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第五十六話 溺れた俺に差し出された、救済という名目の藁

 住んでいたアパートが全壊してしまった。大家の方で、代わりの住まいを用意してくれるらしいが、それもすぐという訳にはいかず、これを機に、引っ越そうという住人も、少なからずいた。俺は代わりの住まいの準備が出来るまで、ホテルで雨風をしのぐことにしたのだった。


 コンクリートの残骸の中に埋まっている私物の回収は後回しにして、とりあえず着の身着のままで、手ごろなホテルへ移動して、大急ぎで手続きを行った。急な話だったが、ホテル側でも、こちらの事情を考慮してくれたみたいで、話は順調に進んでくれた。


 必要書類にペンを走らせながらも、ため息が出てしまう。ルネという身の丈に合わない美少女との同棲生活がスタートした際に、どこかでしっぺ返しを食らうんじゃないかと冗談で考えたが、こんな形で不幸が降り注ぐとは。


「ここがしばらくの間、私たちの家になるんですね。きれいで、良いところですぅ」


 ルネは着丈に笑っているが、どことなく無理をしているように思える。そういう俺だって、頑張って笑顔を取り繕っている訳だがね。


 こうして一時的とはいえ、このホテルの一室が、臨時の我が家となったのだった。寝床を確保した俺は、疲れた体に鞭を打って、仕事の支度を始めた。もう太陽が昇って来ていて、出勤の時間になっていたのだ。


 こんな時に仕事かと思われるかもしれないが、家が火事になったからといって、仕事を休むことは出来ない。いや、事情を話せば、休みをもらえるかもしれないが、今は仕事をしていたかった。仕事熱心だからという訳ではない。何かに没頭することで、一時的に現実逃避したかったのかもしれない。


 ルネはいつものように、俺を笑顔で送り出してくれたが、これからのことを考えると、心は憂鬱なままだった。


 一億円の支払いをどうしよう……。アパートが全壊したことで、賞金探しに使用していた部屋も消えてしまった。シロの話では、賞金探しを続行するかは微妙なところらしく、不安ばかりが掻き立てられてしまう。


 昨夜、賞金部屋で見たルネの泣き顔を思い出す。


 俺に、自分を捨てないでと泣きついた時の、涙でぐしゃぐしゃになった顔。俺だって、そんなことはしたくないが、金を用意できなければ、待ち受ける未来は暗い。


「宇喜多様……」


 声をかけられて、ハッとする。送り迎えの車の中で、ぼんやりと考え事にふけっていたのだ。慌てて謝るが、爺さんは笑って制してくれた。


「あまり気を落とされないことですな……」


 住居のことを言っているのか? 迎えに来た時も、アパートのことを聞いて、息を飲んでいたしな。


「大家が代わりのアパートを手配してくれると言うので、それまではホテル住まいをエンジョイすることにしますよ。お気遣いなく……」


「いえ。私が申し上げているのは、住居の問題ではなく……」


 バックミラー越しに見える爺さんの瞳が暗い輝きを放っていた。ああ、そうか。この人が同情しているのは、今まさに俺が考えていたことの方か。


「どうにかしますよ……」


 強がりと、こちらの悩みを見透かされたことへの非難も込めて、わざとぞんざいに返答してやった。爺さんは何も答えなかったが、何を考えているのかは想像できた。どうせ「出来るものならやってみればいいさ」とか、内心で呟いているんだろう。


「もしよろしければ、着くまでのわずかな時間に転寝でもしてはどうでしょうか」


「そうします」


 何の役職もないのに、送り迎えをしてもらえるというだけで、破格の待遇なのに、その最中に転寝など、本来なら動転してお断りしているところだが、二つ返事で首を縦に振ってしまった。昨晩起こった怒涛のトラブルのせいで、心底疲れ切っていたのだ。本当は、こうして話しているのも気だるくなってしまうほどに。


 それを裏付けるかのように、まぶたを閉じると同時に、意識がシャットダウンされた。次に気が付いた時は、車はもう高い塀に囲まれた施設内に到着していた。


 寝ていた時間はそんなに長くなかったが、疲労はかなりマシになっていた。特に、頭の中が、かなりクリアになった気がする。体も軽く、ホテルを出た時とは比べ物にならないほど、一歩踏み出すのが楽だ。


