第一話 仕事を終えて帰宅すると、災厄の使いがリビングで寛いでいた
新連載です。金の奪い合いというドロドロしたテーマを、面白おかしく書いていければと思います。
感想・評価は随時募集中ですので、気になったことなどございましたら、
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昼間はあんなに人で賑わっている商店街も、深夜ともなれば、ゴーストタウンのように静まり返っているな。時計を見ると、時刻は翌日のものへと移り変わろうとしていた。
翌朝のことを考えると、さっさと帰らなければいけないのだが、俺の足はある物の前で止まっていた。
「物騒だな」
黄色いテープの張られた事件現場を眺めながら、さっき買ったばかりの缶コーヒーの残りを飲み干す。何でも、強盗が入って、家にあった金や貴金属類を盗まれたらしい。怪我人は出なかったそうだが、物騒なことに変わりはない。閑静な住宅街に該当すると思っていたのに、ここ最近、窃盗や強盗などの物騒な事件が増えてきている。殺人事件が起こっていないことが、唯一の救いか。
事件現場をひたすら眺めて、野次馬根性を満足させると、再び自宅アパートに向かって歩き出す。すると、忘れていた疲労感が、また自己主張を始めた。
「疲れたな……」
終電に乗って帰宅するよりはマシなんだろうが、俺の勤務する会社は、朝が早いので、睡眠時間は微々たるものでしかない。
今夜も風呂に入って寝るだけかと、肩を落として、アパートの階段を上っていく。
せめて親が金持ちだったらな。一生ニートとして暮らすことが出来るのに……。
世間から蔑んだ目で見られている筈のニートたちのことが、最近、無性に羨ましく感じる。だって、働かなくても食っていけるんだぜ? 毎日たっぷり惰眠を貪ることも出来るしな。あいつらが勝ち組に見えて仕方がねえよ。
「大学に通っていた頃は、馬鹿にしていたんだけどなあ……」
今じゃ、見事に形成を逆転された気さえする始末だ。あんな連中、世間に何の貢献もしていないと言われるが、俺の仕事も世間の役に立っているかと言われれば、微妙だしなあ……。
自嘲気味に笑いながら、自室のドアを開錠して開けると、奇妙なことに気付いた。
「あれ? 電気がついているぞ」
出かける時に切り忘れたのかと思ったが、出勤した時、既に陽は昇っていたし、起床してから電気など、そもそもつけていない。
鍵は確かにかかっていた。だが、つけた覚えのない電気がついている。
泥棒か……?
そう思ったが、泥棒だったら、こんなあからさまなことはしていない筈だ。というより、日中に済ませている。
じゃあ、変質者か……? 常識が通用しない分、泥棒よりも怖い相手だ。万が一包丁でも持っていたらどうしよう。俺、鞄しか持っていないから、ひとたまりもないぞ。
俺の不安を煽るように、リビングからは、テレビの音が聞こえてくる。疑惑が確信へと変わりつつあった。出勤する時に、テレビをつけていないのは、しっかりと覚えている。電気製品が勝手に起動する訳がないので、誰かが俺のいない部屋に侵入しているのだ。
合い鍵は、親や元カノにさえ渡していない。俺以外で持っているとすれば、大家ぐらいのものだ。
だが、勝手に部屋に入られる謂れがない。家賃は滞納することなくしっかりと払っているし、トラブルになるようなこともしていない。というか、こんな日付が変わりそうな時間に、押しかけてくるものか。仮に大家だったとしても、抗議出来るぞ。
帰宅途中に見た黄色いテープがフラッシュバックされる。あれが俺の部屋の前に張られている光景を、どうしても想像してしまう。
「勘弁してくれよ。こっちは寝るためだけに帰宅しているようなものなんだぞ。なけなしの睡眠時間まで削らないでくれよ~」
情けない声を出しつつも、一歩一歩リビングへと歩みを進めていく。途中のキッチンで、フライパンを手に取り、いささか勇気が出てきた。
フライパンを両手で力強く握って、呼吸を止めた状態で、そっとリビングの様子を伺う。
目に入ってきたのは、茶色い髪を肩まで伸ばした見知らぬ幼女が、俺の家のソファに、どっかり腰を下ろして寛いでいる姿だった。
「君……、誰?」
異常事態には違いないのだが、相手が自分より体格も力も、見るからに劣っている幼女が犯人だったことに、緊張の糸がプッツリと切れてしまった。そして、あんなにしっかり握っていたフライパンを置くと、不用心にも不法侵入していた幼女に話しかけていた。
幼女は、俺を見ると、気だるそうに欠伸をした後、テレビを消した。
「遅かったね。ずっと待っていたんだけど、あんまり暇でテレビを見ちゃった」
「だから……、君はどこの子かな?」
こっちの質問には答えてくれないのか。人の家に勝手に入っているくせに、俺の追及を堂々とスルーするとなると、少しきつめに接した方がいいのかな。
「ねえ、この部屋にはどうやって入ってきたのかな?」
幼女に話しかけながら、背後の窓ガラスに目をやる。ベランダをつたって侵入した可能性を考えたのだが、こっちも鍵はかかっていた。じゃあ、どうやって侵入したのだ?
