第二十五話 私は、暇な時間を何よりも嫌悪するよ
ちゃんと温かくして寝た筈なのに、風邪をこじらせてしまった。調子が芳しくなく、ルネも連れて、病院に行くことにした。
ルネは、靴も持っていなかったが、シロが特別にと作ってくれた。こいつなら、金などなくても衣食住には困らないだろう。欲しいものはいつでも作れるのだ。煩わしい買い物をする必要などないのに、何がそんなに楽しいのか、無駄に飛び跳ねている。
「何かさっ! 三人でお出かけするのって、ワクワクするよね!」
「しないよ。病院に行って、食料品を買って帰って来るだけだ。後、お前の声は響くから、ボリュームを落とせ」
「む~! お兄ちゃん、ノリが悪いよ」
シロは軽くいじけてしまったが、嫌ならついてこなくてもいいぞ。お前が勝手についてくるだけであって、俺は誘っていないからな。
「何かさっ! こうして三人並んで歩くと、親子みたいに見えるよね!」
「見えない」
ルネをちらりと見ると、全く動揺していない。平然と歩いている。ほんのちょっとでも顔を赤らめていてほしいと邪まなことを期待していただけに、軽くガッカリ。
俺にとっては、何の面白味もない光景も、シロにとっては興味津々のようで、いろいろ見て回っては、いちいちはしゃいでいた。熱中するあまり、車に引かれそうになったのも一度や二度ではないので、同行する俺としては冷や冷やものだった。
気苦労で、病状が悪化してしまいそうになる中、どうにか病院までは無事に到着出来た。
「へえ~! ここが病院ってところなんだ。何か独特の雰囲気があって面白~い!」
「はしゃぐな! 追い出されるだろ」
というか、看護婦の一人に早くも睨まれた。相当気を付けないと、本気で追い出されかねないな。もちろん、同様の警告はルネにも言い聞かせた。受付を済ませると、空いている席に座って、自分の番を待つ。ここからの退屈な時間を、シロがちゃんと我慢出来るかが肝だな。
「ねえ、お兄ちゃん」
「何だ?」
「暇!」
「まだ座ってから、一分も経っていないだろ。音を上げるのが早いよ」
どうせどっかでごねると思ってはいたが、ここまで甲斐性なしとは。本格的に騒ぐ前に、外で遊ばせた方が良くないか?
俺とルネだけだったら、こんなに気を揉むことにならなかったのに、シロのせいで、風邪が悪化しそうだ。危惧していた通りになってしまった。
どうして出発の時に、もっと強く突っぱねておかなかったんだと思っていると、シロが患者の一人を指さして、ゲラゲラ笑いだした。
慌てて、シロの口を覆うが、周囲からは厳しい視線が向けられてしまった。その中には、さっき睨んできた看護婦も含まれていた。
笑ってしまったことを詫びようと、シロが笑った患者を見ると、藤乃ではないか。大きいマスクで顔が半分隠れてしまっているが、間違いない。
「お前もこの病院の厄介になっているのか?」
「まあね。こんなところで会うなんて奇遇ね。世間も狭いものだわ。そっちの娘さんは、シロちゃんのお姉ちゃん?」
俺の彼女とは聞いてこないんだな。俺のメイドだと、真実を告げたら、面倒なことになりそうだったので、そうだと答えておいた。シロに笑われたことに対しては、気を悪くしていないらしい。
「しかし、あんたまで風邪なんてね。季節の変わり目って、油断がならないわね」
お前は寒い中、薄着を通したから、倒れただけだろ。一緒にするんじゃねえよ。
「私は今夜から復帰するけどね。このマスクは念のため」
「ああ、そうですか……」
くそ。このまま最終日まで風邪で寝込んでくれていたら、競争相手がいなくなって良かったのに。これでまた参加メンバーが四人に戻ってしまう。
「この病院は駄目ね。若くて素敵なお医者さんがいないもの。みんなおじいさんか、女ばかりよ」
腕が確かなら、それで問題ないだろ。お前は何を求めて、病院に来ているんだ。
「やっぱり落とすなら、魔王ね。彼の方が強い権力を持っているし、お金持ちだし」
魔王の使いが、横で聞いているぞ。独り言なら、もう少しボリュームを落としたらどうだ?
