第五十一話 取り返しのつかない道を、自ら選択した夜
俺の悪夢の中で、殴る蹴るを繰り返していた『黒いやつ』が、現実の世界に舞い降りてしまった。やつは、夢の世界と同じように、目につくものを破壊したり、何も知らない通行人を襲い始めたのだ。
やつの破壊衝動は底知れないので、好きにやらせていたら、際限なく破壊が続くことになる。
急いで止めなければいけないが、残念ながら、俺にそれが可能なほどに力はない。おそらく警察を呼んでも、結果は同じだろう。そこで、この場で唯一、やつと対抗しうる力を持ったシロに、お願いすることになったのだ。
魔王の手先に事態の解決をお願いするというのも、妙なものがあるが、他に頼るものがないのだ。背に腹は代えられない。
幸いなことに、当のシロは乗り気で、拳を鳴らす真似事をしている。パキポキと気持ちの良い音が聞こえてくることはなかったが、本人のテンションは上がっているようで、自信満々だった。
「ふっふっふ! 昨日、私とちょっとばかし良い戦いをしたからって、調子に乗っちゃったね! 今日は、泣きを見ることになるよ!」
潜在能力の計り知れないこいつの勝利宣言は、妙に頼もしいから不思議だ。勢いに乗って、『黒いやつ』など瞬殺してくれそうだ。
「何といっても、今日の私には、異世界につながる強力な剣があるんだからね。いや~、君は誠に運がない!」
強力な剣と言うのは、試しに振ってみただけで、山を一つ破壊してしまったアレのことだろう。確か俺の部屋に置こうとしていたのを、賞金部屋に無理やり安置させたんだっけな。
「あれ? だが、その剣は、どこに行ったんだ? 突き刺しておいたところにないみたいだが……」
「む! そういえば……」
シロと一緒に、部屋を見渡す。そして、見つけてしまった……。
剣だったものが、真っ二つに折られて、部屋の片隅に、無造作に捨てられていた。どうやら既に『黒いやつ』の毒牙にかかってしまっていたようだ。強力な魔力を有した剣も、ああなってしまっては、もう振るうことは出来そうにない。
「……」
切り札が、こんな形で使用不能になってしまい、さすがのシロも、言葉が出ないようだった。こんなところに置いておくように言わなければと、俺もわずかに責任を感じていた。
「……何と言うか、お気の毒だったな。気を落とすなよ」
「……」
シロは黙ったままだが、肩がわなわなと震えている。怒っているのだと直感した。普段は無害だが、本気で怒ると手に負えなくなることを知っている俺は、嵐の到来を予感して、気持ちを引き締めた。
シロは顔を上げると、恨みの凝縮した視線を、『黒いやつ』に向けた。やつは相変わらず破壊を続けていて、シロのことなど知らないといった風だったが、それがさらに彼女の怒りを助長した。
「許さねえええええ!!」
出鼻をくじかれて、じゃっかん恥ずかしい目に遭わされたシロの怒りは爆発した。『黒いやつ』に向かって、一直線に突っ込んでいく。
突っ込んでいきながら、両手に炎を発生させる。そして、『黒いやつ』に向かって、火球を何発も放っていった。
「平和を愛さない私の、邪悪な一撃を食らえ~!!」
そこは正義の一撃とのたまうところじゃないのか? 魔王の手先でもあるシロからすれば、邪悪の方がしっくりくるのだろうが。というか、火球を何発も放っている時点で、一撃ではないと思うが、そこはツッコまずに流してやろう。
『黒いやつ』に向かって放たれた火球は、やつに届くことはなかった。まるで虫でも追い払うかのように、弾かれてしまったのだ。
近隣の家々に弾き飛ばされた火球のせいで、あちこちで火の手が上がっていく。シロと『黒いやつ』が本気でぶつかり合えば、周りに被害が出ることは確信していたが、こうして目の当たりにすると、やはり落ち着かない。
火球攻撃を躱したことで勢いづいたのか、『黒いやつ』の攻撃力が上がった気がする。拳をブンブンとふるうのを、シロは紙一重で躱しているが、代わりに壁がどんどん壊されていった。
『黒いやつ』が一度拳をふるう度に、壁に大きな穴が増えていき、アパート全体に地鳴りが生じた。
さっき弾かれた火球も、燃え広がっていて、だんだん収集がつかなくなっている。誰かが通報したのか、パトカーや救急車のサイレンが聞こえてきた。直に、この場に到着するのだろう。
「おらああ!!」
騒ぎの原因となっている両者は、相変わらず派手にぶつかっている。今更なことだが、『黒いやつ』をまず異世界かどこかに飛ばしてから、戦いを始めるべきだったんじゃないかと思う。もう遅いがね。
やがてアパートのドアが、あちこちで開く音が聞こえてきた。騒ぎで目を覚ました住人が、何が起きたのか確認するために、こちらに向かってきている。
まずいな……。こんなところを見られたら、言い訳が聞かない。
正直に話しても、映画の撮影だと誤魔化しても、俺たちは世間から隔絶される憂き目を見ることになってしまう。
怖気づいてしまい、思わずこの場を逃げることも頭をよぎったが、懸命に闘うシロの顔を見て、考えを改めた。
そうだ。シロが戦ってくれているのに、どうして俺だけ逃げられるんだ。俺がいたところで、何も出来やしないが、見守ることだけはさせてもらう。
「お兄ちゃん!」
覚悟を決めたと同時に、シロが『黒いやつ』を見たままで、俺に向けて叫んできた。
「もう少し手こずるかもしれないから、先に逃げていいよ!」
驚いたことに、シロから俺の身を案じる言葉が投げかけられた。こうなったら、いよいよ逃げることなど出来そうにないな。
「冗談じゃないね! 幼女を置き去りにして逃げられるかよ。戦いの役には立たないが、野次馬の処理くらいはしてやるから、余計なことを考えずに、その黒いのを叩きのめせ!」
俺が素直に逃げるとでも思っていたのだろうか。シロは目を大きく見開いていたが、やがてにやりとすると、「死ぬかもよ?」と呟いた。脅しているつもりか? だが、もう腹は括ったんでね。もうてこでも動く気はないよ。
俺の決意が固いことを確認すると、シロはまた戦いに集中し出した。他の住人たちの声は、いよいよ鮮明に聞こえてくるようになった。サイレンの音も、はっきりと聞き取れるまでになっていた。さて、これから忙しくなるぞ。
こうなったら、地獄の底まで付き合ってやる。どうとでもなりやがれ!!




