第二話 魔王様の存在を、信じてもらうよ……!
俺の部屋で寛いでいた幼女に誘われるがままに訪れた部屋で、俺は驚愕の光景を目の当たりにすることになった。
何もない空間の中に、大量の福沢諭吉が、上下左右、等間隔に規則正しく整列して浮いていたのだ。
「何だよ、これ……」
それだけを口にするのが精いっぱいだった。近付いてよく見ると、透明のケースに入れられている訳ではなく、本当に宙に浮いているのだ。吊っている糸も見えない。これ、どんなマジックだよ……。
いや、本当にマジックか? 先ほどの幼女の壁すり抜けが思い出される。あれもマジックなんだろうかね。
「下から風で巻き上げている? いや、そんな風は吹いていないし、札はどれも、全くはためいていない……」
部屋の真ん中に立った幼女を中心に、諭吉たちが回り始めた。だが、風は吹いていない。なのに、諭吉たちだけが回転するという謎の現象が発生していた。
「万札の嵐」
どんなブラックジョークだよ。お金は粗末に扱う物じゃないぞ。
目の前で起こっている現象に頭がついていかないが、渦を巻いている諭吉の一枚を手に取って確認すると、紛れもなく本物のお札だった。
「おい……! どういうことだ、これ!?」
全てを知っていると思われる幼女に、反射的に事態の説明を求めていた。あ、これはもしかして悪質なドッキリの類なのか? 俺が慌てふためく様を隠し撮りして、動画で公開する気じゃないだろうな。
「万札の嵐」
さっきと同じセリフが返ってきた。それで全てを説明しているつもりか?
いやいや! そんなものは見れば分かるから。俺が聞きたいのは、どうして風もない室内を、大量の諭吉軍団が舞っているのかということなんだよ!
おいおい! 俺はただ仕事で疲れて、夜遅くに帰宅しただけなんだぞ!? 俺は一体何に巻き込まれようとしているんだ?
自分の置かれている状況を、ラッキーと思うことはなく、ただひたすら唖然としていた。もしくは、現実離れした現象の連続に、ほんの少し恐怖を覚えて始めていたのかもしれない。
俺はもう一度手にしている諭吉を確認した。描かれている肖像画と目が合った気がしたが、動揺した末の錯覚に違いない。
「今日はその一枚だけあげる。もっと欲しかったら、明日以降に頑張ってね」
俺の横に立っている幼女が、クスリとしながら呟いた。あげる? すると、この金は、この子の物?
顔を上げると、あんなに舞っていた福沢諭吉たちは、跡形もなく消えていた。だが、俺が握っている諭吉だけは、消えることなく手元に残っていた。
「他の諭吉はどこに消えたんだ?」
あれだけ待っていた諭吉を、俺が一万円札とにらめっこしている間に、子供の手で回収して回るのは不可能だ。壁をすり抜けた時と同じような理解を超えた能力を使ったのは明らか。
「そんなに欲張らないで。今日はその一枚で我慢しなよ」
「残りは明日以降って言っていたな。その金はどこに隠したんだ?」
しつこく食い下がるが、何も金の隠し場所を聞いて、強奪したい訳ではない。どういう手品を使ったのか、純粋に気になるだけだ。目の前の幼女は、薄着で、どこも膨らんでいない。部屋を見回すが、札束を瞬時に隠せるスペースも見当たらない。他の場所にテレポーテーションさせたとしか思えないくらい、忽然と消えたのだ。
だが、幼女はニコニコ微笑むだけ。教える気はないらしい。仕方がないので、他の質問をすることにした。
「この金をくれるって言ったな」
幼女はこくりと頷いた。ははは! そうかあ、思わぬところで、臨時収入が手に入っちまったぜ。……と言いたいところだ。
だが、ここで万歳をして、無邪気に喜ぶほど、能天気な人間ではない。社会人として、それなりに世間の荒波から洗礼を受けているのだ。美味い話には裏があるということは熟知していた。
「これ……、親からくすねてきた金だろ? 勝手に人に渡したりしちゃいけないぞ」
幼女の頭に手を置くと、くれると言われた一万円札を差し出した。幼女に返すためにだ。得体の知れない金を受け取って、後でトラブルになるのはごめんだ。だが、幼女は受け取ろうとしない。
「心配しなくていいよ。親の財布からくすねてきたお金じゃないから」
「じゃあ、どんなお金なんだい?」
「魔王様からあなた達にばら撒けって渡されたお金!」
「魔王だって?」
おいおい! いきなり中二病なことを言い出したぞ。もっとも、この子は中二には程遠い外見だから、年上に見られる分、逆に喜んでしまいそうだがね。
とにかく! 魔王なんてものの存在を口にするのはよろしくないな。せめて、幽霊や宇宙人で満足していなさい。
俺は鼻で笑ってやったが、幼女は動じない。俺が信じないのなら、信じ込ませるまでと言わんばかりの挑発的な顔をしている。
