第五十話 破壊活動、ネクストステージ
何もかもが白黒の悪夢の世界に出来た空間の裂け目を通って、向こう側に開いていた世界へと降り立った。
さて。次はどんなところに来てしまったのかと、横でワクワクしているシロを横目に、不安に駆られていた。だが、目に飛び込んできた風景は、見慣れた我が家だった。
「あ……、れ……?」
意外な展開に、思わず目を丸くして、立ち尽くしてしまった。シロは探索と称して、冷蔵庫を勝手に開けて、ジュースを飲んでいた。
「俺の部屋にそっくりな空間まで出現するとは、悪夢って何でもアリなんだな」
視線をベッドに移すと、気持ち良さそうに寝息を立てているルネの姿があった。ただし、俺とシロは寝ていない。もう一人の自分を見たら、複雑な心境に陥っていたと思うので、これはこれで良し。
「ん……。ご主人様……」
ルネが寝言で、嬉しいことを呟いてくれている。しかも、本人も嬉しそうにはにかんでいるし、夢の内容が気になるところだ。
ちょうどルネの真上に出現していた裂け目は、徐々に閉じていった。白黒の世界には戻れなくなってしまったが、あそこに未練などなかったので、特に惜しいとも感じなかった。
裂け目が完全に消えたところで、再び辺りを見回す。見れば見るほど、勝手知ったる俺の部屋だった。ただ一つ違うことといえば、入り口のドアが見るも無残に破壊されていることくらいか。
「細部まで俺の部屋そっくりだ。夢にしても、作りが丁寧だな。感心するよ」
気になるのは、夢のくせに、頬をつねると、痛みを感じるんだよな。
「お兄ちゃん、ここは現実だよ。私たちはね。夢の世界から、現実の世界に戻ってきたのさ」
首を捻る俺に、喉を潤したシロが、冷静に言い放った。だが、いきなりそんなことを言われたって、そう易々と分かりましたとは言えない。
「おいおい。俺たちは夢の世界に出来た空間の裂け目を通って、ここに来たんだぜ。お前の話をまとめると、夢の世界から、裂け目を通って、現実世界に直接移動したことになるが、そんなことがあり得るのか? 普通は眠りから覚めて、現実世界に戻って来るものだろ」
シロの話を疑いたくはないが、俺の理解の範疇を超えている。現実世界から、異世界に移動する方が、よほど現実的に感じてしまうほどだ。
「詳しく話すと、難しくなるから、簡単に説明するね。原理的には、お兄ちゃんたちの世界から、私たちの世界に移動するのと同じような原理なんだよ。それを使えば、夢の世界から、夢から覚めることなく、直接現実の世界に来ちゃうことも出来る訳」
「ということは、俺はまだ寝ている状態ってことか? だが、起きてもいる……?」
駄目だ。深く考えるほどに混乱してくる。答えが出ないまま、知恵熱で頭がヒートしてしまいそうだ。
「駄目だよ、お兄ちゃん。ここはシンプルに考えよう。お兄ちゃんは夢から、いつもとは違う方法で覚めただけ。それだけのことだよ。OK?」
「ああ……」
本当はまだ頭がこんがらがっていたが、出口の見えない迷宮に迷い込みそうな予感がしたので、それだけを胸に刻むことにした。
「分かった。本当はまだ理解が追いついていなかったりもするが、とりあえずお前の話を鵜呑みにして、話を続けよう」
そうしないと、話が進まないからな。ここで、シロと押し問答をしている場合ではないことだけは、直感が知らせてくれていた。
「確か、俺たちよりも先に、こっちに降り立ったやつがいたよな。入り口を見る限り、あまり行儀の良くない方法で、出ていったらしいね。アレがどこに行ったか分かるか?」
「それは私にも分からないよ。私が作った訳じゃないからね。でも、やろうとしていることは分かるかな?」
やつがやろうとしていること……。それは俺にも察しがついていた。あいつの単純な行動原理を思い起こせば、導き出すのは難しくない。
いつも俺に向かって、まっしぐらに突っ込んでくるあいつが、今夜に限っては、無視を通していた。他に楽しみがあるかのように……。
漆黒そのものあいつの表情など伺うことなど出来ないし、目にしたいとも思わないのだが、何となく伝わってくるんだよな。お前の相手なんかしている場合じゃないって意思が。他にしたいことがあるから、お前のことなんかどうでもいいんだよって、分かってしまうのだ。
