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第百四十九話 完全透明宣言

 俺たちの目の前から、敵が一人消えていった……。


 といっても、消滅したのではない。自身の能力で、自ら透明人間になったのだ。こちらから姿は見えないが、向こうからは丸見え。厄介な事態になってしまった。


「これを恐れていたのさ……。姿さえ見えていれば、どうとでもなったのに、消えられたら、都合の悪いこと、この上ないね」


 俺の後先顧みない行動のせいで招いた窮地に、ミルズは遠慮なく非難してきた。責任を取れるのかと言っているようにも聞き取れた。対照的に、スーツ男の底なしに明るい声が周囲に響き渡る。


「はははははひゃああ! 透明になった俺様を止める術はあるまい! そっと近づいて、スプレーをぶっかけてやるぞお~!」


「させるかよ……」


 透明になったからといっても、動きが速くなるという訳ではないのだ。透明になった程度で、そう易々と形勢逆転を許してなるものか。それならば先手必勝で対抗してやるまでだ。


 即座に黒太郎を呼び出して、やつのいた辺りの床を破壊させた。頑丈なコンクリート造りのホテルも、黒太郎の怪力にかかれば、豆腐のように木っ端みじんに粉砕されていく。


 透明になってから、スーツ男の動き回った足音は聞こえてこなかった。もし、やつが一歩も動いていないのだとすると、今の攻撃で、床もろとも下のフロアに真っ逆さまのはずだが果たして……?


「うわあああ! 床がすっぽ抜けた! 落ちるううう~~! ……な~んてな。しっかりと回避してやったぜ。俺はまだこのフロアに踏みとどまっているぜ!」


 スーツ男を下のフロアに落とせていないか、密かに期待していたのだが、ちゃっかり難を逃れてやがった。前の方から声がしてきたが、やつの逃げ足の速さを考慮すると、もうそこからは移動していると考えた方が賢明と見た。


「さて、次は俺が反撃する番かな? 今のうちに、おやすみのあいさつを考えておいた方が良いよお~?」


 どこかからスプレーを振る音が聞こえてきた。足音は全然聞こえてこないというのに……! きっと俺たちに聞こえるように、わざと大げさな音を立てているのだ。とことん腹立たしいやつめ。


 しかし、こっちだって考えはある。スーツ男は、透明になっただけであって、身体能力が上がった訳ではないのだ。あいつがいかに撃たれ弱いかは、直接殴った俺が、一番分かっている。まぐれでもいい。とにかく黒太郎の力で一発でもヒットさせれば、俺たちの勝ちなのだ。


「くそっ! こうなったら、運任せだ! 黒太郎、手当たり次第にぶっ壊せ!」


 待ってましたとばかりに、黒太郎がところ構わず、目についたものを破壊し始めた。


 やっぱりこいつに頼るのかという呆れを、周囲から感じたが、現状でそんなことを気にしていられない。


 だが、空振りが続くのみで、当たりを引き当てるには、なかなか至らない。


「うほほほお~い! いろんなものがぶっ壊れて、崩落して……、何か派手だな、おい!!」


 花火を見てはしゃいでいる子供のように、手を叩いて大笑いしている。狙いが定まっていないとはいえ、黒太郎には規則性なく暴れさせているのだ。決して気を抜いている暇などないのに、この余裕。ちょこまかと鬱陶しいやつだ。


 これでは、スーツ男と戦っているというより、ホテルを破壊しているだけではないか……。


「もう、滅茶苦茶なのさ……」


 原形を留めなくなっていくホテルを、ため息交じりに見つめるミルズ。だが、俺たちに憂いている時間はない。


「くすすすすすす! そろそろ俺も参加しよっかな。ただ傍観するのも飽きてきたし♪ ねえ、いいよね、いいよね!?」


 返事を待たずにスプレーの噴射音が聞こえてきた。それに伴い、白い催眠ガスが充満し始める。


 くそ! これまでかわされちまうのかよ……!