幼女がパチンと指を鳴らすと、背後の窓ガラスが、水に変わった。水になった元ガラスが、床に盛大にぶちまけられる。水滴のいくらかは、俺の足元にもかかってきた。冷たい……! 本当に冷水を浴びせられた気分だ。
驚いて後ずさるが、そこで何かにぶつかった。振り返ると、幼女が立っていた。図体で上回る俺がぶつかったのに、全然よろめいていない。むしろ、俺の方がグラついたくらいだ。
いや、そんなことより、いつの間に後ろに回り込んだんだ……? すごいのは力だけじゃないのかよ。そして、幼女が得意げに見せびらかしてきた物を見て、息をのんだ。
「おい……! それ、俺の携帯電話!」
焦る俺の前で、幼女はまた指をパチンと鳴らす。すると、携帯電話が蛙に変わってしまった。
「……嘘だろ?」
呆然と右手を差し出す俺に、幼女が携帯電話だった蛙を乗せてくれた。このぬべっとした感触。気色悪い体温。伝わってくる命の鼓動。さっきまで機会だったくせに、命を主張してくる。
「どう? お気に召した? ……駄目?」
「当り前だ……」
お気に召す訳がない。こいつじゃ通話も出来ないし、メールの送受信も出来ない。ネットの閲覧だって無理だ。横でゲロゲロとうざったく鳴いているのが、むしょうに腹立たしく聞こえるよ。
「そっかあ……。気に入ってくれると思ったんだけどなあ……。じゃあ、元に戻すね」
しょんぼりしながらも、恒例となりつつある指パッチンを行うと、俺の手のひらで、蛙は再び携帯電話へと戻った。一連の出来事が、手のひらで行われたことで、これがトリックの類でなく、本当に変化しているのだと、いやが上にも実感させられる。
俺にとっては未知の力が展開されていて、目の前の幼女は、それを自由に使うことが出来る。
「お前……、何者だ?」
さっきよりも数段低くなった声で、威嚇するように呟く。こいつの能力が手品の類でないことはよく分かった。俺は現実主義者で、オカルトの類は信じないが、手のひらで直接変化があったのでは、認めざるを得まい。この幼女は、やばい存在だ……。
「私を見る目が変わったね。さっきまでの馬鹿にしていた眼差しが消えたよ」
本人なりに、馬鹿にされた目を向けられるのが気に入らなかったみたいだな。今は満足そうに俺を見つめている。
「改めて説明すると、私はね。こことは別の世界で、魔王様に仕えている者よ。詳しく説明してもいいけど、どうせ言ったって、分かんないよね。だから、シロって呼んでくれるだけで良いよ」
こことは別の世界? 異世界ってことか? 小説や漫画の世界だけの産物だと思っていたのに、まさか実在するなんて。
「その魔王の手先様が、俺に何の用事だ? 異世界にでも連れて行って、賃金一万円で、奴隷にでもする気か?」
「まさか! さっきの私の力を見たでしょ? 魔王様はさらにすごい力をお持ちなんだよ? お兄ちゃんに出来そうなことなんて、玉座に座りながら、行使出来るんだから!」
つまり、俺など奴隷にしたところで、何の役にも立たないと言いたいようだな。舐めるなと言いたいが、実際その通りだろう。悔しいが、認めてやるよ。
「じゃあ、何の用事なんだ? 奴隷にもならない俺に構っていても、時間の無駄だろ。眺めていたって、面白いことなんか、何にもありはしない」
自分で言うのも情けないことだが、事実だ。朝起きて、会社に行って、面白くもない仕事をして、帰って寝る。これの繰り返しなんぞ見ていても、時間の浪費でしかない。暴力に物を言わせて、人間の女でも侍らせて、お楽しみを繰り広げている方が、よっぽど面白いだろうね。
話していて涙が出そうになるが、シロは慈悲深い顔で否定してくれた。
「そんなことないよ。お兄ちゃんは、良い見世物になるから。きっと魔王様を満足させられるよ」
「そうか!?」と喜んでしまいそうになるが、良い見世物になるって何だよ。動物園や水族館の動物みたいに、檻に入れられて飼われるってことか? そんなものの何が面白いんだと言いたいが、魔王なら苦しむ俺を見て悦に浸りそうだ。
誘拐されるのかと不安に思ったが、それも違うみたいだ。
「お兄ちゃんはね。焦る必要も、不安に駆られる必要もないんだよ? これからやってもらうことは、お兄ちゃんにとっても、魔王様にとっても、有意義なことなんだから」
「両方にとって……、有意義……?」
そんなことがあるのかと呟いたのに対して、シロはにっこりとほほ笑んだ。後になってから、この時のことを回想すると、俺はこの時点でシロのペースにはまっていたと考えられる。
シロの説明が思ったより長引いていますね。次回には終わるつもりですので、
もう少しお付き合いを……。