勝手なものだよな。前回までは、俺があんなに嫌がっていたのに、勝手に追ってきていたくせにさ。
「夢の世界だけじゃ物足りずに、こっちの世界でも暴れる気なのか。あの跡形もなく吹き飛ばされたドアは、その序章に過ぎない訳だ」
「そういうことになるね!」
あっさりと断言するんじゃねえよ。あんなの警察や大家にどう説明すればいいんだよ。ありのままに説明したところで、絶対に信じてもらえないし、かなりの確率でここを追い出されることになるかもしれないんだぞ。そうなると、明日の今頃には、雨風をしのぐ我が家がなくなっているかもしれないんだ。泊めてやっているんだから、ちっとは俺の身になって発言しやがれ。
思わず頭を抱えていると、向こうから男性の悲鳴が聞こえてきた。あと、何かが叩きつけられる音も……。
「始まったね……」
「ああ。早速誰かが襲われたらしいな」
悲鳴を通り越して、絶叫になっている。もう少ししたら、断末魔に変わりそうな気さえする。
俺は正義の味方でもないし、特別な力がある訳でもない。行ったところで、返り討ちに遭うだけだが、無関係でもないので、様子を見に行くことにした。幸い、シロも興味を持ってくれたようで、俺と一緒についてきてくれるようだ。ありがたいな。シロがいれば、生還出来る確率が、大幅に上がってくれる。
駆けつけた先には、案の定ともいうべき光景が広がっていた。よほど強く叩きつけたのだろう。あちこちに血が飛び散っている。テレビドラマで目にした、殺害現場そのものだった。
「あ、ああああああ……!」
中年男性が、顔を抑えて、苦痛にのた打ち回っている。顔を抑える手の隙間から、血が流れているので、そこを叩きつけられたと推測出来る。帰ってきたところを襲われたのだろう。スーツがところどころ破けている。額だけでなく、薄くなった髪の隙間から見える地肌からも脂汗が光っていた。
その様を、『黒いやつ』が見下ろしていた。色のある現実世界だというのに、こいつは相変わらずの黒一色だった。こっちに振り返りこそしないが、俺たちの存在には気付いているのだろうという確信はあった。
携帯電話で、警察に連絡しようとも思ったが、こいつを相手に、どこまで通用するのだろうか。いや、その前に、通報したところで、信じてもらえるかどうか。ほんの少し悩んだが、無駄なことだと携帯電話から手を離した。それに、俺がやらなくても、これだけ派手に騒ぎが起こっているのだ。誰かが通報してくれる筈だ。
いや、そんなことは、後で考えればいい。今は、この場をどう切り抜けるかだ。もう夢から覚めている状態なのなら、『黒いやつ』から攻撃されたら、うずくまっている中年と同じ目になってしまう。
体が震えてくるのを我慢して、『黒いやつ』を睨んだ。
やつは、俺の悪夢の産物でしかない筈だ。やつと会えるのは、というか、存在出来るのは、俺の頭の中だけの筈……。何で……。こいつが現実の世界に出てきているんだよ……? しかも、こいつのせいで、アパートを追い出されるかもしれない。
展開の理不尽さに腹が立ってきて、もし出来ることなら、こいつをぶん殴ってやりたい。だが、同時に恐怖も感じていて、一歩も動けないでもいた。
拳をぶるぶる震わせている俺をあざ笑うかのように、やつは次なる破壊活動へと移った。ターゲットは、アパートそのものだった。
近くの壁を無造作に裏拳で殴りつける。壁が豆腐のように、ボロっと崩れ落ちた。壁の破片が、床に散らばるより先に、もう一度壁を殴っていく。
どんどん壁が穴だらけになっていく中、『黒いやつ』の足は、一つの部屋へと向けられた。それは、俺たちが賞金探しに勝手に使っている空き部屋だったのだ。
「あいつの目的は、あの部屋か」
「どうだろうね。ただ単に、あの部屋が最初に目に入っただけかもしれないよ。どっちにせよ、私の遊び場で、これ以上勝手にはさせないけどね!」
この場で唯一、『黒いやつ』に対抗出来るシロが、戦闘モードに入ってくれた。こいつが本気で暴れたら、アパートはさらに破壊されることになるが、それは『黒いやつ』を放っておいても同じこと。今は、シロに思う存分暴れてもらおう。




