第十五話 繰り上がる警戒レベルと、積極的武装のすすめ
朝食を終えた俺は、身支度を整えて、出勤するために革靴を履いていた。
「じゃあ、行ってくる。何かあったら、メールしてくれて、構わないから」
「はい……、ありがとうございます」
つま先で床をトントンとしながら、俺がいない間のルネの身を案じる。強盗が入ってくるようなことはないと思うが、新聞の勧誘とかが来たら、面倒だな。それに誰もいない部屋に彼女だけいるというのは、考えてみればかなりシュールな光景だ。俺が命令してやらないと、本気で何もしなさそうだからな。
せめて連絡手段を充実させておけば、少しは違うかな。メールもいいが、やっぱり携帯電話だよな。俺名義で、もう一つ携帯電話を契約してしまうか。そういえばルネって、こっちの服や化粧品には、興味があったりするんだろうか。
考えれば考えるほど、金が必要になってくるが、それを煩わしいとは思わなかった。むしろ、楽しく感じている自分がいた。
「あ、あのう……。ご主人様、質問があるんですが……」
「ん? 何だ」
「シロさんから、殿方に行ってきますのキスをすると、喜ばれると聞いたのですが、やった方がよろしいでしょうか」
「……え?」
「あっ……、もちろんご主人様に、すてきな方がいらっしゃるのなら、控えます。強制ではありませんので、深く考えないでください」
あの幼女……。そんなことまで教授していたのか。キスのオプションまでついているとは、痒いところまで、補完しているというのか。
しかも、俺が動くまでもなく、向こうから迫ってきてくれるなんて、なんというゆとり仕様! これなら、異性に対して経験の少ないチェリーくんも安心ではないか。
質問された時は唖然としてしまったが、もちろん俺の答えは一つだ!
「じゃ、じゃあ……。お願いしちゃおうか……」
かなり鼻の下を伸ばしながら、お願いしようとしていると、突き刺すような視線が向けられているのを察した。恐る恐る振り返ると、そこには城ケ崎が立っていた。偶然通りがかったのか、俺に用があるのかは知らないが、かなり蔑んだ目を向けてきている。
「と、とりあえずどっちにするかは、今度ゆっくり考えるから、今日は保留で……」
行ってらっしゃいのキスへの未練が立ちきれず、何とも曖昧な返答になってしまった。女性によっては、顔をしかめられそうなものだが、ルネは気にしていないようだった。
ルネは俺に通勤鞄を渡すと、にっこり微笑んでドアを閉じた。ああ……、天国の時間が終わってしまった。いや、帰宅すれば、また始まってくれるんだが、その前にいろいろと面倒なことを済ませないといけないんだよな。
深呼吸をすると、未だに俺を凝視中の城ケ崎の顔色を伺う。
「よお」
「どうも」
何だよ。そんな顔をするなよ。俺も社会人だぜ。女の一人、部屋に連れ込んでいたっていいじゃないかよ~。なんか腑に落ちないものを感じつつも、城ケ崎を見ると、立ち去ろうとせずに突っ立っている。ただすれ違う気はないらしい。やつに歩み寄っていく。さて。どんなことを言われるのかな~?
