第百七十二話 中間管理職の受難
万年人を斬りたい病にかかっているゼルガにとって、目前の魔物の大群は、夢の光景だった。笑いを堪えながら、伏し目がちに睨みあっていたが、ついに耐え切れなくなって、噴き出してしまう。これには、魔物たちや、城ケ崎たちも、薄気味悪さを感じて後ずさる。
「あははっ! 子猫が二匹迷い込んだって聞いていたのに、何さ、これ? サプライズって言葉じゃ言い表せない衝撃と誤差があるよ」
到着早々、楽しげに近衛兵をからかうゼルガ。事情を察しているくせに、意地の悪いことだ。近衛兵もぶすっとして言い返す。
「貴様も聴いていただろう? 魔王共が進行してきた時の地鳴りを。あれで数が多少増えたのだ」
「多少ねえ……」
ゼルガは、呟きながら、魔物たちをちら見する。馬鹿にされたと思ったのか、近衛兵はさらにぶすっとしてしまう。
そんな人をからかうのが好きなゼルガを見ていた魔王が、突然語気を荒げた。
「お前えぇ! 覚えているぞおぉ! 俺様の居城に殴りこんで、手下どもを殺していった野郎だなあああぁぁ!!!?」
大事な手下を奪われた魔王の怒りは凄まじく、闘気だけでゼルガの細い体が浮き上がりそうになってしまう。自分が睨まれた訳ではないのに、城ケ崎が頭を抱えて、身を丸くして震える横で、ゼルガはスリルを楽しんでいた。
「おやおや、あなたみたいな大物に、覚えてもらっているとは光栄だね。どうだい? ここで一騎打ちして、俺のさらなる一面を体に刻むというのは」
ずいぶんストレートな挑発だ。上機嫌なことで調子が良くなり、人をからかうのが大好きなゼルガの本領が発揮されつつある。
「この期に及んでふてぶてしい開き直りだなあああ!! 今更泣きべそをかいて許しを請うても、聞く耳はねえがなああぁああ!!」
「知っているよ!」
魔王が巨体をくねらせて、壁に叩きつける。軽自動車ほどの大きさの岩が何個もゼルガに向かっていく。
「そんな攻撃など利かんわ!!」
ゼルガの前に立ち、自慢の斧で飛んでくる岩を粉砕する近衛兵。女子供にすら容赦のないこいつでも、最低限の仲間意識は存在したのだ。魔王の攻撃を見て興奮したのか、魔物の中には、火や弓で攻撃してくる者が出てきた。それも気合で地面に叩き落としながらも、近衛兵はゼルガに叫ぶ。
「多勢に無勢だが、慌てることはない。俺とお前が力を合わせれば、増援が来るまで時間を稼ぐことが……」
「ねえ、余計なことをしないでよ」
ゼルガの口から洩れてきた信じられない言葉に、近衛兵の目が大きく見開かれる。こいつだって、お礼を期待していた訳ではなかったにせよ、正面から邪険にされるとは思っていなかったのだ。
「き、貴様……。人が助けてやったというのに、その言いぐさは何だ!」
「やだなあ。俺が一言でも助けてなんて言ったかい? 勝手にしゃしゃり出ておいて、英雄を気取らないでよね」
「……!」
火や弓の合間を縫って、オークが二匹飛び出してきた。ゼルガの頭をかち割ってやろうと、斧を握って走ってくる。
「お! 良い感じに盛り上がってきた♪ そういう訳だから、俺の前には出ないでよ。愛刀の巻き添えにされたくなければね」
感謝の言葉を全く述べないまま、ゼルガは戦闘開始と、呆然と立ち尽くしている近衛兵の横をすり抜けて、ゼルガは魔物の方へ駆けて行き、あっという間に切り捨ててしまった。
「クスクス……、きれいな赤だ……」
オークたちの傷口から噴き出す血の噴水をうっとりと眺めながらゼルガが感想をこぼした。その一言が癪に障ったのか、魔王軍が一斉に色めきだつ。
「小僧おぉぉ! 良い度胸だ、お前から死にたいらしいなあああ!!」
目を血走らせた魔王が一歩歩み出る。それを合図に、魔物たちが一斉にゼルガへ突進を開始した。
「あはは! いっぱい来た! 嬉しいなあ♪」
