第百九十一話 高い紙切れと安い命
「久しぶりだね♪」
街中で偶然再会したような明るい口調でゼルガが話しているが、押しかけられた側からすれば、とんでもない事態だ。全く……。こっちは楽しくゲームをやっていたところに突然訪問してきやがって……。おかげで平和なアパートの一室が、一気に戦場へと変わってしまったじゃないか。
本当なら、こんな迷惑極まりない招かれざる客は、夜が遅いことを理由に、怒鳴るように追い返すところなのだが、こいつにそれをやることは死を意味する。ブッ飛ばしたくて仕方がないが、刺激しないように言動には細心の注意を払わねば。
「宇喜多さん……」
城ケ崎が不安げに身を寄せてきたので、後ろに隠してやった。いつもは現場に来ないのに、今夜に限って差し入れなんぞ持ってきたばかりに巻き込まれることになってしまった気の毒な女。さらに言うなら、その時に頼れる㊚が俺くらいという体たらく。まあ、俺も頼れる以上、出来る限りのことはやるつもりではいるがね。
俺は視線をゼルガに戻すと、動揺を少しでも隠すために、声色に最大限の配慮をした上で声を出す。
「何しに来た……」
あまりベラベラ話すと、声が上ずって動揺がばれてしまう可能性があるから、一言だけ、思いっきりトーンを落として、脅すように呟いてやった。しかし、ゼルガは俺の必死な心の内を見透かしたかのように、人を小馬鹿にした笑みを濃くすると、ゆっくりと距離を詰めてきた。
「そんなあからさまに警戒をしないでよ。俺はこんなにもフレンドリーに話しかけているんだ」
にやにやと気さくな感じで歩み寄ってくる。敵意がないことをアピールしているつもりなのか、両手を広げているが、そんなことで俺は警戒を解いたりしない。何気に「争うつもりはない」と断言しなかったことも気付いているんだ。ゼルガの全身を素早く確認するが、刃物の類は確認出来ない。だが、刃物がないからといって、危険がないという結論には至らない。
「実はね。迷子になっちゃったんだよ……」
「あ!?」
「ある良く晴れた日にね、あまりにもお日様が輝いていて気持ち良かったから、気の向くままに散歩していたら、迷っちゃってね。いやはや、うっかりうっかり。頑張って、自力で帰ろうとしたんだけど、気が付いたら、この世界に来ていたって話さ」
「……」
いきなり何を話し出すかと思えば、あからさまな嘘をつきやがった。そんな嘘、今時子供も信じないぞ。
「怖いね、迷子になるって」
「……」
誰も騙せていないのに、まだ続けている。どこの世界に道に迷った末に、うっかり別の世界に迷い込むやつがいるというのだ。似たようなオカルト話ならネットで見たことがあるが、そんなことが実際にある訳がない。
「嘘を言うんじゃないよっ! うっかり別の世界に迷い込んじゃうほど、世界は単純に出来ていないんだよ!!」
ゼルガからペースを取り戻さんと、シロが叫ぶ。この間、近所のスーパーに買い物に行った際に、うっかり異世界に帰ってしまったという失敗エピソードは棚に上げて、ゼルガに帰れと連呼した。この場で、そんなことが言えるのも、実際に戦えるのもシロだけなので、情けなくも頼もしく感じてしまう。
「事情は分かった。分かったから、早く帰れよ。ここにはお前の世界に帰る道はない」
「冷たいなあ。俺は迷っているって言っているんだから、道を教えてくれてもいいじゃないか」
「心配するな。来た時と同じように、あちこちをうろついていたら、その内に帰ることが出来るさ」
だから、とにかくこの部屋から出ていけ。
一向に歓迎ムードにならないことに、ついに嘘をつくことに限界を感じたのか、ゼルガは残念そうに肩をすくめて、わざとらしくため息をついた。
「あははぁ……。やっぱりこんな嘘じゃ騙されてくれないか~。いや、最初から騙せるなんて思っていないよ。そこまで君たちのこと、馬鹿にしちゃいないさ。挨拶ついでの軽~いジョークってやつだよ」
ゼルガの右手がコートのポケットにつっこまれる。何かを取り出そうとしているのか、中でまさぐっているのが見えた。
「君たちがあまりにもつれないから、もう白状しちゃうとね……、ゲームをしに来たんだよ」
「ゲーム?」
「そ! 君たちが今やっている、賞金稼ぎゲームに肉薄する面白ささ。特に君にとっては、お金なんかよりも貴重なものが手に入るかもよ?」
貴重なものという単語に俺が反応したのを、ゼルガが満足そうに見つめている。あいつの思惑に乗せられている気がして面白くなかったが、気にはなった。推測だが、今取り出そうとしているものと無関係ではないだろう。
