第七十話 地上千メートルからの声は届かない
『黒いやつ』が翼を一振りする毎に、こちらに強烈な突風が襲ってくる。風を避けることは困難で、その度にシロはバランスを崩して、よろめいてしまう。
「ぬう~! 小癪な真似を~!」
「それだけやつも必死だってことだろ。向こうだって、俺たちにこき使われるのは勘弁な筈だからな」
面白い。そっちがその気なら、こっちもこっちで、何が何でもお前を跪かせてやるよ。
「お兄ちゃん、一本集中だよ! チャンスはそう何度も来ないからね!」
「おうよ!」
物語が始まってから、ずっと解説役に甘んじてきたが、ようやく戦いの最前線に立てたのだ。主人公なのに、蚊帳の外に押し出されているみたいで、ずっと悶々としていたんだよな。焦らされ続けた分は、この戦いで一気に発散させてもらうぞ。
勢いづく俺たちに、またも突風が襲ってきた。何度も突入を妨害されて、だんだんシロも苛立ってきたらしい。目の色が違ってきていた。
「やったな! それなら、私だって……!」
『黒いやつ』に対抗して、シロも火球をぶっ放していく。両者とも命中率が低いせいで、クリティカルヒットすることはないが、当たればでかいので、俺は冷や冷やしっ放しだ。
「お兄ちゃん! これから特注の火球を、あいつの鼻っ柱に当ててやるから、その隙を狙って、首輪を嵌めてね!」
灼熱の火球を顔面に食らえば、どんな屈強な大男だって、たじろぐ。そのタイミングをつけば、俺だって、あいつに首輪を取り付けることは十分可能だ。俺は無言で立てた親指をシロに見せて、いつでも来いと決意を固めた。
「よ~し! とっておきのビッグサイズを食らわせてやるんだから! 今まで私を虚仮にしたお礼を、残りの人生で償ってもらうよ~!」
シロが当たらない火球の連射を止めて、意識を集中する。見る間に、巨大な火球が出現した。
「私からの奢りだよ! さっき折ってくれた槍の分も熱くしといたから! 冥土の土産に味わって食しな! そして、下僕という名のメイドとして生まれ変われ!!」
やけに饒舌に止めのセリフを吐いた後で、渾身の一撃は『黒いやつ』の顔面に向かって特攻していった。これで外したら、笑い者だが、本気になると、命中率もうなぎ上りらしい。特大の火球は、『黒いやつ』の顔面に激突して、熱く光って爆ぜた。
とにかく! シロからもらった襷! 俺の番で、不意にする訳にはいかねえな。俺だって、本気になったら、すごいと言うところを見せてやるよ!
「そういや俺に対しても、散々暴虐の限りを尽くしてくれたっけなあ~」
こいつのせいで、強制的にホテル住まいだ。そこまでやっておきながら、謝罪の言葉をまだもらっていない。
「下僕になった暁には、まず土下座でもしてもらいましょうかねえ~!!」
今まで好き放題された分の怒りを、全てこの一投に込める! 小心者の俺に対しては珍しく、きれいなストレートが、『黒いやつ』の首に向かって伸びていく。
そして……。ガシャ~ンという気持ちの良い音を立てて、首輪はやつに嵌められたのだった。
「やった……」
首輪が『黒いやつ』に確かに嵌められたのを確認すると、急に鳥肌が立って、震えが遅れてやって来た。だが、もう一仕事をやり終えた後。好きなだけ震えればいいさ。
よし! 『黒いやつ』の首に、拘束する力を持つ首輪を巻いてやった。話の通りなら、これでやつは俺の従順なる下僕に早変わりした訳だ。
「やったぜ……、シロ……」
「グッジョブだよ、お兄ちゃん。これで、こいつはもう私たちの犬だね」
二人して、よろしくない笑みを漏らす。腹の中は、世界征服を目論む魔王よりも、真っ黒かもしれない。
「さて。それではまずは地上に降りることにしようか。いつまでも俺を抱えたままじゃ、シロにも悪いしな」
「そうだ! 私の代わりに、そっちの黒助くんに運んでもらうっていうのは、どうかな?」
「いいねえ~」
急速に悪役じみてきたな。だが、これまで『黒いやつ』からされたことを考慮すれば、この程度のことは、全然許される範囲内だろう。そう思いつつ、これからこき使われることになる哀れな子羊を見ると、全身が痙攣していた。あらら……。下僕になる恐怖で震えあがっているのかな?
笑いを堪えていると、『黒いやつ』が顔を上げた。瞬間、ものすごい殺気がこっちに飛ばされてきて、思わず鎖を手から離してしまいそうになった。
危ないと思いつつ、鎖を持つ手に力を入れたと同時に、強い力で思い切り引っ張られた。短い悲鳴と共に、シロと『黒いやつ』の元へ引き寄せられる。やつめ……。鎖を手に取ってやがる。
「お、おい! 首輪を巻きつけたら、下僕になるんじゃなかったのか? 話が違うぞ!」
「ま、まだ完全にコントロール下になっていないんだよ。でも、もうちょっと時間が経てば、下僕になるから、それまで辛抱して!」
「何!?」
話が違うと叫びそうになるが、そんなことをしている余裕はない。『黒いやつ』も必死なんだろう。下僕になってたまるかと、俺とシロを上下左右と、縦横無尽に振り回す。バンジージャンプして紐が伸びきった後で、滅茶苦茶な力で振り回されている気分だ。心臓にも悪いし、気分も最悪だ。シロがいなかったら、恐怖で泣き叫んでいるかもしれん。
「うおおおおおお!!!!」
我慢しているつもりが、実際は叫んでいた。泣いてはいないが、声を抑えることが出来なかった。経験した者にしか分からない恐怖があるのだ。我慢など出来るものではない。
「お兄ちゃん! 絶っ対に手を離しちゃ駄目だよお!! 何が何でも、そいつを逃がしちゃ駄目だからね!!」
「そっ、そんなことを、言われても……!」
鎖を持つ手が痺れて、感覚がなくなってきているんだよ。もう限界を突破しているかもしれないんだよ。コントロール下に入るのは、まだ先なのか?
「ちなみに今手を離したら、上空から紐なしバンジーで、地上に真っ逆さまだよ」
「それも……、嫌あああ!!」
この夢の世界において、体の一部分が欠損することや、死ぬようなことこそないものの、殴られれば痛いのだ。遥か上空から叩き落とされれば、それ相応のダメージはやはり受けることになってしまうのだ。
「ぐううう……」
根性を見せようと、今年になってから一番の気合を見せたが、力及ばず、鎖は俺の手からするりと抜けていってしまった。
いや、頑張ったんだがね。駄目だったよ。
「お兄ちゃんの馬鹿~~!!」
シロが罵倒する中、二人仲良く高層ビルの壁面に激突した。襲ってきた激痛にクラ理とする中で、『黒いやつ』がふらつきながらも、俺たちから退散していく姿が目に入った。
待てよ……。お前は俺のペットなんだぞ……。勝手に飼い主の元から、逃げていくんじゃねえよ……。




