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第百七十六話 つながらない、届かない、彼女の心

 ルネの奪還に成功した俺たちは、城からの脱出に全力を注いでいた。とはいっても、派手な戦闘があった訳ではなく、無人の部屋で寝ていたルネを連れ出しただけなんだがね。目を引くような派手な場面はなかったが、これも奪還には違いない。ちなみにこの時点ではルネはまだ眠っていた。


 だが今、俺の腕の中で、ルネは目を開けている。俺の不注意により、護送中に壁にぶつけまくったせいで、彼女を起こしてしまうという失態を迎えてしまったのだ。我ながら護送もまともに出来ないのかと悲しい気持ちになってしまう。


「あはは……、久しぶり! そして、ごめんなさい……」


「……」


 場を和ませようと軽口を叩くが、見事なスルーで流される。気まずい思いで苦笑いを漏らす俺を、ルネをぼんやりと見つめていた。怒ってはない様だが、よく見ると焦点が定まっていない。


「頭とか痛くないか? わざとじゃないんだよ」


「……」


「たんこぶは出来ていないみたいだな。腫れているところもないし、良かった、良かった……。というか、ルネ。シャロンの変態に何かされなかったか? あ、攫っておいて、何もされていない訳はないか。質問を変えるよ。トラウマになるような嫌なことはされなかったか? あいつ、そういうの好きそうだしな」


「……」


 一方的に俺がまくし立てる展開が続いている。これだと、女性に嫌われているのが分かっているのに諦めきれずアタックを続ける間抜けな男ではないか。俺とルネの間に、そんな不穏な空気は流れていないぞ。


「なあ、さっきから黙っているけど、どこか調子でも悪いのか? 遠慮なく言ってくれていいんだぞ?」


「……」


 どれだけ話しかけても、声も発しないし、表情にも変化がない。どうも何か調子が狂うな。というか、俺のことを忘れている訳じゃないよな。


 ここまで来ると、様子がおかしいことが本気で不安になってくる。 おかしいな。反応が芳しくない。俺の知っているルネは、放っておいても笑って接してきてくれたのに。


 ルネの様子がおかしいのは、シャロンから何かされたのではないかと、漠然と考え始めていた。決して、当たり所が悪かったのではないかという結論には至らない。


 まるで電池の切れたロボットのように虚ろなルネを見ていると、何が何でも、いつもの愛くるしい笑顔を見たくなって、ついムキになってきてしまう。


「なあ、ルネ……」


「そこまでだよ。あたしたちが逃走中だってことをお忘れでないかい?」


 ルネとお話しするのに夢中になって、敵の城だということを完全に忘れていた俺に、クリアが厳しい口調で嗜めてきた。反論したいが、言い分はクリアが正しい。そうなると、俺はすごすごと引き下がるしかない。


「……分かっていますよ」


 もう一度背中に背負う直前に、ルネを見たが、彼女の表情は虚ろなままだった。いったいどうしたっていうんだよ……。




 ルネの様子がおかしいせいで、再会の喜びが白けてしまい、無言で場内を疾走した。せっかくルネが無事に戻ってきたというのに、どうしてこんなに悲しい気分なのだろう。


「……何者かが近付いてきている。また隠れるよ」


 耳に手を当てて、クリアが囁いた。俺には何も聞こえないが、彼女の耳は何かの接近を察知したらしい。


 耳はダントツでクリアの方が良く、彼女のおかげで危険を回避出来たのも一度や二度ではない。アドバイスを対して疑問に思うこともなく、進路を物陰に向けて走り込んだ。


 物陰に隠れて間もなく、俺にも接近してくる者の存在が聞こえてきた。だが、聞こえてきたのは、足音とは違う音だ。


「……何だ、あれは?」


 姿を現したのは、無人探査機だった。震災後のニュース番組で、事故を起こした原発で、人の立ち入れないエリアに入って作業しているのを放映しているところを目にしたことがあった。キャタピラの上にカメラが取り付けられてあって、三百六十度回転しながら、異物の存在をサーチしている。


 明らかに異世界には似つかわしくない代物だ。おそらく、俺たちの世界から輸入したものだろう。ファンタジーな世界観をぶち壊しているが、性能はあまり良くないらしい。うっかりカメラと目が合ってしまったのに、アラーム一つ鳴らしやしない。何事もなかったかのように、廊下の曲がり角に消えていった。


「その内に監視カメラとかも取り付けられるかもな」


「そうなる前に侵入出来て良かったよ」


 無人探査機にミサイルでも仕込んであったらまずかったかもしれないが、まだまだ改善点の多い探査機の脅威は去った。だが、探査機との遭遇を機に、人間の兵士たちとも頻繁にニアピンするようになった。ことごとく上手く隠れて躱したので騒ぎになるようなことはなかったが、気になることがあった。


 通り過ぎていく兵士の誰もが、余裕のない顔をしていたのだ。俺たちに恐れを抱いているようには思えなかったので、別の原因なのだろう。それが俺たちの脅威にならないことを狙うがね。


 疑問は通り過ぎていく兵士の一人が口にした言葉で解けた。その兵士は、『魔王』という言葉をぼそりと呟いていったのだ。


 魔王、魔王、魔王!!


 気が付くと、走り去っていく兵士の誰もが、多大な恐怖と動揺と、同じくらいの軽蔑を込めて、魔王の名を口にしていた。


 魔王……、来たのか……。


 ここの人間たちにとっては恐怖の対象でしかない魔王だが、俺にはこの上なく頼もしい味方だ。


 助かった……!


 自然と緊張の糸が解けていく。まだ危険が去っていないのだから、気を引き締めなければいけないと自分に言い聞かせても止まらない。最強の助っ人の到着に胸が高鳴り、笑顔がこぼれる。


「九死に一生を得たね。私たちがすることは一つさ。もう危険な場内を歩き回るのは止めて、このまま隠れて、魔王様たちが到着するのを待つだけ。危険な鬼ごっこはもうおしまいだよ」


 魔王の勝利を信じて疑わないクリアからは、笑顔がこぼれていた。終わってみると、物足りなかったという軽口まで飛び出している。


 やがて地面の下から無数の魔物の雄たけびが聞こえてきた。この城への脅威となる存在が確実に距離を詰めているのだ。


「もうすぐ……、終わろうとしている。終わりが迫っているんだ……」


 口が勝手に動いて、思ってもいなかった言葉が外に飛び出した。


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