「その余裕の面を、すぐに恐怖で塗りつぶしてやんよ!!」
「魔物、なめるなよ!!」
ゼルガと魔物軍団のぶつかり合いは激しいものだった。ゼルガが孤軍奮闘して、魔物をばっさばっさと斬り伏せているが、不利なのは明らかで、どんどんダメージを負っていっていた。体のところどころから血が噴き出すが、ゼルガは至福の表情でうっとりとしている。欲求さえ満たされるのなら、自分が傷つくことすら厭わないらしい。ここまでくると、真性の狂気を感じざるを得ない。
「わ、私は何をすれば……」
戦いを呆然と見つめる城ケ崎だったが、後ろから強い力で引っ張られた。思わず悲鳴を上げたが、力は弱まることなく、彼女はそのまま少し離れた壁際まで連れて行かれたのだった。
「あんなところに立っていたら、危ないですよ?」
硬直する城ケ崎に、メイド姿の女性が優しく声をかけた。城ケ崎をここまで運んだのも、彼女で間違いない様だ。
「魔王様のご命令です。あなた様方を、安全なところまでお連れして待機するようにと」
「魔王が……」
向こうで狂ったように戦っている魔王を見た。暴力の化身のように見えて、案外優しい一面もあるのかもしれない。
今の内とばかりに、メイドは同じく避難させたシロの手当ても、慣れた手つきで始めた。人間の女性と間違いそうな外見をしているが、耳がとんがっていたりと、確かに人外を証明する体の違いはあった。何気なく彼女はエルフなのかもしれないと思ったが、手当の邪魔になると思い、そっとしておくことにした。
メイドさんの手当てが上手いのは、メイドだからだろうか。というか、金持ちに雇われているメイドって、手当まで行ったりするものなのだろうか。専属のお医者さんがやるんじゃないの? こんなことを考えながら、城ケ崎はぼんやりとしていた。
「そこで何をしている……?」
メイドさんの温かい声とは対照的な、低くて冷たい声が城ケ崎の鼓膜に響いた。顔を上げると、血走った眼をした近衛兵が立っていた。
「手当をしているのか。せっかく俺が痛めつけたのにな……」
シロのことを忌々しそうに一瞥して、近衛兵はさらに続ける。
「どいつもこいつも、人のしたことを無為にするようなことばかりしやがって。腸の煮えくり返ることだ……」
ゼルガにあしらわれたのを根に持っているらしい。城ケ崎自身、あの言い方はないと思っていたのだが、近衛兵の怒りの矛先はゼルガには向かなかった。
「あの馬鹿は放っておくとして、まずはお前らからだ……」
「そ、そんな……」
慌てて魔王たちに助けを叫ぼうとするが、声が出る前に、近衛兵が目前に迫ってきていた。
「助けは無用といっているだろ! 黙って殺されろ!!」
「いやいや! いらないって言っているのは、私じゃないです~!」
城ケ崎の悲痛な叫びも、近衛兵の沸騰した頭には届かない。あわや肉塊かと城ケ崎だったが、次の瞬間、近衛兵はブッ飛ばされていた。
「え? え? ええ~~!?」
しどろもどろに慌てる城ケ崎。訳が分からず、とりあえず頭を抱える彼女の隣で、メイドさんが木製のモップを構えて立っていた。
「怪我人の前ですので、お静かに……!」
優しさの中にも、意思の強さを含んだ警告だった、
「メ、メイドさんって、実はとっても強い人なんですか!?」
城ケ崎の驚愕の質問に、メイドさんは余裕のニッコリで答えただけだった。魔王軍のメイドは、戦闘も一流なのだろうか。というか、近衛兵のおっさん、さっきからろくな目に遭っていない気がする。敵ながら、哀れ。
連日の猛暑のせいで、パソコンと向かい合っていても汗が止まりません。
あまりにも汗がひどいので、つい新しい扇風機を衝動買いしちゃいました。
その結果、今、うちには四台の扇風機が。こんなに必要なのだろうか……。
でも、涼しい。




