第五十三話 陥落の居城
シロと『黒いやつ』の決闘に水を差すように、隣のビルの屋上から、車がこっちに突撃してこようと、エンジン音を響かせていた。遠隔操作で動かしているようで、中には誰も乗っていない。動かしているやつに心当たりはあるが、そんなことはどうでもいい。常用なのは、突っ込んでくる車をどう避けるかだ。
「ま、まさか……。あの車が全部ここを目がけて、宙を舞ってくるの? 洒落になっていないわよ」
震える手で車を指さしながら、藤乃が叫んでいる。俺だって、そんなことはしてほしくないのだが、あいつらは洒落にならないことを真面目に実行する連中なのだ。車の一つや二つ、平然とぶつけてくるだろう。
そう思った矢先に、車が動き出した。向かう先はもちろん、俺たちが立っているこの場所だ。思わず藤乃と悲鳴を上げてしまった。しかも、心ならずも、はもってしまった。
あんな横一列に並んだ状態で突っ込まれたら、避けるスペースが残っていない。階段で別の階に移動するしかないが、今からじゃ間に合わない!
「ぶ、ぶつかるっ!!」
迫りくる脅威に、俺たちは慌てふためいてしまったが、シロにはうるさいだけだったようで、煩わしそうにたしなめる声がかけられた。
「ごちゃごちゃうるさいな~! たかが車じゃんよ!」
車体がちょうど宙を舞った頃合いを見計らって、シロが竜巻を発生させた。それを捜査して、車の横っ腹へとぶつける。
空中で直撃を食らった車は、次々と勢いを失って、下へと落下していく。大惨事を回避出来て助かったと、胸を撫で下ろしたのも束の間、そういえば下には、アパートから避難した人や野次馬が集結していることを思い出す。案の定、下からは阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてきた。
「明日のニュース番組が楽しみですね。テレビ局が、どんな脚色を加えて、盛り上げてくれるのか、見物ですよ」
「馬鹿言わないでよ。レポーターが押し寄せて、鬱陶しくなるだけじゃないの!」
藤乃と城ケ崎が明日の心配ばかりしているが、下で怪我人が出ていないかどうかを気にかける方が先決の気がするんだがね。
隣のビルの屋上を見ると、もう車の影はなかった。エンジン音も聞こえてこない。とりあえずまた車が突っ込んでくる心配はないな。そうなると、残りの心配は、目前の『黒いやつ』のみか。
既にシロから何回も攻撃を受けているというのに、全く堪えている様子がない。こいつは不死身なのだろうか。一心不乱に攻撃を続けているシロが、ひどく無駄なことをしているように見えてならないのだ。一体、どうすればこいつにダメージを与えることが出来るのだろうか。
こっちの攻撃を悉くブラックホールのように飲み込んでしまう『黒いやつ』に畏怖のようなもの感じていると、やつは自らの体に手を突っ込んだ。自殺してくれるのなら、ありがたい限りだが、誠に残念なことに、そうではない模様だ。やがて体から抜けた『黒いやつ』の手には、巨大な斧が握られていた。これもやつの体と同じく真っ黒なのだが、これはどうでも良いことだろう。
それを振り回すと、今までとは比べ物にならない勢いで、アパートの壁や床が崩れていった。これじゃ、建物が崩落するのは時間の問題だ。もうシロと『黒いやつ』の戦いを傍観している場合ではない。早急に逃げなければ。
「シロ! ここまでだ。もうこの建物は崩壊するから、一旦戦いを止めて、ここを離れるぞ!」
「嫌だね! まだ私、やれるもん! もうちょっとでこいつを倒せるもん!」
「あのなあ! 負けを認めて逃げる訳じゃないんだぞ。ここに立っているとまずいから避難するだけで、その後で続きをやればいい話だろ?」
「それでも嫌! こいつに背中は見せたくない!!」
「この……、お子様が……」
駄目だ。完全に『黒いやつ』をブッ飛ばすことで、頭の中が占められている。自分がまずい状況に追い込まれつつあることにも気付かないほどに、周りが見えていない。
「どうします? もう好きにさせて、僕たちだけでも逃げますか?」
「シ、シロちゃんなら平気よ。いざとなったら、自分でどうにか出来るから! あの子が、ただのちびっ子じゃないことは、二人とも知っているでしょ?」
何か薄情なことを言い出したな。そりゃ、シロなら、放っておいても大丈夫だが、幼女を置き去りにして、自分たちだけ逃げるというのは、倫理的にどうよ?
「二人だけでも、先に逃げてくれ。俺はもう少しシロを説得していく」
「こ、この場に、まだ止まるなんて、あ、あんた正気なの!?」
「宇喜多さんもなかなか強情ですね。ですが、そこそこにしておかないと、無事じゃ済まないですよ。何といっても、宇喜多さんは、普通の人間なんですからね」
俺の提案に、二人とも呆れていたが、苦言を漏らしただけで、あっさりと逃げていってしまった。もう崩落は時間の問題なので、仕方がないレベルであり、あっさり行ってしまったことに怒りなどはなかった。
また俺とシロ、『黒いやつ』だけになったフロアを見渡した後、もう一度シロに呼びかけた。
「ほら! 俺たちも行くぞ! ……って、うわ!」
説得する俺に向かって、『黒いやつ』が斧を振り回してくる。ギリギリで躱したが、直撃していたら、俺の体はひとたまりもなかっただろうな。俺に攻撃を避けられたのが気に食わなかったのか、舌打ちが聞こえたような気がした。
気が付いたら、こいつ……。また大きくなっている。まだ破壊力を増すっていうのか!? どこまで天井知らずの暴れっぷりを見せる気だよ?
もう躊躇している場合ではない。まだごねるようなら、抱きかかえてでも、この場から連れ出してやろうと、シロの元に向かって駆け出した。
「あっ、お兄ちゃん。前に出てきたら、危ないよ。下がるか、逃げるかして!」
「馬鹿! お前だって、危ない状況になっているだろうが! 俺が無理やり連れだしたことにしていいから、もう退散するからな!」
シロは退散という言葉に噛みついてきたが、聞いている余裕はなかった。『黒いやつ』に対しては、火球や竜巻で攻撃するシロも、俺に対しては無害だったので、安心して抱きかかえられたのだ。
そして、その直後、『黒いやつ』のとどめの一撃により、建物は決定的な損害の瞬間を迎えることになった。
「うおおおおおお!!!!」
「わああああああ!!!!」
足場がグラリと傾いたかと思うと、そのまま地面が崩落してしまい、俺とシロは仲良く下の階までダイブする羽目になってしまった。
「痛い……」
「俺も……」
落下の際に、シロにダメージがいかないように抱きしめたのだが、無傷という訳にはいかなかったか。背中から落下してしまった俺も、当然無事では済まない。
痛みのせいでぼやける視界でたった今落ちてきた上の階を見上げると、『黒いやつ』が、こっちを見ていた。今、やつに降りてこられたら、迎撃出来ない。万事休すか……。
それから間もなく、部屋が広いとは言えず、駅からも離れているながらも、それなりに慣れ親しんでいたアパートは、もろくも崩れ去ったのだった。
「ね、ねえ……。アパート崩壊しちゃったけど、宇喜多とシロちゃんって、出てきた?」
「分かりません……。ただ、入り口から彼らが出てくるところは見ていないです」
「それって、まずいんじゃないの……?」
先に脱出していた藤乃と城ケ崎が、血の気の引いた顔で、野次馬たちと共に、アパートだった残骸を凝視していた。