 これなら、今日一日どうにかなるかもしれないと、淡い希望と共に、パソコン部屋のドアを開けると、既にパンクが出勤していた。


 イヤホンを通してお気に入りの音楽を聴きながら、パソコンのキーボードを警戒に叩いている姿は、昨日と同じだが、服装と髪の色が変化していた。


 まず髪。昨日は白をベースに赤や青を無造作に塗りたくった、協調性を感じさせない雑然としたカラフルなものだったが、本日は金髪一色だった。


 少し前にハードゲイでブレイクしたサングラスと奇声が印象的だった某芸人を彷彿とさせた。俺の入室に気付くと、人懐っこそうな顔で破顔して、こっちに手を振ってきたので、俺もぎこちない笑みと共に振り返した。俺が席に着いてからも、こちらをちらちら覗き見てくる。自らの格好について、何か感想を言ってほしいというのはひしひしと伝わってくるが、そういう気分ではなかったので、簡単な挨拶だけして、そそくさと仕事の準備に取り掛かった。


「あんだよ。おしゃべりもそこそこに黙ってお仕事なんて、付き合いが悪いじゃねえか」


 しばらく服装への感想を流していると、我慢出来なくなったのか、パンクの方から絡んできた。俺はそういう心境ではないというのに、誠に面倒くさいことだ。


「この部屋で働いているのは、俺たちだけなんだから、もっと楽しく行こうぜ。なあ?」


 つかつかと歩み寄ってくると、右腕を俺の肩に回してきた。香水の匂いがツンと鼻を衝く。堪らず顔をしかめると、俺の反応が面白いらしく、「くくく……」と笑いを漏らしていた。


 からかわれたと受け取った俺は、苛立ち紛れに、乱暴に腕を払いのけると、パソコンの電源を入れた。


「おいおい。家がなくなったからって、人に当たるなよ。辛い時こそ、笑顔が大事だ。笑う門には福来るっていうだろ?」


 思わず手が止まってしまう。爺さんはともかく、こいつまで俺の事情を知っているとは。


「どこまで知っている?」


 ドスの利いた声で、反射的に聞き返す。俺が話に乗っかってきたことに満足したのか、パンクがにやついた。


「そう睨むなって。俺だって、そんなに詳しくは知らないな。せいぜい正体不明の真っ黒生物と、勇者の仲間に襲われたことくらいだな」


 ほとんど知っているじゃないか。誰に聞いたのかは知らんが、たいした情報収集力だよ、全く。こう見事に把握されると、お前に対して尊敬の念すら抱くね。


「それで? 今日は一日、その話題で、俺の心を慰めてくれるのか?」


 恨みがましく皮肉を呟くと、パンクはニコニコしながら、両手を振って否定した。


「そう身構えるなって。傷心の同僚をいたぶるほど、冷たい人間じゃないぜ、俺は。むしろ救済しようと考えているくらいなんだ」


「救済ねえ……」


 だったら、声をかけないで、静かにしていてほしいな。正直、今は誰とも話したくない気分なんだ。


「お前、賞金探しが中止になりかけて、かなり困っているんじゃないのか?」


「……」


「俺の目論見だと、中止になるだろうな。勇者の一団が、反撃に打って出てきたせいで、魔王が退屈しのぎをする必要がなくなったからな。お前らは、用済みになりつつある」


「何が言いたい?」


 だんだんイライラしてきた。ここまでベラベラまくし立てて、ただの世間話だったら、顔に派手な傷を作ることになるぞ。


「俺と手を組まないか。お前、女を買うために、一億円が必要なんだろ?」


 臨界点に達しようとしていたパンクへの怒りが、瞬時に消失した。一方で、心臓がドクンと高鳴る。


「だ、だから、何が言いたいんだ」


 冷静を保とうとするが、声が上ずってしまう。俺が今もっとも聞きたい話題が提供されようとしているとなると、いくら抑えつけようとしても、動揺が走ってしまう。


 予想通りの食いつきだとでも言いたげに、パンクは俺と対面する形で、デスクにどかりと腰を据えた。


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