第六十六話 答えが一つしかないことは、最初から分かっていた
同僚の机の引き出しには、やつが愛用していたピアスと、セミの抜け殻がぎっしり詰まっていた。せめて夢でも詰まっていたと言えれば、心も温まるんだろうが、これではクスリともしない。
机の持ち主が自分で入れたとは思えない。あいつが獲物だと思っていたフードの幼女が入れたのだろう。目的は俺への警告とみた。下手に動くようなら、お前だって無事じゃ済まないぞという意味だ。
脅されているということか。一昨日、顔を合わせた時は、虫も殺さないような顔だったくせにな。裏では何を企んでいるか分からん。
この件は、帰りの車で爺さんにでも、報告することにしよう。フードの幼女が、この部屋に来たのは疑いようのない事実だ。やろうと思えば、待ち伏せだって可能なのだ。警備を強化してもらわないと、おちおち仕事もしていられない。
せっかく高収入の仕事を得たと思っていたのに……。ため息を漏らしながら部屋を出ようとすると、次なる『警告』が放たれた。
俺がドアノブを掴むのを待ち詫びていたように、天井から複数のセミの抜け殻が落ちてきた。さしずめ抜け殻の雨といったところか。タイミングが良すぎるので、もしかしたら犯人は俺の様子をどこかで観察しているのかもしれない。
「味な真似を……」
頭に落ちて、髪に絡まった抜け殻を手で払いのけながら、姿を見せない侵入者に対して、毒も含んだ称賛の言葉を贈った。
「へえ~、そんな楽しそうなことがあったんだ。それって、アレだよね! 挑戦状ってやつ?」
「嫌に嬉しそうだな、お前……」
帰宅後にシロへ抜け殻のことを話すと、案の定、愉快そうに顔をほころばせた。
「『これ以上首を突っ込んだら、ただじゃ済まさない』って意味だろうな。見つけた瞬間は、心臓が止まるかと思ったぞ」
「そうかなあ? お前もぶっ殺してやるって意味だと思うよ。もうお兄ちゃんも、勇者共に目をつけられていて、後は料理されるのを待つだけだと思うね!」
不吉なことを言うな。だが、そういう意味が含まれていないとも言い切れないんだから、不安になってくるじゃないか。
「お兄ちゃん。年貢の納め時だよ。勇者の仲間たちをどうするのか、もう決断する時が来たんじゃないの?」
シロから言われるまでもなく、痛感している。他のやつには、車をぶつけられそうになったこともあるし、本当に命を狙われてしまっている可能性もある。こんな状況で、変に冷静な自分に、ちょっと怖かったりする。
個人的には、スイスを見習って、永遠に中立の立場を固持したいところだが、現実はそう甘くない。どっちつかずは、結局双方から信用されなくなってしまうことになるので、微妙な立ち位置の俺としては、避けたい事態なのだ。
俺はシロの顔をじっと見つめた。やつはきょとんとして、首をかしげている。
それに比べて、勇者の仲間にはあまり好意的には思われていない。もし、シロや魔王と袂を分けて、勇者側に着くと言っても、相手にしてもらえないだろう。そうなると、俺は魔王と勇者。両方から孤立してしまうことになる訳だ。
戦争は勝った者が正義だと誰かが言っていたっけ。その説を、全面的に支持する気はないが、完全に間違っているとも思わない。
そもそも俺に正義がどうとか、どちらに着くとか、選択する自由がある訳がない。力のない俺には、選択肢など幻想でしかないのだ。
自分やルネの身の安全を最優先に考えた場合、魔王側に付く他ない。というか、魔王の手先のシロが、横にいる状態で、勇者側に付くと宣言する度胸もおそらくない。
「分かってはいたんだ……。俺には、一つしか道がないということは。決めたよ。魔王側に付くことにする」
