第五話 独り占めなんて……、許さないんだからね
「寿司……、美味かったなあ……」
結局、食欲と空腹に負けて、高級寿司を堪能した。お持ち帰りで包んでもらおうと思っていたが、店で食べてしまった。時間がなくても、寿司の誘惑は耐え難かったのだ。
おかげで、時間的余裕はなくなってしまったが、満腹感と幸福感でいっぱいになった腹をさすりながら、会社に向かっていた。
その途中、すれ違った二人組を見て、足が止まった。少年が、幼女の手を引いて、仲睦まじげに歩いているのだが、幼女の方に見覚えがあったのだ。
「あれ?」
手をつながれていた幼女は、シロじゃないか。さっき部屋の中に消えて行ったと思ったら、また俺の前に姿を現しやがった。見かけ相応の少女のように、空いている片手でアイスクリームを美味しそうに頬張っている。
特に会いたくない人間ではないが、相手は異世界の住人。しかも、魔王の使いだ。何を企んでいるではないのかと、ついつい邪推してしまう。
呆気にとられていると、シロが俺の方を指さしながら、一緒にいる少年に、何か話しかけている。どうやら向こうは、俺が気付くより先に、こっちのことに気付いていたようだな。しばらくすると、二人とも笑顔になったことから、ろくな内容ではなさそうだ。
年下に笑われるのは面白くなかったが、こんな街中で食って掛かるほど、俺は間抜けではない。シロの機嫌を損ねて、金がもらえなくなることに比べたら、ちょっと馬鹿にされるくらい構わない。
この憂さは、今夜獲得する賞金で晴らすことにしようと、その場を後にしようとすると、少年がこっちに向かってきているではないか。
さっき馬鹿にされたと思った時に、ちょっと睨んだことに対して、因縁をつけに来たのかと思ったが、すぐに違うと思い直した。
少年の後ろで、棒立ちのままで、ニヤニヤしているシロが目に入ったのだ。何か余計なことを言いやがったな、あいつ。
ここで少年に捕まったら、面倒なことになると、直感した。となれば、早急に、この場を立ち去るべきだ。
「あっ、ちょっと待って!」
俺が立ち去ろうとすると、少年は焦って声を出した。声の感じから、怒ってはいない様だが、やはり立ち去ろう。話をしたら、面倒なことになりそうだという予感が、ますます強まったからだ。
人ごみの中を走るスピードは、俺の方に分があったみたいで、少年を振り切るのに、時間はかからなかった。
会社に着く頃に、ようやく足を止めた。全力に近い速度で走っていたのに、息は上がっていない。俺もまだまだ捨てたもんじゃないなと思いつつ、さっきの少年のことを考えた。
シロと仲が良いということは、あいつも異世界の関係者なんだろうか。だが、あっさりと振り切ることが出来た。魔力の類は使えないらしい。ということは、俺と同じ人間なのか?
もしかしたら、会社に乱入してくるかとも警戒したが、そんなことはなく、午後からの業務は、平穏に消化されていったのだった。
そして、待ちに待った夜がやってきた。俺の向かう先は、もちろん例の部屋だ。昨夜、シロに案内されて、一万円をもらえた部屋。そこで、今度は二万円をもらいに、にやにやと笑みを漏らしながら、軽快な足取りで向かっていたのだ。
例の部屋の前に来て、ドアノブへと手をかけようとする。この時には、もう鼻歌まで歌い始めていた。完全に賞金を獲得した気でいたのだ。そんな状態なので、周囲への警戒は怠ってしまっていた。
「やっぱりあなたも参加者だったんですね」
いきなり声をかけられたので、飛びのいてしまいそうになったが、寸前でこらえた。
「誰だ……」
「あれ? 昼間に会っているんですが、忘れちゃいましたか?」
少年が、壁に寄りかかって、俺に話しかけていた。こいつ……、昼間にシロと一緒にいたやつだ。青みがかったショートカットの黒髪に、パッチリ開いた女性受けしそうな瞳。間違いない。
「お前……、シロと一緒にいた……!」
「あっ、良かった。思い出してくれたんですね」
こいつとは昼間に一度会ったきりなので、忘れられていたらどうしようと思っていたのだろう。俺がまだ覚えていると知ると、少年はニッコリとほほ笑んだ。
「全く! ひどい人ですよ。僕が待ってって言ったのに、行っちゃうんですから」
「そんなことしたっけ?」
胡散臭いことこの上ないが、とぼける。案の定、少年には通用していなかったが、呆れたようにため息をついただけで、それ以上追及はしてこなかった。
「まあ、いいです。それより確認したいことがあるんですよ。今日、変な女の子に、賞金探しの誘いを受けたんですが、その話って、マジなんですか?」
「賞金探し? 何のことだ?」
やはり俺に聞きたい話題は、そのことだったか。ここで本当だと言って、その気になられても困る。賞金にたかるのは俺一人で十分なので、またとぼけてやり過ごそうと試みた。だが、今度は引き下がることなく、追及してきた。
「とぼけたって無駄ですよ。あなた、僕が声をかけるまで、すごいにやついていたじゃないですか。あんな顔をして、空き部屋に入ろうとしているなんて、絶対におかしいです。他に理由があるのなら、説明していただけますか?」
「ぐ……」
俺のにやけ顔は、さぞかし間抜けだったに違いない。ついでにいうと、歯ぎしりして悔しがっている今の顔も、同じくらい間抜けだろう。
「……シロからどこまで聞いた?」
言い逃れ出来ないと観念した俺は、舌打ちを交えながら、話を認めた。
「全部です。この部屋の中に、今日二万円が発生するから、早い者勝ちで奪い合うんですよね」
「……」
あいつ……、全部ばらしやがって……。
だが、怒る訳にはいかない。へそを曲げられて、参加資格を無にされるのが怖い。というか、そもそもの話、まともに戦ったら、シロの方が絶対に強いだろ。あいつ、魔王の手先だし。
それに、目の前の少年をよく見ろ。顔だけじゃなくて、体まで少女のように細いじゃないか。賞金の奪い合いになっても、力で勝る俺の方に分がある。取り乱すことなどない。
予想外の事態になってしまったが、まだ俺の優位は動かないと、必死に自分に言い聞かせて、冷静を保とうとした。だが、気に入らないのは、少年の落ち着き払った態度だ。体格的に不利だというのに、焦る様子が、まるで見られない。俺と揉みあいになっても、大丈夫だって言いたいのか?