「あ~、全然見つかんねえ! 最初はチャンスだと思ったのに、どこにあんだよ。本当に隠してあるんだろうなあ!?」
「隠し忘れとかじゃないの? 案外、宇喜多さんがまだ持っていたりとか……」
「む」
話が佳境に入り、緊張感が漂う中、ガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきた。賞金を探すために必死な形相で散っていった二人が戻ってきたのだ。こっちはゼルガの相手だけで手一杯だというのに、どうしようもないタイミングで戻ってきてくれたものだ。
「あ、いたいた。ねえ、全然賞金が見つからないんだけど、ヒント頂戴な♪」
「ていうか、もう正解を教えろよ」
各々勝手なことを言いながら、喚き散らしているな、俺の気も知らないで。やがて賞金のことしか頭にない二人も、闖入者の存在に気付いた。
「あら? 何か知らない人までいるわ。増えた?」
「あん!? 誰だ、そいつ? まさか新しい参加者じゃないだろうな」
一見すると虫も殺さないようゼルガの笑顔に騙されたのか、二人の表情に警戒の色は見られない。ともかく危ない事態に陥る前に逃げろと言おうとしたところで、ゼルガの口の方が先に動いた。
「初めまして。俺も異世界から来た者で、このゲームの参加者じゃないよ」
参加者じゃないと言われて、賞金を横取りされる心配がなくなり、二人の顔に安堵が浮かんだ。
「な~んだ。そんなことなら、早く言ってよ。ということは、物見遊山でこちらの世界にやってきたのかしら。ようこそ、私たちの世界へ」
ゲーム中だということも忘れて、亜美はゼルガに親しげに話しかけだした。元々、おしゃべり好きということもあるのだろうが、今はその特性が悪い方向に出てしまっている。亜美と対照的に、栗山の態度は素っ気ない。
「こんなやつの相手なんて、している場合じゃないんだよ。金だ、金」
ゼルガが賞金を横取りする危険のある参加者ではないと分かった以上、もう何の興味もないという様子だ。この調子なら、放っておいても、勝手にどこかへまた消えていくだろう。
「あれれ~? 君、ずいぶん素っ気ないね。こうして会ったのも何かの縁だし、もっとおしゃべりを楽しもうよ」
「……」
ゼルガが話しかけても、栗山は顔すら向けようとしない。気を取り直して、再度賞金探しに行くので、既に脳内はフルに満たされているのだ。
「あ、ひょっとして。これを探しているのかい? 嫌だなあ、それならそうと言っておくれよ」
「!!」
「な……!?」
ポケットの中に突っ込んでいた右手が取り出される。握られていたのは、さっき俺が間違いなく物陰に隠しておいた今夜の賞金だった。
「てめえ……」
「あ、顔色が変わったね。やっぱりこれを探していたんだね……っと!」
相変わらずの様子で、飄々としているゼルガの手から賞金を強奪しようと、栗山が手を伸ばしていた。だが、それを愉しげにゼルガはわざと間一髪で躱して、彼を煽っていた。
「てめ……! 結局金目当てなんじゃねえか! 返せ、それは俺のもんだ!!」
「だから、違うって言っているだろ。こんな紙切れの束、俺たちの世界じゃ何の価値もないんだよ。奪ったところで何の意味もない」
「だったら、俺に渡しやがれ。お前らにとっちゃただの紙切れでも、こっちの世界じゃ、価値のある紙束なんだよ!!」
考えたくないことだが、ゼルガは俺たちに気付かれないように部屋へ侵入して、音もなく賞金を抜き去っていたことになる。その時、やつがその気なら、俺はこの世にいなかったと思うと、背筋が震える思いがした。
当のゼルガは、俺たちの戦慄をものともせずに、栗山と戯れていたが、やがて飽きたのか、札束を栗山に向かって放り投げた。
「あ!!」
もはや金の亡者と化していた栗山が、全身で宙に舞った札束を受け止めようと一心不乱に向かっていく。
その時、栗山の体を白い閃光が横断した。次の瞬間、札束に対して前のめりの状態のままで、栗山の身体から、首がゴロリと崩れ落ちた。
「ひ、ひぃぃぃっ!!!?」
突然のゼルガの凶行に亜美が悲鳴をあげて後ずさり、勢い余って転倒して尻もちをついた。
「ふふん! 妙な絵が描かれている紙に価値があるか……。何度見返しても、やっぱり紙切れだけど、不思議なこともあるもんだよね。それに引き替え……、命の方は、こっちの世界でも相変わらず安っぽいままだなあ……♪」
いよいよ本性を露わにしたゼルガが、それまで抑えていた分の感情もまとめて発散するかのように、飛び切りの笑顔をこぼした。