ただそれは人道的にどうよというものだったので、最終決定が出来なかったのだ。だが、そうも言っていられなくなりつつある。これまで優柔不断な姿勢を貫いてきた俺が、踏み込んだ発言を始めたことに、シロは大きな瞳を満足げに緩めた。
「お兄ちゃん……、やっと言えたね! 一線を越えたことを確信させるその言葉を待っていたよ!」
俺は結構真剣に発言しているんだがね。シロはまるでこれから鬼ごっこでも始めるかのようなはしゃぎぶりだ。こいつは、戦いが遊びみたいな認識だから、気持ちが弾んでしまうのも無理はないか。
とはいえ、実際に戦うのはシロなんだよな。俺は後ろで応援するだけ……。援護射撃を撃つ訳でもない……。
「……ところでルネは、何故物陰から、こちらを凝視しているんだ? 言いたいことがあるのなら、こっちに来て話せばいいだろうに。覗き趣味にでも目覚めたのか?」
「それがね。昼間に電話した時に、お兄ちゃんを怒らせちゃったって、ずっと落ち込んでいるの。まあ、ルネも反省しているみたいだし、怒らないでやってよ」
「それ、お前が言うことなのか?」
言われてみれば、そんなこともあったな。正直に言うと、今だってどうでもいいと考えているし、最初から怒ってなどいない。
「ていうか、ルネ、何もしていないよな。最初から最後まで、お前が悪ふざけしていただけじゃないか」
「でも、セミの抜け殻で宣戦布告なんて、陰険なことをするね。あいつの性格を反映しているようだよ!」
あ、自分に都合の悪い方向に向かいだしたから、話を逸らしやがった。やっぱり何も反省しちゃいねえ。このお子様め。フードの幼女と戦闘になったら、こき使ってやるから、覚悟しろ!
ともかくいつまでもルネを怖がらせておくのは気が引けるので、物陰からこちらの様子を伺っているルネに、こっちに来るように手で促した。怒られると思っているのか、呼んだ時にビクリと飛び跳ねられたのが悲しかった。
「ルネ。ちょっと話があるんだ」
「はい……」
まだ怒られると思っているのか、相変わらずおどおどしている。怒っていないから大丈夫だと、頭を優しく撫でてやると、ルネの顔には、少しずつ笑みが戻っていった。まるで小動物みたいな反応が、俺の心をくすぐってくれる。本当に可愛いな。シロが横にいることも忘れて、思わずハグしてしまいそうになるぜ。
他人が見たら以上だと思うかもしれないが、これだけの目に遭っているのに、ルネを手放そうという気にはならないんだよな。そうすれば、彼女を買うために一億円を払わなくても良くなるし、魔王と勇者がらみのごたごたからも、すんなり手を引けると言うのにだ。
自分の命を危険に晒してでも、ルネを手中に収めたいとマジで思ってしまっていた。ルネと一緒にいるせいで、何度か危険な目にも遭っているというのに、むしろ危ない場面を経験するほどに気持ちはますます激しく燃え盛っている。一種の病気じゃないかってくらいに。俺って、障害があるほど、燃え上がるタイプなんだろうか。
これまでのルネのご主人様たちは、夢の世界で『黒いやつ』に襲われただけで、彼女を捨てた。俺は連中のことを腰抜けとすら思ってしまう。……ん? 『黒いやつ』?
「なあ、シロ……」
「むん?」
「ルネと添い寝すると、引きずり込まれた悪夢の世界で、俺たちを襲ってきた『黒いやつ』がいたじゃないか。あれ、手なずけることは出来ないかな?」
「……何ですと!?」
俺の破天荒な案に、元々大きい瞳をさらに大きくして驚きを表現した。俺も滅茶苦茶なことを言っているとは思ったんだが、やつを手駒に出来れば、かなり戦力になると思ったまでのことだ。
ほら! 魔王の手下たちだったら、無理やり操って意のままにこき使うとか、得意そうじゃん?




