第十七話 たった今十六万円が、目の前を泳いでいったよ
帰宅すると、アパートの中が魚まみれになっていた。とはいっても、床が魚で敷き詰められていて、時々尾を跳ねさせている訳ではない。まるで水中のように、宙を優雅に泳いでいるのだ。
非現実な光景だということを抜きにすれば、幻想的ではある。ただ、こいつらがどうして急に発生したのか、その原因を考えると、憂鬱になるがね。
シロが俺の部屋で呑気に夕食を食べていたので、自重聴取すると、やはりやつの仕業だった。今夜の賞金探しのために、異世界から連れてきたとのこと。これだけの数だと、もはや移住の域だな。ちなみに、夕食のおかずは、宙を泳ぎ回っている魚を焼いたものだった。俺の分もあったが、丁重にお断りさせてもらった。シロが食べているのを見ると、美味しそうに見えるのだが、警戒心が疼いてしまうのだ。
そんな訳で、早速賞金探しを始めようと、シロと一緒に自室を後にした。
「さっきより数が増えていないか?」
廊下に出ると、心なしか数分前よりも増えている気がした。まさか現在も増加中とかないよな。
「そんなことないよ。気のせい、気のせい。だいたい廊下のお魚さんを増量したっていみがないでしょ? 勝負は例の部屋だけで行われるんだから」
その通りだと思いたいのだが、こいつが言うと、どうも裏があるのではないかと勘繰ってしまうんだよなあ。
そう思っていたら、隣のドアが開いて、中から住民のおばさんが眠そうな顔で出てきた。手にはパンパンのごみ袋が握られていることから、夜中の内にごみを出してしまうつもりなのだろう。
交流はほとんど皆無なのだが、一応挨拶くらいはしようと、おばさんへと顔を向けた。そして、こんばんはといおうとしたのだが、それは叶わなかった。おばさんが悲鳴を上げて、部屋に引っ込む方が早かったからだ。
「ひょっとして……、この魚たちって、無関係の人間にも見えているのか?」
「? 当たり前じゃん」
てっきり賞金探しの参加者にだけ見えるようにしているのかと思っていたのに、まさか何もしていなかったとは。
「だって、面倒くさいじゃん」
つまり、やろうと思えば、やれたが、面倒くさがったと。いい加減だな……。それで、異世界の存在がばれることになったら、どうするんだよ。
俺が苦言を呈したのだが、シロは涼しい顔で大丈夫を連発する。
「大丈夫大丈夫。お兄ちゃんたちが賞金探しをしている時だけの限定だから。終わったら、お魚さんたちを元の生息地に返して、それでめでたしめでたし。さっきのおばさんが通報しても、警察が到着する頃には、例の部屋にお魚さんを避難させるから、証拠も残らないしね。だから大丈夫」
それだと、隣のおばさんがおかしなやつだと思われることにならないか? 何の罪もないのに、濡れ衣をかぶることになるとは、哀れな……。
とりあえず警察が来る前に、例の部屋に引っ込まなきゃいけないってことだよな。そういうことなら、急がないと。魚軍団も、それは分かってくれていたみたいで、指示を出さなくても、勝手に後をついてきてくれた。百を優に超える数の魚が後ろをびったりとついてくる光景は、事情を知っている人が見たら、さぞかし笑えるものに違いない。
部屋に到着すると、城ケ崎と間宮が、既に俺たちのことを待っていた。藤乃は本日も風邪でダウンしたらしい。詳しく聞くと、病院を脱走しようとしたが、途中で看護婦軍団に捕まって、強制送還になったとか。
俺とシロが部屋に入るのを見計らっていたかのように、それまでアパートの廊下を遊泳していた魚軍団が、一斉に開いたドアから入ってきた。
「おお! 魚が一斉に入ってきましたね。これは、この部屋が超満員になるかもしれないです」
「大丈夫! さらに広くしてやったから、これだけの生物がひしめき合っても、問題なしなのです!」
それはそれですごい話だが、最終的にどこまで増殖するのかを考えると、少し不気味にも感じる。
ちなみに、中に入る際に、一匹だけどさくさまぎれに突進してきた魚がいた。全身が黄色いやつなのだが、あの迷いのない突進を見るに、最初から俺にぶつかるつもりで突進してきた可能性もある。後で、覚えていろよ……。
「あれ? シロちゃん、口元に食べかすがついていますよ」
「あっ、本当だ。お魚さんを食べた時についたんだね。教えてくれてありがとう!」
「食べたんですか……? これを……」
俺を見ながら言うんじゃねえよ。勧められたが、俺はちゃんと拒否しているよ。
「いや、そんなことなかったっすよ。ちゃんと火を通して食べたら、サバみたいなアジがしましたし」
間宮……、食ったのか。シロから安全宣言がなされたとはいえ、実際に食べることが出来るとはね。交友関係といい、こいつの心臓には、毛が生えているのかもしれないな。
すべての魚が、部屋に戻ったところで、シロはドアを閉めた。今更なことなんだが、魚を外で泳がしたことに、意味はあったんだろうか。まあ、ないんだろうな。気まぐれでやったんだろうな。
