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第百八十一話 落下のすすめ

 キャアという短い悲鳴を上げる暇もなく、クリアは巨大植物の中へと溶けるように消えていった。


 まるでクリアが呑み込まれた部分だけが液状になっているのではないかと思ってしまう程に、すんなりと消えていったのだ。


「……」


 クリアの消えていった辺りを凝視するが、それで何かが変わる訳もない。変わったことといえば、ほんの少し波打ったくらいだろうが、意味はないだろう。


 やがて浮かんできた『お手上げ』の文字を振り払う。こんなものに呑み込まれたらどうなるかなんて、考えたくもない。


 クリアはどうしよう。飲み込まれたばかりだから、急げばまだ間に合うかもしれない。見殺しにされかけたことは事実だが、彼女も一応仲間だ。助けられるものなら、そうしたい。


 しかし、助け出そうにもどうすればいいのだろうか。自分に、小さなアパート程の太さを誇る巨大植物を引き裂く怪力など、俺にあろう筈もない。


 考えあぐねていると、植物が俺の方を向いていることに気が付いた。今度は俺も呑み込むつもりなのかと反射的に身構えたが、植物は動かない。そう思っていたら、巨体がブルンと揺れた。


 あ、こいつ、俺のことを今笑った。


 もちろん植物に表情などある筈がないし、感情があったとしても、それを感じ取る術など持たないが、そんな気がしたのだ。奇妙な確信と共に思い至ると、猛然と頭に血が昇っていった。


「お前! 何をしてくれてんだよ。クリアを吐き出せ!」


 さっきまで固まっていたのが嘘のように、猛烈な勢いで、巨大植物を乱打した。ただ俺の全力など植物にとっては刺された程度の痛みにもならない。傍らでは、シャロンが面白い見世物として愉しそうに見ている始末だ。


「君ぃ、手から血がにじんでいるわよん。見ている私は愉快だから構わないけど、無駄な努力というものを自覚したらどうかしらん?」


 以上のセリフを時折堪えきれずに噴き出して中断しながら、休み休み忠告してきた。もちろん、俺のことを馬鹿にしたような口調だったのは言うまでもない。からかわれた怒りを拳に乗せて、さらに乱打する。


「あらあら。私の忠告にも耳を貸さないなんて。そんなにあの色黒ちゃんのことが大切なのかしらん。まあ、いいわ。それなら私は、仲間外れにされたルネちゃんとイチャイチャさせてもらうからぁ❤」


 見下している俺から無視されたことで、怒り出すかと思ったが、口調は驚くほどに落ち着き払っていた。だが、口にしたことは大問題だった。


 さすがにルネを放っておくことは出来ずに顔を向けると、シャロンのやつ、もう横たわるルネに手を伸ばそうとしていた。


「くそ……! やめろ」


 俺の制止を聞かずに、シャロンがルネを掴むと、遅れてやってきた巨大植物に向けて放り投げたのだった。


 これではルネも呑み込まれてしまうと愕然としていると、直前でガチョウくんが華麗にキャッチしてくれた。そして、俺の元へパスしてきた。ていうか、ルネはボールじゃないぞ。


「な~にしてんのさ! 頭に血が上って、お姫様の警護がお留守になるなんて、ナイト失格だぞ」


 両手でルネをキャッチした俺に、耳に痛い言葉がかけられた。


「……サンキュ」


 ガチョウさんにお礼を言おうとすると、さえぎるように早く逃げろと促された。軽い口調の中に、反論を許さないという凄味を含んでいた。クリアを残していくのは気が引けるが……、これ以上足手まといになるのもいかんしな。不本意ながらクリアの救出は諦めて、離脱することを決めた。


 クリアだって、俺たちを見捨てようとしたのだ。見殺しにすることになるかもしれないが、おあいこだ。脳内で考えたところで意味のない免罪符を繰り返しながら、ルネを抱える手と、走り出すために足へ力を入れる。


「うふふふふふふふ!! そんなアッサリと逃がさないわよ。私の執念を甘く見ちゃいやん♪」


 すぐ後ろからシャロンの声がした。もうおんぶしている人から声をかけられているのと同じくらい至近距離。耳元という表現がピッタリと当てはまる。


 こんな時なので、警戒を怠るということは絶対にない。単純に、シャロンが、気配を消して接近するのが速くて上手いのだ。さっきルネに接近した時といい、瞬間的に移動速度が劇的に上がるんだよな。


「あはん♪ あなたは可愛いとも思わないし、愛しいとも思えないから、飲み込むようなことはしないわ。一思いにすり潰してあ・げ・る❤」


 目前の巨大生物を見て、これにミンチにされるのかと想像すると、体がブルッときてしまった。


「冗談じゃ……」


「冗談じゃねえよな!!」


 俺の叫びを遮って、ガチョウくんが俺の横っ面に蹴りを見舞った。一瞬、裏切りかと思ってしまうが、そうではないらしい。やつの顔を睨むと、ニヤリとほくそ笑んでいるではないか。あれは、自分が良いことをしていると思っている顔だ。


 蹴とばされた勢いは止まらず、俺は窓ガラスを突き破って、ルネを抱えたまま、宙に投げ出されてしまった。あの鳥め……、シャロンから俺を逃がすために、故意で全力で蹴りを入れたな。


 重力に惹かれて落下を始めて、すぐにガチョウくんたちは見えなくなった。独りでシャロンの元に残ったやつの安否が気になるところだが、地面と激突した痛みで、すぐにそれどころではなくなった。受け身を取っていなかったことで、もろに食らってしまったのだった。


「……折れていないよな」


 全身を襲う未曽有の痛みもきついが、体が思うように動かないことも気になった。決して比喩的な表現ではなく、どこかが折れていても驚かないね。そして、痛いのと同じくらいに熱い。


 あちこちで火の手があがっているのだ。気温が上がるのも当然か。


「ん?」


 痛さと熱さで朦朧とする頭で、火に包まれている城に目をやると、勢いよく植物が侵食していっていた。


 あっという間に、火に成り代わって、植物が城を覆ってしまった。火がなくなったことで、鎮火もされた。とりあえず焼け落ちる危機は脱したことになる。これもシャロンの仕業か。全くとんでもないことをしてくれるな。


 成る程。いつでも鎮火出来るのなら、あの落ち着きようも納得出来る。それで次は、進行中の魔王軍を瞬殺して、無事に平定という訳か。


「ははは……、そうならないように、魔王たちには頑張ってもらわないとな」


 とにかく魔王軍の誰かと合流しないと。ガチョウくん独りでシャロンに挑ませるのは荷が重いし、俺の方も保護してもらわないとな。


 痛みのために立ち上がれないので、匍匐前進のように這って進んでいく。そんな俺の前に何かが降ってきた。バレーボールくらいの大きさのようだが……。


「は、ははは……」


 落ちてきたものの正体を見た俺は、もう笑うしかなかった。そして、絶望を加速するかのように、今度は今一番聞きたくないやつの声が聞こえてきたのだった。


「うふふふ、もう追いついちゃったわぁ❤」


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