第六十五話 消えた同僚と、抜け殻の部屋
前回、前々回とニートさんが語り手でしたが、
今回からまたダメリーマン、……ではなく、主人公が語り手になります。
というか、前回から三日も開けてしまった。
「もう本日の仕事が始まってから、もう一時間経つのか」
し~んとした室内に、パソコンのキーが規則正しく、カチカチと木霊する音が響いている。仕事は滞りなく進んでいた。
だが、仕事が捗っているという手ごたえはなかった。充足感の代わりに、胸に去来していたのは、もやもやとイライラだった。
部屋の中には、俺一人だけ。ただ一人の同僚のパンクがどういう訳か来ていないのだ。いつもは俺よりも早く出勤しているのにな。欠勤するという旨の連絡は受けていないし、これはまさかの無断欠席というものだろうか。
あの野郎……。昨日は勤務中に犯罪の片棒を担ぐ誘いをしてきたかと思えば、次は無断欠席か。
言動も格好もいい加減だが、仕事に遅刻してくることはないというイメージは抱いていた。それは幻想だったということか。
勤務開始の時点こそ、そんなことを冗談で考えたりしていたが、昼過ぎになっても音沙汰なしとなってくると、さすがに妙な胸騒ぎを覚えていた。
「無断欠席というものを、お目にかかるのは初めてだが、何を考えているのかね、あいつは。ははは……」
独り言を呟いて、余裕を演出してみようとしたが、パンクが何かまずいことに巻き込まれているのではないかという疑惑が、頭をもたげてしまう。
昨日、あいつから、勇者の仲間を金目的で捕縛しないかと、持ち掛けられた時に見せたやつの表情。あれは堅気の人間の物じゃなかった。何かこう、裏の世界に携わっている人間のそれを感じさせたのだ。人を何人か殺したことがあると言われても、信じてしまいそうだ。
「始末されていたりして」
冗談で独り言を呟いたが、自分で言っておいてブルッときてしまった。もしそうだとしても、裏のごたごたに俺を巻き込まないでほしいものだ。
そんな時に鳴り出した携帯電話の呼び出し音で、ビクリとしてしまった。かなり分かりやすい動きだったので、人に見られていたら、笑われていたところだ。部屋に一人きりの状況に思わず感謝した。
「シロか……」
俺をのけ反らせた憎い電話をかけてきたのは、シロだった。無視しても良いが、緊急の連絡の可能性もあったので、念のために出てみる。なあに、部屋には、俺だけ。少しくらい話したって、咎めてくる人間はいない。
「はろ~! お兄ちゃん、元気~?」
緊張感のかけらもない声が聞こえてきた。遊びでかけてきたに過ぎないことが、一瞬で分かってしまった。返事をするのもしんどい。……切るか。
「わあ~! 切っちゃ駄目! ルネもお話したいって言っているんだよっ!」
「それがどうした! 仕事中に電話をしてくるんじゃない! 俺に迷惑をかけるな!」
しばらくすると、電話の向こうからすすり泣く声と共に、謝罪の言葉が聞こえてきた。ただし、謝っているのは、シロではなく、ルネだ。
「お、おい……! ルネも側にいるのか?」
「ルネも一緒にお話ししたいって、言ったじゃん! お兄ちゃん、興味津々だね? 見たいんだったら、ルネの画像をそっちに送ってあげようか?」
「いらん! とにかく俺は仕事中なんだ。帰ったら、たっぷり話してやるから!」
パンクがいたら、間違いなくからかわれているよ。マジ、一人で良かったわ。
シロからのいたずら電話を一方的に切って、椅子に背もたれまで預けて、大袈裟にため息をつくと、ふと何者かから向けられている視線に気付いた。
「ずいぶんと楽しそうですな」
「……」
しわがれた声の主がドアの入り口で、俺を凝視していた。表情からは、俺に対して、怒りとも呆れともとれる感情を抱いていることが察せられた。
「は、ははは……」
「……」