「さて! お姉ちゃんが来ないのは寂しいけど、みんな集まったから、今夜の賞金探しを始めちゃいます。まずは、こっちに来てください」
案内されるがままに、部屋を移動すると、中央に大きな天秤が置かれていた。
「今日はね。換金によって、お金を手にしてもらいます!」
「換金?」
また妙なルールを持ち出したな。
「ルールは簡単! この天秤の片方に魚さんを乗せると、もう片方に、そのお魚さんの価値分のお金が発生します。今、部屋を泳ぎ回っているお魚さんたちの中に、一匹だけ十六万円の価値を持っているお魚さんがいるので、それを先に見つけて換金した人が、今夜の賞金獲得者になります!」
「へえ、面白いルールっすね」
「でしょう!」
自分の案を褒められて、嬉しそうに笑うシロ。この表情だけ見ていると、外見相応の幼女なんだがね。
「天秤に載せるって言っても、この魚たちは、宙を泳げるんだろ? 大人しく載ってくれるかね」
俺が質問すると、シロはシャドーボクシングを開始した。なるほど。ぶっ叩いて、気絶させろってことね。バトル前提とは、熱い夜になりそうだ。
でも、みんな乗り気みたいで、反対意見は出なかった。
「じゃあ、みんな張り切って、賞金探しを始めてね! 今夜笑うのは、果たして誰かな?」
俺に決まっているだろ。他の奴らと違って、俺は一億円を稼がないといけないんだ。これ以上、一円だって取り逃すものか。
「よく見ると、プールになっている部屋もあるな。場合によっては、水中に飛び込まなきゃいけないのか?」
「そうなるかもしれませんが、とりあえず空中を泳いでいる魚から捉えていきませんか? その中に当たりがいれば、服を濡らさずに済みます」
「そうだな……」
俺は、持っていたドライバーに力を込めて、無数の魚たちの中から、ターゲットを物色する。狙いは、さっき俺に突進してきた黄色の魚……。
いた! 隣の部屋で、こっちをふてぶてしく睨んでやがる。この分だと、さっき俺にぶつかってきたのも、わざとだった可能性が高いな。
いいだろう。人間様の恐ろしさをしっかりと、その身に叩き込んでやるよ。異世界に帰れると思うな。
「あ、宇喜多さんが、めちゃくちゃ悪い人の顔になっていますよ」
「やる気満々っすね」
年下二人に軽口を叩かれているのも気にしないで、さっきの魚につかつかと歩み寄っていく。俺が臨戦態勢だと察したのか、向こうも目を据えて、こっちを凝視している。
互いを凝視し合いながら、どちらが先に仕掛けるか、相手の隙を狙う……。
ドカッ……!
にらみ合いのさなか、全く関係のない魚が、俺の脇腹に突進してきた。
「あ、宇喜多さん。また魚に突進されています。とことんついていないですね」
「アハハハ! お兄ちゃんってば、お魚さんに嫌われてやんの!」
「……」
物理的ダメージはたいしたことなかったが、周りから笑われたことによる精神的ダメージは大きいかな。あと、ついでに、怒りのボルテージも上がってきたぞ。
とりあえずお前との決着は後回しだ。まずは今俺にぶつかってきたチビ助から始末してやる……。そういった旨のことを含んだ視線を、黄色の魚に投げかける。通じたのかどうかは不明だが、俺に興味をなくしたように視線をそらして、また優雅に泳ぎ出していた。
数分後、俺の手にはぐったりとしたチビ助が握られていた。戦いは、終始チビ助の優勢に進んだが、最後には俺の打たれ弱さが勝り、辛勝していた。社会人になってから、叩かれ続けた俺のハートを舐めるなってんだ。おお、痛い……。
「ははは! 俺に攻撃なんぞしてくるから、こういう目に遭うんだよ。人間様の恐ろしさを思い知ったか!」
接戦を制したことで、気持ちを爆発させて、大笑いさせてもらった。みっともないとも思うが、愉快だったのだから、仕方がない。
捕獲した魚は、俺の右手から肘くらいまでの大きさしかない。釣りあげれば、まあまあのサイズだが、ここを漂っている他の魚たちと比べれば、小物の部類だ。ここまで浮かれるほどの魚とは言えない。
だが、物の価値はサイズで決まるのではない。こいつだって、体は小さくても、値打ち物の可能性はある。
たった今、自分の手で思い切り地面に叩きつけた相手に期待を寄せる……。とんでもなく筋違いのことをしている気がするが、重要なのは金なのだ。祈る思いで、天秤に魚をかけた。
次の瞬間、もう片方の天秤に、百円玉が出現した。つまり、この魚の価値は、百円程度になる訳だ。
「百円……」
「あれだけのサイズで、百円!? 異世界の物価って、どれだけ安いんですか!?」
「でも、買い物する際には、最高っす! ワンコインあれば、食べ放題じゃないっすか!」
捉えた獲物が、まさかの激安だったことに、俺が気落ちしている横で、間宮がずれたことで感激してやがる。そりゃ、お前の言っていることは正しいが、今はどうでもいいことだろ。
今回の話を執筆中に、「換金」と入力しようとしたら、最初の変換候補が、
「監禁」になってしまうんですよね。そんな物騒な言葉を
最近使った覚えはないのに、どうして出てきてしまうんですかね……。