「昨日の賞金探しゲームに来なかったから、宇喜多さんも風邪かなって思ったんですが、こういうことだったんですね」
「詳しくは話さないが、お前から蔑まれるようなことはしていないからな。勘違いするなよ」
釘を刺すが、城ケ崎の表情は改善されない。信じていないな。
「ていうか、俺も風邪って、どういうことだよ」
「昨夜、藤乃さんが救急車で運ばれたんです。風邪をひいているのに、また薄着でやって来て、倒れたんです。救急隊には、例の部屋は見られてませんので、ご心配なく」
昨夜、救急車のサイレンを聞いた気がしたのだが、あれは藤乃が搬送されたのか。いつか倒れると思っていたが、やはり予想が的中したな。
ライバルが減ったことを、内心でほくそ笑んでいると、城ケ崎が話を続けた。
「まあ、宇喜多さんの女性遍歴はどうでも良いんですがね……」
「ひどいな、おい」
あまりにも城ケ崎の態度が芳しくないので、昨夜あったことを正直に打ち明けようとしたが、異世界の少女を一億円で買ったなんて言ったら、火に油を注ぐだけなので止めた。
「ていうか、何しに来た? 俺、これから仕事なんだよ。用がないのなら、もう行くぞ」
「ああ、そうでした。実は報告したいことがあるんですよ。昨夜、ついに出たんです。モンスターが」
「マジ?」
詳しく聞くと、たいしたことはなかったそうだが、これから強くなっていく可能性は十分にあるので、気は抜けないとのこと。モンスターという非現実的な生物のことを普通に話していることは置いておいて、気分が重くなってしまった。
「宇喜多さんの都合の良い時間で構わないので、武器になるものを買いに行きませんか?」
「そうだな。今夜も出る危険はある。武装しておかないと、次に救急車で運ばれるのは、俺かもしれない」
城ケ崎の申し出を断る余裕などない。二つ返事で、昼休みに待ち合わせて、武器を買いに行くことにした。だが、気になるのは、城ケ崎に金があるのかということだ。こいつは現在無職で、余計な出費をする余裕はない。まさか、俺に奢らせる気じゃなかろうな。
「なあ……、女友達の家に居候している人間に、物を買う余裕なんてあるのか?」
かなり失礼なことを呟いたと思うが、城ケ崎は気にした様子もなく、八枚の福沢諭吉を見せてきた。なるほど。昨日賞金を獲得した訳ね。体格の良い間宮との一騎打ちだったら、不利かと思ったのだが、こいつには関係がなかったみたいだな。
「念のために言っておきますけど、奢ってやらないからな」
「当り前だ。自分の分くらい、自分で払うわ!」
八万円を手にした途端に、急に立場が変わった気がする。さっきまでは俺の方が、確かに優位だったのに。
まざまざと金の力を見せつけられた気分だ。何か悔しい……。
その日の休憩時間に、外で城ケ崎と待ち合わせて、武器を求めて街に繰り出した。
「だが、武器を買うって言ってもなあ。どこに行ったものかね」
「こんな物騒なショッピングは、普段やりませんからね」
まず考えたのが、護身用の器具だが、スタンガンは敵の動きを止めるだけだから、いまいち頼りないんだよな。警笛なんて吹いたところで仕方がないし。
「野球のバッドなんてどうですか? 本来の使い方とは違いますが、あれが一番効果的だと思いますよ」
「そうだな」
木刀もいいかなと思ったが、どこで売っているのか分からないので、却下した。
スポーツショップに着くと、早速野球コーナーへと移動した。売り場全体から、爽やか且つ、明るい雰囲気が放たれていて、これから悪用しようとしている身には、申し訳なく感じられてしまった。
「あっ、このバッド、いいかも」
金に余裕のある城ケ崎は、値段も見ずに好みだけで選び出している。財布と相談しなければいけない俺とは対照的だ。
目の前にモンスターが迫っているのを想定して、二人でバッドを振るが、仲良くへっぴり腰だった。クリーンヒットしても、モンスターはそのまま突っ込んできそうで、却って危なそうだ。
「ふう、ふう……、振り慣れていない身にはきついですね」
「戦うことなんて諦めて、一目散に逃げた方が早い気がしてきたよ……」
「奇遇ですね。僕も同じことを考えていました」
試しに数回振っただけで、息が上がっている。これでモンスターと闘うつもりなんだから、笑い話にもならない。
人並みには体力があると自負していただけに気落ちしていると、向こうから二人組が歩いてくるのが見えた。城ケ崎が気付いて、腕をつついてくるが、片方は間宮だった。もう一人は間宮の知り合いなんだろうが、金髪にピアス、おまけにタトゥーと、お世辞にも柄の良い外見ではなかった。
「宇喜多さん……」
「分かっている」
気付かれたら面倒そうなので、城ケ崎と二人で身を隠す。
間宮たちは、俺たちの視線には気付いていないみたいで、野球コーナーの前で立ち止まった。間宮は興味なさそうだったが、金髪の少年が鉄製のバッドをにやけながら、手に取った。
「なあ……、こいつであの教師を殴ったら、良い音がしそうだよな」
いきなり聞こえてきた物騒な言葉に、俺は眉をしかめた。どうやら金髪の少年は、中身は悪いらしい。
ていうか、そんなのと付き合っている間宮も、実はやばい人種なんじゃないのか? そんなのと大金の奪い合いをしているとなると、別の意味でも武装の必要が出てきたぜ……。
現在の戦績は、参加者全員が一回ずつ賞金を手にしていることになります。
金額には差がありますけどね。




