第六十一話 酒も喧嘩も止みそうにない一夜
気分転換の散歩を切り上げて、ホテルまで戻る途中に、酔いつぶれていた藤乃と遭遇。そのまま絡まれて、愚痴に付き合わされる羽目になってしまった。
向こうにも、そんな胸中を分かってもらおうと、露骨に面倒くさそうに顔をしかめて、生返事の応対を続けているのに、めげずに愚痴を連発している。
「私はねえ、どうしても魔王様に見初められたいのよ。そして、絶大な権力をこの手に……」
聞きたくもない藤乃の願望について、延々と講釈が続いている。わざわざ言葉にしなくたって、そんなことは周知していたっていうのにさ。しかも、酔っ払いらしく同じ話をエンドレスでリピートしてくれている。自分に興味を持ってほしいなら、話し方をもっと工夫すべきだというのに。極め付けとして、最後の方で、ちらりと本音が聞こえたぞ。やはりというか、ろくでもない願望をお持ちでしたか。
「ああ……。魔王様と結婚したい。優雅な暮らしをしたい……。金が欲しい。もういっそお金さんからプロポーズされたい……」
清々しいまでに本音を吐露してくれたな。つまり、相手が魔王じゃなくてもいいってことだな。魔王が相手でも、貧乏だったら、論外ってことだな。もうシロに頼んで、日本銀行の新札の貯蔵庫にでもテレポーテーションさせてもらえよ。きっとお前にとってのシャンバラになるから。
「お前の欲望は聞かせてもらったから、もうこの手を離せよ。俺には、お前の欲望の手助けなんか出来やしないんだよ」
「あんたに出来なくても、シロちゃんになら出来る!!」
「じゃあ、シロを置いていくからさ……」
「お兄ちゃん、ひどい!!」
シロが信じられないと声を荒げるが、必要とされていないのに、この場に磔にされるのは嫌なんだよ。お前はほら。今夜、藤乃の相手をすることで寝不足になっても、仕事がないから、昼間にでも眠ればいいじゃん。
「せ、せっかくお兄ちゃんに、ルネの秘密を打ち明けてあげたのに、なんて冷たい仕打ちをするんだよ!」
「それは……、今度あんみつでも奢るから」
「食べ物で釣ろうとしているよ! 私、そこまで安くないよ!? そんなことを言っていると、勇者の仲間を捕まえるのを手伝ってあげないよ!」
「ルネ……? 勇者の仲間……?」
藤乃が焦点の定まらない目で、俺とシロを交互に見ているのもお構いなしに、藤乃の擦り付け合いは続いた。
「ねえ、お姉ちゃん、寝ちゃっているよ」
「そうらしいな」
小一時間、擦り付け合いを続けた後で、ふと藤乃の様子を見てみたら、すやすやと寝息を立てていた。おそらく誰も相手にしてくれないので、退屈のあまり、寝てしまったらしい。酔っ払いは無視するに限るという、基本戦術を知らない内に実行していたらしいな。何はともかく、面倒な存在が大人しくなってくれて、良かった、良かった。
「藤乃……?」
「zzz……」
確認を兼ねて、呼びかけても無反応。完全に眠ってらっしゃる。さて。こいつをどうしたものかな。このまま路上に放置すると言い出したら、シロから文句を言われそうだし、起こしたらまた絡まれるに決まっているし、弱ったな。
「お兄ちゃん! おばさ……じゃなかった。お姉ちゃんの仮住まい。私たちと同じホテルだよ! しかも、よく見たら、隣の部屋じゃん!」
いつの間にか藤乃のバッグをまさぐっていたシロが、思わぬ偶然に驚きの声を上げた。実は隣同士だったことには、俺もビックリだが、それ以上に、シロの粗相のなさに驚いていたりもする。
部屋が隣なら、丸っきり他人同士という訳でもないということで、仕方がないが、俺が運んでやることにした。
誤って起こさないように、衝撃を与えないように配慮しつつ、藤乃をおぶった。
「むにゃむにゃ……。こんな広い屋敷に住んでみたい……」
まだ言っているよ。夢の世界でも、欲望三昧とは、どれだけ金に執着があるのだろうか。しかも、目の前の豪邸を指さしている始末だ。そんなにセレブな生活に憧れているのかね。
「広い屋敷か……」
俺の身長の三倍はありそうな高い塀を見上げながら、ぼそりと呟く。
「そういえば魔王の居城はどれくらいの規模なんだ? 異世界を支配するほどなんだから、当然あるんだろ? 魔王城!」
連れて行ってもらえるとは思っていないが、主の城なんだから、さぞかし壮観なんだろうな。珍しく異世界のことに興味を持ったのだが、シロからは返事なし。見ると、こいつまで寝息を立てていた。
「やれやれ。二人を背負って、帰路につかなきゃならんのか。俺、体力には自信がないんだぞ」
途中で力尽きて、固いコンクリート製の地面に落下することになっても文句を言うなよと毒づきつつ、俺は歩き出したのだった。一歩を踏み出してから確信したのだが、やはり藤乃は重かった。外見は痩せて見えるのに、着痩せするタイプなのかね。
藤乃とシロを運びながら、想いを馳せる。さっきの広い屋敷。真面目にサラリーマンをやっていたら、一生縁のない建物だ。だが、勇者の仲間を捕えれば、報酬次第では、夢ではなくなるんだよな。
あんなに拒否していた犯罪の片棒を担ぐことに、だんだんと許容しつつある自分自身に気付き、慌てて頭を振る。
俺は潤うが、売り飛ばされた勇者の仲間は、その後、どんな目に遭うかも分からないんだぞ。周りが乗り気だからって、簡単に流されてんじゃねえよ!
だが……、こうして否定してみたところで、じゃあ一億円はどうやって捻出すればいいのだろうか。
結局、散歩して頭をリフレッシュしたところで、考えは振り出しに戻ってしまった。このまま考えがまとまらない内に、返済を迫られるようになって、仕方なく犯罪に加担することになるんだろうか……。
俺がまたうじうじと悩みだした頃、別の場所では、一悶着が発生していた。
「ぐっ……!」
商店街の明かりと喧騒の届かない暗い路地裏で、吹き飛ばされたパンクが、ゴミの山に叩きつけられて唸った。
「く……、くそっ……!」
懐からバタフライナイフを取り出して、喧嘩の相手に突き刺そうと立ち上がるが、再度ゴミの山に叩きつけられることになった。
「君、たいしたことないね」
「……なんだと?」
見下されてしまい、相手を睨むパンクだったが、一方的にやられている状況では、負け犬の足掻きにしか感じられない。
「君が弱いおかげで、絡まれた私は大助かりだけどさ。よくそれで私を捕まえようと目論んだね」
パンクの相手は、勇者の仲間でもあるフードを深く被った幼女だった。
「もう勝ったつもりでいやがる。その余裕の面が気に入らねえ。涙と恥辱で、歪めてやりてえ。泣かす……、殺す……、泣かす……、殺す……」
「ふむ。つまりは許さないということらしいね。奇遇だね。私も君のことを無事で帰さないと思っていたところさ」
実力の差は歴然だが、それで決着という訳にいかないところは両者とも共通していた。誰の目も届かないのを良いことに、戦いは深化していくのだった。