「という訳だから、あなたは思う存分休んでいなさい。その間の賞金は、私が独占しておいてあげるから」
憎まれ口を叩きつつ、藤乃は帰っていった。残念だが、俺は休むつもりはないから。賞金も俺がずっと独占させてもらうから。藤乃は大人しく、魔王に取り入っていればいいと思うよ。
去っていく藤乃を恨めしく睨んでいると、ずっと見続ける俺の様子を見て、ルネが勘違いしてしまったようだ。
「素敵な彼女さんですね」
「いや、彼女じゃないから。それどころか、対立している相手だから」
「そうそう! 戦友という名のライバルだよ!」
「被害者という名の競争相手だ」
正直、藤乃との会話はいらなかったな。俺にとって、彼女の復帰は歓迎出来るものではないしね。シロの退屈を紛らわせたに過ぎなかった。
その後、むずかるシロを宥めていたら、俺の番が回ってきた。医者によると、やはり風邪ということで、クスリを出してもらえることになった。その他、体中の痣の件も聞かれたが、そこは笑って誤魔化した。夢でボコられたと言っても、信じてはもらえないだろう。
支払いを済ませて、薬を受け取ると、これ以上看護婦に睨まれない内に退散することにした。
「それを飲んで横になっていれば、治るんだね」
「ああ。出来れば、今夜までには完治してほしいんだがな」
不戦敗だけは、どうしても避けたい。あまり他の参加者に賞金を明け渡したくないんだよ。特に藤乃。
「なあ、シロ。異世界には、飲むだけで一気に全快する薬とかはないのか?」
「お兄ちゃん……。異世界だからって、そんな都合の良い薬はないんだよ。何でもかんでも、私にお願いすればいいなんて思っちゃ駄目」
「そうか……」
シロに説教されてしまった。やつにしては珍しく真顔で。言っていることは正論なので、何も言い返せない。
「仕方ないな。こうなったら、自分の免疫力を頼るしかあるまい」
その後、病院から家までの帰り道にあるスーパーで数日分の食糧を買い込んだ。ここでスーパーの場所を覚えてもらっておけば、次からはルネに買い出しを頼めるので、楽になるだろう。
しかし、米も買ったので、総重量がかなりの数値に跳ね上がってしまった。これを一人で持ち帰ろうとすると、健康な時の俺でもきつい。
病の体に鞭を打つハードなミッションだったが、ルネが手伝ってくれたおかげで、どうにか家までたどり着くことが出来た。帰るなり、体力の限界が来てしまい、そのままベッドに倒れこむことになってしまった。あとは、重力に縛られてしまったように、ベッドから離れられなくなってしまった。
ルネがお粥を作ってくれると言ってくれたが、病院で簡単な食事を済ませてきた後だったので、丁重にお断りした。代わりに、いつぞやのハチミツミルクをお願いした。
薬も飲んだし、後は風邪が治るのを待つだけなんだが、気になることがある。シロだ。ずっと俺に付き添うように、眠っている横に、ちょこんと座っている。
「お兄ちゃ~ん! 暇!!」
「知らねえよ」
安静にしている病人の部屋が面白い訳がないだろ。そんなに誰かと遊んでほしいのなら、間宮か城ケ崎の部屋にでも行きやがれ。さっきだって、自分が幼いからと言って、買い物袋を持つことを拒否していたのを忘れていないんだからな。
内心で悪態をつきながら、寝返りを打っていると、シロが病院で処方された薬を手に取っているのを見てしまった。
「おい。それはお菓子じゃないんだから、あまり触るな」
「知っているよ。イタズラなんかしないから、そんな睨まないで」
注意されたことが面白くないのか、シロは頬を膨らませていじけてしまった。きつく言ってしまったかと思ったが、すぐにシロの表情は明るくなった。
「あ、そうだ! お兄ちゃん、最近、悪夢に悩まされているんだよね」
「? ああ、そうだよ」
シロは怒っていないみたいだったが、こうして瞳に妙な輝きが宿っている時は、良からぬことの前哨と決まっているのだ。
こういう時の予感というのは、抜群の的中率を誇る。実際、シロが得体の知れない液体の詰まった注射器を、俺に見せながら微笑んできた時は、心臓が縮み上がりそうになってしまった。
「何の真似だ」
「お助けだよ。お兄ちゃんが悪夢に打ち勝てるようにって! ま、気休めにしかならないと思うけど、何もないよりはマシだよね」
「お前、やっぱり何か知っているだろ。さっき言ったよな。暇だって。暇つぶしも兼ねて、洗いざらい吐いてくれよ」
「私が話さなくても、いずれ知ることになるよ。それっ!」
俺の質問をサラリと流して、ぶすりと注射針を、俺の腕に突き刺しやがった。
「うが……」
「心配しないで、お兄ちゃん。薬を投与したけど、副作用はないから。すぐに眠くなって、起きた後も、何事もないから。違いに気付くのは、また悪夢を見た時だよ!」
「何だ、それ……。お前の説明は、説明になっていないんだよ。つべこべ言っていないで、ちゃんと説明……」
シロの説明通り、猛烈な睡魔が襲ってきた。まだシロと話したいことがあったというのに、俺を強制的に眠りの世界へと連れて行ったのだった。
「ふふふ……! おやすみ、お兄ちゃん。風邪をひいたときは、温かくして寝るのが一番だよ」
寝息を立てている俺を満足げに見つめながら、シロが呟いた。
「もうやられっ放しじゃないよ。今夜が楽しみだねっ♪」