やばい。勤務時間中に、携帯電話で仕事と関係のない話をしているところを思い切り見られてしまった。愛想笑いにも反応してくれないし、これは非常にまずい。
「あ、あの……。これはですね。何というか……、すいませんでした……」
「……一人ですかな。もう一人のちゃらんぽらんはおらんのですか」
幸いともいうべきか、爺さんが最優先で気にしているのは、同僚のパンクの不在らしい。今のセリフから察するに、俺もちゃらんぽらんに含まれているような気がしてドキリとしたのだが、とりあえず朝から俺一人だと無断欠席の旨を伝えた。
「ふむ……。あんな成りですが、時間にだけは正確な男と思っておったのですが、見込み違いだったのですかのう……」
偶然なことに、爺さんも俺と同じ評価を、パンクに下していた。そして、同じようにガッカリしていた。
「仕方ありませんな。あの小僧には、わしの方から連絡を取るようにします故、宇喜多様はそのまま仕事をなさってくだされ。お一人になってしまいますが、くれぐれも羽目を外さないように、ご注意ください」
「は、はい……」
明らかに『くれぐれも』の下りに力がこもっていた。暗に、携帯電話で談笑していたことも非難されていると分かり、俺はまた苦笑いで誤魔化す他なかった。
結局、パンクは終業時間になっても現れることはなかった。この分だと、じいさんの連絡は功を奏さなかったらしい。いや、その前に、あいつと連絡は取れたのだろうか。失踪していましたという展開は嫌だぞ。
帰り支度を整えながら、ふとあいつの机が目に入った。持ち主が出勤してこなかったため、今日一日誰にも使われなかった机。それだけのことなのだが、自分でも不思議なくらい妙に気になったのだ。いや、机から言い知れないものを感じとったと表現した方が正しいのかもしれない。
他人の机を勝手に見るのはよろしくないという自覚はあったのだが、持ち主がいないことも手伝って、手が伸びてしまった。もしかしたら、調べなければいけないという第六感が働いていたのかもしれない。事実、その勘は当たっていた。
「これは……」
一番上の引き出しに、大量のピアスが詰め込まれていたのだ。間違いない。あいつが昨日付けていたピアスだ。そんなに凝視していた訳ではないが、数も大体あっているし、異様にカラフルなピアスには、見覚えもあった。
どうしてここにパンクの付けていたピアスがあるのかは不明だが、事件に巻き込まれた可能性は格段に上がった。
そうなると、他の引き出しにも自然と手が伸びるのを止めることは出来ない。
「う……!」
別の引き出しには、セミの抜け殻がびっしり敷き詰められていた。小学校の教室なら、悪質なイタズラで済まされたのだろうが、職場で目にすると、不気味でしかない。しかも、そういうイタズラをしそうなやつに心当たりがあるのだ。
言わずもがな、俺がパンクから捕まえようと持ちかけられていたフードの幼女なのだ。あいつは昆虫を操る能力を持っている。虫繋がりで、彼女が怪しいという疑惑を持ったのだ。あのフードの幼女……。この部屋に来たのか……?
パンクはフードの幼女を捕まえて売り払うつもりだと語っていた。計画がばれて、先手を打たれた?
その推理が当たっていたとすると、襲われたパンクはどうなったんだ? そもそもまだ生きているのか?
一人で捕まえようとして返り討ちに遭ったのか、夜道を歩いていたらいきなり襲われたのか。疑問は尽きない。
どちらにせよ、パンクが襲われたということは、俺も襲われる危険性があるということだ。承諾はしていないが、俺もあいつから協力を求められていたんだから。
「冗談だろ……。俺はまだ話に乗るとは言っていないぞ」
悪寒が全身を駆け巡る。とにかく、このままじゃ俺の身も危ういことだけは察した。早急に手を打たないと……!