「シロちゃんも後から来るって言っていましたし、部屋に入りませんか? ここで話しこんでいたら、変な噂が立っちゃいます」
「それもそうだな」
少年に促されるまま、改めて部屋に入ろうとする。何かいつの間にか主導権を握られているのが、ちょっと気にかかるな。
「あ、僕。城ケ崎っていいます。以後、お見知りおきを」
ドアノブに手をかけた状態で、俺に笑いかけてきた。正直に言って、お見知りおきなどしたくないが、社会常識として、俺も返す。
「宇喜多だ。ここの五階に住んでいる」
城ケ崎は苗字しか名乗っていないので、俺も名前まで言う必要はあるまい。簡単な自己紹介を終えると、改めて無人の部屋へと足を踏み入れた。そして、すぐに足が固まった。
昨日まで埃一つなかった部屋に、一通りの生活家具が運び込まれていたのだ。しかも、ソファに座って、俺たちを見つめている女性までいる始末。
これは……、入居者が入ってしまったのか……!?
反射的に謝って、部屋を出ようとする俺に向かって、女性は優しく語りかけてくれた。
「あ、大丈夫よ。私も、この部屋の住人じゃないから。あなたたちのことをとやかく言うつもりはないわ。というか、私も、同じ穴のムジナだしねえ」
面倒事にならなくて良かったと思ったのも束の間、同じ穴のムジナという単語が、耳に引っかかった。俺の訝しむ表情を見ると、女性が意地悪そうな笑みを浮かべて、二枚の紙幣を、俺たちに見せびらかしてきた。
「残念だけど、今日の分のお金はもうないわよ」
「!!」
マジかよ。こいつも賞金探しの参加者か。というか、今日の分の賞金が、既に奪われてしまっているじゃないか。
「わあ! 本当に賞金が発生しているんですね。こうして目の当たりにすると、テンションが上がってくるなあ!」
横で城ケ崎が、愉快そうに話しているが、俺はそれどころじゃなかった。盗られた……。俺が手にする筈だった二万円を盗られた……。
この女……、知っている。今朝、エレベーターで、俺と鉢合わせしたやつだ。さらに言うなら、その後、自転車と衝突していた女じゃないか。
右の頬に張ってある絆創膏が痛々しいが、今はそんなことはどうでもいい。俺が手にする筈だった賞金を盗られた……。
「ごめんね~。フライングしちゃったわ~!」
悔しがる俺に鼓舞するように、女は万札を団扇代わりにしている。くそ……、明日は同じことをやり返してやるからな……。
「あれ? もう見つけちゃったんだ? 早いね!」
聞き覚えのある幼い声がしたので振り返ると、そこにこの状況を仕組んだ小悪魔が立っていた。しかも、お供まで引き連れているし。
「あら! 結構私好みの子を連れているじゃない。そいつも、異世界から来たのかしら」
違う! あいつとは、日中に一度会っているから、分かる。今日このアパートに引っ越してきた、新しい住人だ。
「おい……。まさかそいつも……」
「うん! 賞金探しの参加者だよ! こちらのお兄さんを含めた四人で、賞金を巡って、バトルをしてもらうの!」
「え~、四人もいるの~! 私だけで十分じゃないの~!」
女が不満そうに唸っているが、それは俺のセリフだ。せっかく大金掴み取りのチャンスが巡ってきたと思ったのに、お前らのせいでぶち壊しだよ。
俺と女が内心で睨み合う中、シロだけは満足そうに笑っていた。「良い感じで、ヒートアップしてきた。これから面白くなるぞ」とでもほくそ笑んでいるんだろうな。
5話目にして、ようやく主人公の名前が出てきましたね。
登場人物も、ぼちぼち増やしていくつもりです。