた。唖然とする俺に気付くと、慌てて弁明を始める。
「は、ははは……。実際にやられてみると、結構ドキリとするものですね……」
「ドキリとするのは良いが、心臓の鼓動は速めるなよ。血の巡りが良くなって、出血がひどくなるかもしれんからな」
「ご、ご心配なく! すぐに冷静になりますから! あ、これは、今は冷静でないという意味では、なくて……」
しどろもどろな弁明は良いから、落ち着け。話せば話すほど、冷静でなくなっているぞ、お前。
やれやれ。応急処置をしてやっただけで、そんなに顔を赤らめるなよ。いつも淡白なやつに、そういう反応をされると、対処に困るだろ。
おかっぱ頭の襲撃とは関係のないところでパニック状態になりつつあったので、俺がリズムを取って深呼吸させると、ようやく落ち着いてきてくれた。
「はあ……、宇喜多さんは、よくこんなところに勤めようなんて思いましたね」
「そうか?」
気持ちを落ち着けたと思ったら、今度はため息をついて、しみじみと話し出す。さっきから忙しいことで。向こうでは、シロがおかっぱ頭に連続で火球を弾き返されたところだった。
「それはそうですよ。好き好んで、こんな危険なところに勤めているんですからね。僕も人のことは言えませんが、相当物好きのレベルですよ。想定もしていなかったなんて言わせません。僕たちは既に、彼らが本気で戦うところを目撃しているんですからね。運が悪ければ、命を落としていたかもしれないんですよ」
「確かにな……」
このところ、危険の連続で、根本的な危機管理能力が摩耗してきているのかもしれない。もっとも、それが分かったところで、俺にここを去る選択肢など、取れそうにないのだがね。
「僕はここがろくな場所じゃないことは知っています。ある一人の金持ちが、余った金と、膨大な性欲を満足させるために、異世界から連れてきた少女たちを監禁して、コレクションと称して愛でているだけの場所だ。そこまでしてこんなところに留まる理由は何ですか? まさか趣味が合った訳でもないでしょう?」
「あ、ああ……。まあな」
富豪が買い取ろうとしていた少女を横取りしようとしたら、一億円が必要だと言われて、高い給料をもらえるここで働いていると言ったら、城ケ崎はどんな反応をするかな。
ルネのことをコレクションだなどと思っていないが、あなたも同じだと言われたら、否定出来ないんだよな。
「まあ、詳しく聞くようなことはしませんよ。僕も全てを話したいとは思いませんからね。お互い話したくないことは、胸の中に秘めたままにしておきましょう」
「ああ、そうだな。そうしよう……」
幸い、城ケ崎が突っ込んでこなかったおかげで、追及を逃れた俺は、不謹慎にもホッとしてしまった。そんな俺の元に、爆風で吹き飛ばされたシロが飛んできた。
「へ、へへへ……。お兄ちゃん、ナイスキャッチ……!」
「お役にたてたようで、良かったよ……」
俺めがけて、真っ直ぐに吹き飛ばされてきたのだ。そりゃ、反射的にキャッチもするさ。勢いが強かったから、受け止めた際の衝撃もすごかった。……痛い。
「駄目ですよ、シロちゃん。吹き飛ばされるなら、僕たちのいない方向に飛んでくれないと。まとめて攻撃されたら、全滅の危険がありますよ」
「お前……、一人で戦っているシロに、何気にひどいことを言うのな……」
あまり冷たい態度をとると、シロが泣き出すぞ。こいつもこう見えて、結構繊細なハートの持ち主なんだからな。
「良い気味」
吹き飛ばされて、俺の胸に収まっているシロを、満足げに見つめながら、おかっぱ頭が歩み寄ってきていた。このままじゃ、本当にまとめて攻撃されて、全滅するかもしれない。
「今回も、私、優勢。粋がっても、結局、お前、敗北」
「ふ……、ふっふっふ! た、確かに、私より、ほんのちょっと力はあるみたいだね……。エグ……。で、でも……、まだ勝負はついちゃいないよ……」
頼みのシロも、もう泣き出す寸前だ。強がっているが、勝負はもう半ばついてしまっている。
「む!?」
突如、おかっぱ頭を覆うように、何か黒いものが渦を巻き始めた。誰かが助けに来てくれたのかと思ってしまったが、黒いものの正体が徐々に判明するにつれて、そんな淡い期待も消えていった。
おかっぱ頭を中心に渦を巻いていたのは、クワガタの群れだった。それは、昆虫を操って攻撃してくる、おかっぱ頭の仲間が到着したことを意味していた。
「ふん! 遅かったな」
完全に諦めモードに入っている俺を見ながら、独り言を呟くように、仲間に話しかけている。おかっぱ頭の仲間であるフードの幼女は、これだけ優勢にも関わらず、姿を見せないのだ。どうやらかなり慎重派のようだ。しばらくすると、どこからか、彼女の声だけが聞こえてきた。
「本当はもっと早く来られたんだがね。ちょっとしたサプライズが発生したのさ」
「サプライズ?」
「そうさ。シャロン様がね。自分もこっちの世界に来たいと言い出したのさ」
「何!?」
それまで勝ち誇っていたおかっぱ頭の表情が曇る。シャロンという人物の名前を聞いた途端、やつだけでなく、シロまでも表情をこわばらせた。そいつは、そんなに怖い人間なんだろうか。
「そ、そんな……。あの女が……、来る……!?」
「お、おい! 大丈夫か!? 変な汗をかいているぞ」
シロの目からは、大粒の涙が浮かんでいた。いつものように、強がって堪えたりもしない。顔全面に恐怖を張り付けていた。
「宇喜多さん。状況は分かりませんが、まずいみたいですよ。シロちゃんを抱えて、逃げた方が良さそうだ」
「ああ、そんなことは言われるまでもなく分かっている。ただし、俺が抱えるのは、シロじゃなくて、足を怪我しているお前だけどな」
当たり前のことを言ったつもりだが、また城ケ崎の頬が紅潮した。俺にときめいているとでもいうのかね。吊り橋効果が働いているのかもしれないが、今日のお前は、感情が揺れ動き過ぎだぞ。
だが、今にも走り出そうとしている俺たちに、無慈悲な一言が投げかけられる。
「無駄さ。だって、シャロン様は君たちの後ろにいるんだからね……」
「!!!?」
「これは……!」
思わず反射的に振り返ると、空間が人間二人分のサイズで裂けていた。向こうには、俺が毎晩うなされている白黒の悪夢の世界が広がっていた。
「こ、これは……! 悪夢の世界じゃないか! どうして何の前触れもなく開いているんだよ!」
一度、『黒いやつ』が暴走して、同じように空間を裂いたことがあったが、今回は寝ていないぞ。しっかり起きているのだ!
「納得いかないことがだいぶあるようだが、それは向こうで、シャロン様に直接聞いてみるといいさ。なかなか面白いネタバレも待っているしね」
向こうでお楽しみが待っているらしいが、ろくなものじゃないことだけは明らかだ。ここは逃げるに限る。……と、言いたかったが、空間の裂け目から伸びてきた蔓に、俺と城ケ崎が巻き付かれてしまった。この蔓、俺たちを向こう側に引っ張っているぞ。
「お兄ちゃん!」
「おっと! お前は、こっちで、私たちと遊ぼ」
俺に手を伸ばそうとしたシロだが、おかっぱ頭の蹴りをまともに食らって、また吹き飛ばされてしまった。
「さて……、シャロン様のおなりさ……」