本気で分からなくて、頭を捻っていると、幼女は壁に向かって走り出した。そのまま激突するつもりじゃないかというくらいの勢いで。だが、激突はしなかった。幼女は、そのまま壁をすり抜けて行ってしまったからだ。
「な、な、な……!?」
子供の頃に、壁すり抜けマジックというものをテレビで見たことがあるが、あれとは比べようがないくらい自然だった。まるで本当に壁の中に吸い込まれていったようだった。
目の前で起こったことが信じられず、俺も幼女の後に続いて、壁に突進した。ただし、彼女と違って、ちゃんと壁の前で止まったがね。幼女の通過していった箇所を重点的にまさぐるが、伝わってきた感触は、慣れ親しんだ壁の素材と、寸分違わなかった。マジックを行うために、細工を施された跡は、全くない。
仕事の疲れも忘れて、何が起こっているのかを究明するために、顔を壁へと近づける。ちょうど顔と壁がくっつくかというところで、さっきの幼女の顔が壁から浮かび上がってきた。壁をすり抜けて、隣の部屋へ行った後、こっちにまた戻ってきたようだ。
「……」
恋人同士だったら、そのままキスに発展しそうな超至近距離で、しばらく見つめ合った後、俺が譲る形で、後ろに退いた。幼女は、何事もなかったように、また俺の部屋へと侵入してきた。
「……とりあえず部屋への侵入方法は分かったよ」
侵入方法は分かったが、幼女が何者なのかについては、いっそう分からなくなった。一見する限り、無害そうな外見をしているが、実はとんでもない存在のような気がしてきた。
だんだんと幼女が得体の知れないものに見えつつある中、俺の口にした言葉は、何とも気の抜けるものだった。
「なあ……、ビスケット食うか?」
冷蔵庫に百円ショップで買ってきたビスケットがあったことを思い出し、何とはなく勧めてみたのだ。甘いものが好きなのか、幼女は、首を縦にブンブン振った。
オレンジジュースと一緒に、ビスケットを差し出すと、幼女は美味しそうに頬張りだした。俺は……、缶ビールで良いかな。
これからどうするかビスケットを缶ビールで流し込みながら考える。ていうか、普通は、俺の部屋から、とっとと出て行けと怒鳴るところだよな。無理やり追い出したところで、また侵入してきそうだから、徒労に終わる気配がぷんぷんするが。
「俺の部屋にはどうして来たんだ? 俺に用事でもあるのか?」
自分でも呑気なことだと思うが、幼女に話を聞いてみることにした。不法侵入された割には、かなり落ち着いた声で接していると、我ながら感心する。ちょうど差し出したビスケットを食べ終えていた幼女は、俺の質問ににっこりと頷いた。
「うん! 実はね。おじ……、お兄ちゃんを連れて行きたい場所があるの!」
「へえ、そうかあ。お兄ちゃんを連れて行きたい場所があるのか~」
努めて冷静に対応する。俺のことをおじちゃん呼ばわりしようとしていたように聞こえたが、間違いなく気のせいだ。俺はギリギリ二十代前半。そんな歳ではない。
「ごめんな。お兄ちゃん、明日も仕事なんだよ。だから、お嬢ちゃんに付き合っていられないんだ。明日、ママと一緒にそこに行くのはどうかな?」
そもそも子供が起きているだけでも問題の時間だ。大人として、分別のある呼びかけを行ったが、幼女は既に俺の手を引っ張って、歩き出していた。うお! こいつ、見かけによらず、ものすごい力だ。全く抗えない。細腕のどこにこんな力があるというのか。
止まるように訴えるのも聞かずに、幼女はぐんぐん進む。いったいどこに俺を連れて行こうというのか?
自分がやばいことに巻き込まれそうな気がしているのだが、辛いことに周りに助けを求めることは難しい状況だ。この子が普通の子じゃないことは、もう明らかだが、それでも見た目が幼女なのだ。さすがに他の住人に、幼女に強引に連れまわされているところを見られたくないというプライドが働いてしまうのだ。
そんな訳で、結局されるがままに、一階下のとある部屋の前に連れてこられたのだった。それまで俺を先導していた幼女が、部屋の前でぴたりと止まり、俺に入るように目で促している。
「この部屋がどうかしたのか?」
もちろんここで誘われるがままにドアを開けるほど、俺は間抜けではない。ドアを開けた途端、幽霊が出てくるとまではいかなくても、何か途方もないものに巻き込まれそうな悪寒はあったのだ。
自然と足が、自室へと向かおうとするが、幼女が例のものすごい力で、それを拒む。
「なあ、手を離してくれないか。さっきも言ったが、俺は明日仕事なんだよ。面倒事は勘弁だから、帰らせてくれよ」
口調がだんだん荒くなってきていた。精神的に余裕がなくなってきているのだろうな。だが、幼女はニコニコと、俺にドアを開けるように促す。
「何度も言わせるなよ。俺はドアを開けたりなんかしないからな。遊び相手だったら、他の暇なやつでも誘えよ。このアパートにも何人かいるから! 俗にいうニートが!!」
つい声高に叫んでしまった。それもかなりのボリュームで。既に就寝している人も飛び起きるほどの。だが、異変を察したのか、ドアを開けて苦情を言ってくる者はいない。
俺が怒鳴ると、幼女は少しだけ困った顔をした。諦めて手を離してくれるのかと期待したが、そうではなかった。俺にドアを開けさせるのを諦めて、自分でドアを開けることにしただけだった。俺の意向を無視して、勝手に話を進める気だ。
もう一回怒鳴ってやろうかと思ったが、開いたドアの向こうを見た途端に、その気は失せてしまった。
「な……!?」
俺は室内の様子を見て、さらに叫ぶことになってしまった。もう深夜だとか、他の住人に迷惑だとか考えている場合ではなかった。
俺の常識を覆す状況が室内に広がっていたからだ。