第百五十二話 寝ている間に爆ぜた世界
スーツ男との戦いが終わってからというもの、俺は貪るように睡眠というものに浸った。そこまで寝る必要がないんじゃないかという程に長い間寝ていた気がする。きっと現実と向き合いたくないという現実逃避も無意識の内に含まれていたんじゃないかと思っている。
それでもずっと寝たままでいることは許されず、俺は覚醒の瞬間を迎えた。
「お、ようやくお目覚めかい?」
目を覚まして最初に聞こえてきたのはクリアの声だった。寝ている俺にずっと付き添ってくれていたのだろう。読んでいた文庫本を閉じて、俺の方を向いた。
まだ頭がうすぼんやりしている中、上半身だけ起こすと、自分たちが客室の一つにいることが分かった。借りている部屋は既に台無しにしてしまっていたので、他の部屋なんだろうな。ベッドにテレビ、冷蔵庫……。当たり前のことだが、最低限の物しか置かれていない部屋だな。
「ふふふ! あんた、気持ち良さそうな顔をして寝ていたよ♪ ずいぶん可愛らしい寝顔だったね。思わず食べちゃいそうになっちまったよ」
「ははは……」
焦点の定まっていない俺の顔を愉快そうに覗き込みながら、クリアがからかってくる。冗談で言っていると分かっていても、これからのことを考えると不安になりそうになっていた俺の心は、だいぶ休まるのだった。
クリアに聞いてみると、俺たちがいるのはやはり、ホテルの一室だという。俺が気を失う直前に、スーツ男がノックアウトされたことで、それまで眠りについていた人々も一斉に起き出してきたのだ。何人かは、攻撃の身代わりにされたせいで、体のあちこちが傷だらけになっていたが、大半は無事で済んでいた。
しばらくの間は、軽い混乱が続いていたらしいが、やがて何事もなかったかのように街は平穏を取り戻していった。だが、そうはいかなかったのは、破壊の限りが尽くされたこのホテルだった。意識を失っていて、気が付いてみれば、廃墟のようになっていたのだ。いかに狼狽したかは想像に難くない。
スタッフは慌てふためき、俺たちのところにも、すぐに何人かが飛んできたらしい。本当は加害者なのに、俺たちのことを被害者だと勘違いして、お詫びの言葉と共にこの部屋を提供してくれたというのだ。
「正直に話して追い出されるのもなんだしね。損害賠償とか請求されても、あんた、とても払えそうにないし。だから、上手いこと、誤魔化しておいたよ」
「どうも……」
この話を聞いて、猛烈に申し訳なく思えてきてしまった。正当防衛のためとはいえ、俺は自分の宿泊している部屋を中心に、ホテルを破壊しまくってしまった。前のアパートといい、自分が疫病神に思えてしまう。
「そう気に病むことはないよ。やらなきゃあたしたちがやられていたんだし、あんたにすればやけくそでやったことなんだろうけど、思わぬ幸運が降って湧いたって開き直るとしようじゃないか」
「あまり素直には喜べんが、追い出されずに済んだことには、ホッとしておくよ。それでもやはり申し訳ないがね……」
そこまで話したところで、主犯格というべきスーツ男のことを思い出した。
「そういえば、ホテルどころか、街二つをゴーストタウンに変えた犯罪者はどうした? やつが透明人間でなくなったところまでは、記憶にあるんだが……」
殺されそうになった身として、やつの現在を頭に入れておきたかったのだが、クリアの顔が露骨に曇る。
「あ~、あいつならね……」
「うんうん……」
「あ、やっぱり駄目だ。一般人の宇喜多には、刺激が強すぎるから、言えないわ!」
「何だ、そりゃ……」
途中まで言いかけたところでクリアは突然、肝心な個所を前に説明を中断した。無理に首を突っ込んではいけないような気もするし、それでも聞きたい気持ちは疼くし……。だが、やっぱり気になってしまう……。
しばらく食い下がった末、やつは闇に呑み込まれていったと、妙に背筋に冷たいものを覚える表現で締めくくられてしまった。曖昧な表現だが、だいたい事情を呑み込めてしまう自分自身も、ちょっと怖かった。
「ともかくやつが、私たちの前に姿を現すことはもうないということさ。それで安心していればいいと私は結論付けるね」
先に起きていたミルズが、会話に入ってくる。身動きが取れないように、縄で縛られているせいか、ジッとしているだけなのが暇そうに見えるな。
「……おい」
「ああ、それかい? まだ味方になったとは聞いていないからね。暴れ回られると面倒なんで、縛っておいたのさ」
「涼しい顔で言うことじゃないな。ホテルの人がやってきて、この光景を見たら、どういうことになると思う?」
「大変な騒ぎになるね。きっとおまわりさんが駆けつけて、私を自由の身にしてくれると思うと、心が躍るさ」
本気でそんな事態を希望しているような顔でミルズが呟いているが、俺は冗談ではない。
「そう怖い顔をしなさんな。趣味ですって言えば………」
「そう言うと、さらに面倒くさい状況になるんだよ! もしかしなくても、俺の人生、バッドエンド決定だ!」
そうでなくても、依然寝たままの幼女がもう一人いるのだ。他人に誤解を与えるような言動には、細心の注意を払わねばならない。
うん……?
室内の人間を確認する。俺、クリア、ミルズ、そして未だに高鼾のシロ……。一人足りない。
「な、なあ……。ルネはどこだ?」
俺としては、もっとも安否を確認したい人間だ。だが、俺の質問に、クリアとミルズの表情が分かりやすい程に強張る。
「え……、とさ……」
いやいや! 言いあぐねていないで、さっさと言ってくれよ。そして、俺の不安を取り除いてくれ。
ミルズが言いづらそうにしているので、代わりにクリアが答えてくれるという。前に出た彼女が、俺の顔を一瞥して、コホンと咳払いをする。
「彼女はな……」
「うん」
「爆発して、四散した……」
「…………」
衝撃の告白に、俺の内容量の少ない脳はオーバーヒートしてしまい、こっちの方が四散してしまいそうになった。
過激な冗談はさておき、俺はどういうことかと問い直すが、比喩ではなく、本当にそうなってしまってみたいだ。こうなると、俺の口調も急激に荒くなっていかざるを得ない……。