「今のは危なかったな。次に喰らったら、今度こそお陀仏かもしれねえ。という訳で、距離を取って、慎重に拡散させていくとしましょう!」


「ふざけ……!」


「君、抵抗するのはもう中断さ! 戦況がどんどん悪くなっているのに、気付かないのかね? このまま破壊が進めば、私たちの方が下へ真っ逆さまさ」


「ぬ……!」


「闇雲に攻撃するしかないのだったら、もうギブアップして、一時退散するのが賢明さ。確実にやつにヒットする手段がないのなら、こっちがどんどん不利になっていくだけだね」


 言い返したかったが、確かに戦況は悪化していた。さっきスーツ男を殴った時に、格好良く決めた手前、すんなりと退散するのは嫌だったが、策がないのなら至仕方ない。屈辱をグッと堪えると、ミルズたちをまた抱えて、逃走を再開した。




 あちこちから催眠ガスが噴き出している中を、強引に突破する作業を繰り返す。一見、無謀に思えるが、突破しているのは黒太郎で、俺たちは彼の背に乗っかっているだけなので、結構安全なのだ。


「……今、思ったんだが、君の黒いペットは、ガスを吸い込んでも平気なのかね?」


「……平気だと思うぞ。頑丈だしな」


 どんな衝撃にもびくともしない黒太郎なら、きっと催眠攻撃もへっちゃらだろうという根拠のない考えに基づいた無責任な返事だが、実際に催眠ガスを何度か吸っている筈なのに、こいつの前進が衰えることはなかった。


「試しに敢えて喰らわせてみるか? 本当に平気だったら、スーツ男に対して、かなりのアドバンテージを持つことになるぞ」


「君……。いくら主人だからって、存外な扱いを続けていると、最終的にひどい目に遭わされるというのを、肝に銘じるべきだね」


 ミルズの忠告は、いやにうすら寒く耳に響いた。そんなことはないと言いたいが、拘束が外れた時に、一気に倍返しされそうな恐怖を感じた。


「それより気になることがあるのさ。礼の変態スーツ男だけど、何のアクションもないのさ。こっちの行動を逐一把握しているやつが、長い間大人しくしているというのは、悪い事態の兆候に感じて脅威に感じるものがあるね」


「否定はしないよ。透明人間にだんまりされたら、接近しているのかどうかが分からなくなるからな。聞きたくはないが、うるさく話してもらっている方が、むしろ安心だよ」


 俺たちは一体いつまで逃げ回ればいいのだろうか。やつは能力で姿を消している訳だから、いつの間にか真後ろに立っている危険性だってあり得ない事じゃない。切りのない話になるが、安全の保証がない以上、永遠に逃げ続けなければいけない事になってしまう。


 想像しただけでげんなりする話に、思わず気が重くなってしまう。それが体にも影響してしまったのか、瞼まで重くなってきてしまう始末だ。


 落ち込んだから、瞼まで重くなるなんて馬鹿なことと、苦笑いしそうになったところで、ハッと気づく。ミルズを見ると、俺と同じように瞼が重そうだ。


「おい、眠ったら死ぬぞ」


 俺の問いかけに、ビクリと身を震わせるが、すぐにまた睡魔との格闘が再開する。これでは眠りに落ちるのは時間の問題だ。


「まさか催眠ガスを吸ったのか? だが、周りを見ても、白いガスは確認出来ない。吸っているとは思えないんだが……」


 途中まで考えたところで、唐突に閃いてしまった。


 スーツ男の能力は、対象を透明にすること。もし、その対象に催眠ガスも含まれているとしたら……。


 まさかと口にしかけたところで、聞きたくなかった嬌声が耳に入ってきた。


「そのまさかだよ~ん!」


 不意に俺の方に手が置かれた。がっしりとした成人男性の手……。視認する事は出来ないが、感触と力が直に伝わってくる。


「能力によって透明になったのは、俺だけじゃない……。俺のマイスプレーから放射される催眠ガスも、同じく透明になっていたという訳なんだよ」


「ガスまで透明にしただと……!?」


 そんなのありかよ……。攻撃まで透明なんて、回避しようがないじゃないか……。


 悔し紛れに睨む俺を、姿こそ見えないものの、スーツ男が満足げに見つめているのが、気配で分かる。それを裏付けるかのように、やつの口から、余裕に満ちた勝利宣言がなされた。


「お姫様を守るために、死に物狂いで駆け回る姿は感動ものだったけど……。相手が悪かったね♪ ゲームオーバーだ……」


 朦朧とする意識の中でミルズを見ると、既に夢の中へと堕ちていった後だった。これから自分を待ちうける運命を知らずに、幸せそうな寝顔で寝息を立てていた。


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