第百八十七話 ボランティア志願
戦いは魔王軍の圧倒的な勝利に終わった。女王のシャロンを始め、主力の大部分を失ったことで、人間側が勢いをなくし、しばらくは抵抗する気力も湧かないだろうと見られている。
「いずれまた我々と戦争をすることがあると思いますが、それは少し先の話になるでしょうね。向こうは今それどころじゃないでしょうから」
俺の手当てをしてくれたメイドさんが教えてくれた。また戦争が行われるのは確実だが、それは相当先のことだと。死にぞこないを倒してもつまらないので、向こうが国力を回復するまで待つのだという。豪快な話だ。
国を滅ぼすまで暴虐の限りを尽くすのかと心配していたが、ここの魔物たちはただ純粋に戦うのが好きなだけのようだ。どうも俺の考えていた魔物とは違う。侵略者というより、格闘家の精神を彷彿とさせる。良い試合だったぜとか言って、向こうの兵士に握手しているやつもいたりしてな。
こういう決着で、彼らは満足なのだろう。ただし、俺だけは目的が達成出来ていないのだがね。何せ、俺の大切なルネが魂を抜かれたままなのだ。
どうやら攫った際に、戸惑うルネを完全に掌握するべく、魂を抜いて従順な人形に仕上げたらしいのだ。そのために今傍らのベッドで寝ているのは、植物状態、というより人形状態になってしまった彼女だった。紛れもなく、彼女が寝ているというのに、依然、ルネは俺のところに戻ってきてくれていないことになる。
もちろん、どうしてもルネは取り戻したい。そのために死ぬ思いまでしたのだから。いや、死んだ方がマシだという目に遭ったのだ。体だけでも取り返したのだから、努力賞ということでもう良いだろうでは済まされない。
取り戻すんだ! もう一度シャロンの城に殴りこんででも!!
だが……、俺の力だけでは、その願いは叶えられそうにない。俺には力が絶望的に足りない。行ったところで、城の兵士一人相手に出来ずに返り討ちに遭うのが目に見えている。叶えるためには、魔物たちの力が今一度必要だ。
「とはいえ、ただお願いしても、分かりましたと聞き届けてくれそうもないしなあ。当分攻めるようなことはしないって言っていたし……」
金で釣ろうにも、異世界の通貨なんて持っていない。そもそも魔物の間で通貨があるのかどうかすら怪しい。魔王に借りでもあれば、取引でも持ち掛けられるんだが……。
「黒太郎、戻ってこないかな……」
かつてはあんなに恐れおののいていた存在が、今は喉から手が出るほどに恋しい。シャロンの城で離れ離れになって以来、行方知れずのままなのだ。シロに聞いても、どこに行ったのか、煙のように消えていたという。首輪はついたままなので、依然俺の下僕だから気にするなとシロに言われたのだが、念じてみてもやつは戻ってこない。
「……」
シロがいなくなって静かになった部屋で、腕を組み唸った。考え事をするには絶好の環境下で、日ごろからたいして働くことのない脳みそをフル稼働させて、現状を打開する妙案を捻りだそうともがいた。
「……駄目だ」
必死の迷走の末に待っていたのは、己の無力を痛感するだけという悲しい結果だった。必死になって考えたのに、閃きの一つ、浮かびはしない。
「どうしようもないのかなあ、ルネ……」
寝ている姿だけ見ると、昼寝しているだけにしか見えない。こいつさえ目をパチリと開けてくれれば、万事解決なのにと思うともどかしさが募る。お前だって、元気に外を走り回っている方が楽しいだろうに。
案外、昔のテレビみたいに斜め四十五度で叩いたら起きないかと、試しにやってみることを本気で考えていると、部屋から去った筈のシロがこちらに戻ってくる音が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、ハロ~~! 元気にしていたか~~い!」
別れてから時間が経っていないのに、元気にしていたかもないだろう。人が割と本気で悩んでいるというのに、うざいことだ。一体何をしに戻ってきた。
「え~とね! 私ね、これからお兄ちゃんたちの世界に行こうと思っているんだよ! 仕事で! でね、お兄ちゃんも一緒にどうかな~って! カミングホーム!」
そういうことか。怪我もすっかり癒えたし、いつまでも居候しているのも申し訳ない。用がないなら、もう帰るべきなのは分かる。ただ、ルネの魂のことだけが心残りだ。シロは俺の気持ちなど知らずに、「危うく忘れるところだったよ♪ 失敬、失敬!」などと無邪気に笑っている。
そんなシロとも、あっちに着いたらお別れなのか。
俺を向こうの世界に送り届けてからも、ちょくちょく遊びに来るとは言っているが、それもいつまで続くか。
「そういやさあ! ついでに聞いちゃうけど、ルネはどうするん? 連れて帰るの?」
「ああ、もちろんだ。そのために来たんだぞ。置いていくなんて、ありえないだろ」
連れて行くと言い切ってやったが、シロは「本気で言っているの?」とでも言いたげな顔で見ている。無理もない。独り暮らしの部屋に、眠ったまま目を覚まさない女性を一人抱えたままだと、何かと不都合なことが生じる。当然、彼女や友人、家族を家に呼ぶことなど出来やしない。それならば、ここは一思いにというシロなりの優しさもあったのかもしれない。
だが、俺は既にルネに惹かれてしまっていた。彼女がいれば、他の人間関係など後回しでも良いというほどに。笑ってしまうことだが、ルネと過ごした短い時間の間に、想像以上に彼女に毒されてしまっていたようだ。
ん? シロ……、仕事……?
「シロ。頼みがあるんだが、再開する賞金稼ぎゲームに、俺も混ぜてくれないか?」
「ふえ!?」
俺からの突然の提案に、シロはきょとんとしていたが、やがてニヤリと意味ありげな笑みを漏らした。
「ふっふっふ! お金を稼ぐことに関しては抜け目がないね! さすがお兄ちゃん! 守銭奴の鑑!」
「何だよ、その不名誉な呼び方は」
すぐに訂正しろと吐きそうになったが、ゲームに参加していた時に血眼になって争っていた姿を思い出すと、そう思われていても仕方がないかとため息をついた。金にがめついことは認めてやる。
「違うんだ。俺が参加したいのは、ゲームのプレイヤーとしてじゃない。その……、な……、運営側。つまりお前の手伝いをさせてほしいんだよ」
「ほえ!?」
「ふえ!?」の次は「ほえ!?」ときたか。さらに驚いているのは気のせいではないな。
「な、ななな……、なんですと~~!!!!」
驚きに比例して、声のボリュームまで上がってきている。耳がキーンとしてくるよ。
「……報酬は出ないよ?」
「いらない。俺が好きでやることだ」
野郎め。金にがめつくない俺がそんなに意外か。だんだん腹が立ってきたが、ここは我慢。報酬ならちゃんとあるしな。それは、異世界との関係を切らさずにいられることだ。
決して妙案が浮かんだ訳ではない。ただ、異世界との関係を保っていたいと思っただけのことだ。シロと継続的に連絡を取り合える環境を作っておけば、その内に状況が好転するかもしれない。蜘蛛の糸より頼りない話だが、それしか策が思いつかなかったのだ。
そうしてシロや魔王たちに貢献していれば、シロの魂を奪還するのを手伝ってもらえるかもという目論見も、わずかながらあったりする。
「お前ほど万能じゃないが、頼まれた仕事はきっちりやるつもりだ」
俺は真剣な眼差しをシロに向けた。最初は冗談と思っていたのか、疑い深そうにしていたシロの目もマジなものになっていく。さあ、シロよ。俺を雇え。




